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親との不仲、困窮...「つらい記憶が思い出せない」現象と心理の深い関係

榎本博明(心理学博士)

2022年12月22日 公開

 

「今ここ」の状態が過去と未来をつくる

今でも多くの人は、記憶は過去の記録だと思い込んでいる。専門書を読んでも、そのように書いていることがある。だが、1600年も前にアウグスティヌスという神学者は、記憶は「今現在」と深く関係していることを見抜いている(→「アウグスティヌスと記憶」)。

アウグスティヌスは、次のように言う。

未来は、まだここに存在しない。過去は、もうここには存在しない。ゆえに、未来や過去が存在するとしたら、「今ここ」の現在以外に考えられない。つまり、未来とか過去といったものは存在しない。

あるのは、過去についての現在、現在についての現在、そして未来についての現在である。そして、過去についての現在が記憶だというのである。

思い出される過去には、思い出す現在の視点が色濃く反映されている。ゆえに、「今ここ」で思い出された記憶には、今の心理状態や価値観・欲求が強く関係している。そのことをアウグスティヌスは見事に見抜いているのだ。さらに、アウグスティヌスは言う。

過去の自分の悲しい出来事を今穏やかな気持ちで思い出すという場合、心は穏やかで記憶は悲しいというのは、一体どういうことなのだろうか。悲しみを記憶しているはずなのに、なぜ悲しくないのか。

きっと心は胃のようなもの、嬉しい出来事や悲しい出来事は甘い食べ物や苦い食べ物のようなものなのだろう。出来事が起こった時点では、甘さや苦さが味わわれるけれども、記憶になると胃の中に送り込まれたようなもので、味わわれることはない。

思い出すというのは、いったん胃に入った食べ物が反芻によって取り出されるようなもので、そのときの舌で味わわれる。

つまり、想起によって記憶から取り出されるとき、その出来事は、かつての心ではなく現在の心で味わわれる。ゆえに、かつては悲しくて仕方なかった出来事も、自分を鍛えてくれた懐かしい出来事のように思い出されたりするのである。

最新の心理学は、アウグスティヌスの考え方に回帰してきている。つまり、記憶というのは、出来事が起こったときのままに引き出されるのではなく、思い出すときにつくり直されると考えられている。

幼児を対象に、親子関係がしっかりと築かれ子どもの情緒が安定しているか、親子関係が不安定で子どもが情緒不安定気味であるかを測定しておき、その子たちがその後大学生になったときに幼児期を回想させるという大がかりな実験を行った。

その結果、自分の幼児期を良かった時代として思い出すか、それとも不安定で不幸な時代として思い出すかは、実際の幼児期の状態によるのではなく、今の大学生活に適応しているかどうかによることがわかった。

幼児期がどんな時代であったかは、現在の適応状態をもとに評価し直される、つまり今の視点から再構成されるのである。

このような実験例は、記憶というのが、けっして出来事が起こった時点で固定されるようなものではなく、思い出すときにつくり直されることの証拠になるものといえる。

 

記憶は思い出すときに再構成される

記憶が思い出すときにつくり直されるなら、思い出された内容は、今の心理状態や欲求や価値観を映し出しているはずである。

先ほどの大学生の事例でも、自分の幼い頃についての記憶は、今現在の適応状態の良し悪しを反映していた。現在適応し、心地よい心理状態にある人は、幼い頃を良い時代だったと回想した。一方、現在不適応気味で、不安定で不快な心理状態にある人は、幼い頃を良くない時代だったと回想したのである。

私に相談に来たある経営者の方は、幼い子どもの頃は楽しい思い出が多く、結構いろいろなことを覚えているという。それなのに、思春期から青年期の思い出がまったくないというのだ。何だか暗い毎日だったというような漠然としたイメージはあるのだが、具体的なエピソードが浮かばないという。

ここには、精神分析を創始したフロイトの言う「抑圧」というメカニズムが働いている。

思い出したくないイヤな出来事や経験が含まれる時期についての記憶は全般に薄れているものである。その時期の何かを思い出すと、関連することが順々に思い出され、そうした連鎖の果てにイヤなことまで思い出してしまう可能性があるからだ。この抑圧という自分を守る心理メカニズムは、無意識のうちに発動される。

カウンセリングやそれに類する語りの場を通して、イヤな時期をどんより覆っている黒い雲が払いのけられると、その時期の具体的なエピソードが次々に蘇ってくるのがふつうである。

たとえば、それが母親との間の確執で、母親に対する嫌悪感が黒い雲となって中学生・高校生時代を覆っているとする。その頃は、しょっちゅう口論していたようなイメージがあり、常にイヤな気分でいた感じがする。

そんな頃のことを思い出すのは不快だから、抑圧が働いてほとんど何も具体的なエピソードは思い出さなくなっている。

ところが、自分の成育史について語っているときに、当時の自分がうっかり見逃していたことに気づく。あの頃の自分たち家族の経済的基盤は、どうなっていたんだろうということだ。父親が病気で突然退職したため、母親が急きょ働きに出たが、その収入のみで何年も生活していた。

その間、父親や自分たち子どもの世話をするのは容易ではなかっただろう。いつもイライラしていたイメージがあり、何かというとお母さんは忙しいのだと言い、ちょっとしたことですぐに怒鳴られ、口論になった。当時はそんな母親が許せず、嫌いだった。

今改めて振り返ってみると、それは仕方ないと思う。自分自身、結婚して子どもができ、妻も仕事をしながら子育てをしており、子育てと仕事の両立についての悩みをよく聞かされている。そんな立場から久しぶりに振り返ったために、気づいたのであろう。

こうして思春期を覆っていた黒い雲が払いのけられると、母親との口論も懐かしく思い出されるようになった。それと同時に、中学や高校での楽しいエピソードも、いろいろ蘇ってきたのだった。

今の心理状態が変われば、思い出されることも変わるのである。

 

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