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IMV分析…「疑う力」をビジネスに生かす

西成活裕(東京大学先端技術研究センター教授)

2012年06月07日 公開 2022年05月19日 更新

IMV分析…「疑う力」をビジネスに生かす

ビジネス・人生で成功するために必要なのは「疑う力」。こう語るのは東京大学先端科学技術研究センター教授の西成活裕氏。同氏が普及率や食料自給率のからくりとともに"数字を疑う"ことの重要性を解説する。

※本稿は、西成活裕 著『疑う力 ビジネスに生かす「IMV分析」』(PHPビジネス新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「疑う」とは「伝え手」の発信した情報(M)を解釈(V)するにあたり、「M=V」と鵜呑みにせず、「M≠V」ではないかと考えてみることだと述べました。もちろん、ただやみくもに疑っただけでは、「伝え手」の真意を見抜くことはできません。「伝え手」が真意をそのまま出さず、意図(I)を「I≠M」とねじ曲げて出している場合はとくにそうです。

[図の解説]
「伝え手」の真意を I (Intention=意図)、発せられたものをM(Message=伝達情報)、「受け手」の解釈をV(View=見解)とします。このMは、言葉とは限らず、表情や身振りかもしれませんし、音楽や芸術作品かもしれません。いずれにせよ、「伝え手」から発せられたものです。

そこでここでは、発信された情報をどのような視点で見ていけば騙されずに、正しい情報として受け取れるか、さまざまな事例を紹介したいと思います。最初に紹介したいのが数字にまつわるものです。

 

高すぎる普及率、低すぎる普及率が生まれる理由

最近私が経験した例を紹介しましょう。それは「LED電球の普及率」です。LED電球のPR広告で、「普及率が70パーセント近くになっています」といった文章を見たのです。70パーセントといえば大変な数字で、電球の大半がLEDになっていることになります。

とはいえ私の周りを見渡すと、LED電球はどこにも使われていませんでした。ですから「これは、おかしい」と即座に思い、数字を詳しく調べてみました。すると数字は嘘ではなく、たしかに普及率は67パーセントとなっていました。

ただしこれは、金額ベースの数字だったのです。LED電球の値段は白熱電球より30倍ぐらい高いですから、LED電球1つで白熱電球120個と同じぐらいになります。結果として「70パーセント近い普及率」となったのです。

ふつう「普及率」というと、無意識に数量ペースで考えることが多いのではないでしょうか。そこでLED電球が使われている数量の割合はどれぐらいだったかというと、27パーセントでした。

これなら実感としても納得がいきます。しかし、27パーセントでは、普及している印象を与えることはできません。そこで売るほうとしては金額ベースで紹介し、さも電球の大半がLEDに切り替わっているかのように思わせようとしたのかもしれません。

 「普及率」を使った広告で、もう1つ、多くの人が勘違いしているのではないかと私が疑っているのが、ジェネリック医薬品です。ジェネリック医薬品とは特許が切れたあとの後発医薬品のことです。

同じような効能でも、新薬より安い値段で買うことができます。薬代を安く抑えたい人にはありがたい存在のはずですが、一般にいわれている普及率はわずか5パーセント程度です。

5パーセントというと、ほとんど普及していないようなものです。「やはり多くの人は新薬を使っているのだ」と思い、薬局でジェネリック医薬品を求めない人も多いのではないでしょうか。

ここにもカラクリがあり、5パーセントというのは金額ベースで、数量ベースで調べると17パーセント程度にもなるのです。

ジェネリック医薬品は価格が安いので、金額ベースで見れば当然、割合は下がります。数量ベースで「17パーセント」とするのではなく、「5パーセント」とすれば「まだまだ普及していない」という印象になってしまいます。したがって、ジェネリック医薬品ではない薬を推す人は金額ベースを使うと思われます。

普及率は、「あなたは、まだ使っていないのですか?」「時代に乗り遅れていますよ」「もう購入したほうがいいですよ」といったイメージを相手に与えたいとき、よく使われる数字です。移行する前の地上デジタルテレビがそうで、あるいはスマートフォンもそうでしょう。

「普及率」に騙されないためには、まず周囲を見渡して、数字と実感が合っているかを検証する必要があります。実感と違う場合、数字は事実でも、じつは金額ベースだったとか、特殊な母集団だけを調べた結果だったということが少なくないのです。

 

「食料自給率40パーセント」のカラクリを知る

数字でよく混乱する例として、農林水産省が発表している「食料自給率」も有名です。近年、「日本の食料自給率は40パーセント」といった数字をよく見かけます。そこから「日本の食料自給率は低い。

もっと高めなければ、日本の食は危ない」といったキャンペーンが張られたりもしていますが、その後この数字は、「カロリーベース」であることが頻繁に指摘されるようになりました。

あまりにも多くの学者が指摘するので、最近では農水省も「カロリーベース」という但し書きをつけるようになりましたが、じつは世界で食料自給率をカロリーベースで出している国は日本ぐらいで、ほかにはほとんど例がありません。

多くの国が使っているのは、「生産額ベース」です。日本における食料の全消費額は15.2兆円です。このうち国内で生産したものは10.6兆円で、つまり生産額ベースで見ると、70パーセントになります。「70パーセント」と聞けば、それほど低いとは感じません。

危機感を煽って食料自給率をもっと高めたいと思っている人たちにとっては、生産額ベースというのはあまり使い勝手のいい数字ではないのです。さらに興味深いのは2003年のイギリスでは、カロリーベースだと65パーセントで、生産額ベースでは40パーセントと、日本とはまったく逆になることです。

カロリーベースによる食料自給率では、誰でもおかしいと感じられる数字も出てきます。たとえば2010(平成22)年度を見ると、卵の自給率はわずか10パーセントしかありません。

つまり90パーセントが輸入というわけですが、それほどの卵を外国から輸入しているという話を私は聞いたことがありません。

調べてみるとそのカラクリは、カロリーベースの場合、「餌の自給率」も含むことにありました。農水省が発表するデータには自給率の算出方法として、肉類や鶏卵、牛乳・乳製品については「飼料自給率を考慮した値」と小さく書かれています。

卵を産むのはニワトリですが、ニワトリの餌は自給率が10パーセントで、あとは全部輸入です。そしてじつは卵自体はほぼ100パーセント国内で生産していますが、卵を生産するための餌を90パーセント輸入しているから、結果としてこの計算方法では卵の自給率は10パーセントとなってしまうのです。

このデータの出し方が現実離れしているのは、工業製品で考えればわかります。私たちの周りの工業製品は、ほとんどが石油を使ってつくられます。石油の自給率は、日本は0.1パーセント程度です。

つまりカロリーベースによる食料自給率の発想なら、日本の工業製品の自給率はほぼ0.1パーセントになるのです。もちろん工業製品では、そのような算出方法はしません。

肉類にしても、野菜の81パーセントに対し、牛肉が11パーセント、豚肉が6パーセント、鶏肉が7パーセントとなります。野菜の場合、栽培に使う化学肥料は石油から日本国内でつくられるので国産扱いとなり、国内自給率に含まれます。一方、牛や豚などが食べる飼料は大半が輸入ということで、その分が掛け算されているのです。

こちらも最近は学者たちの強い訴えを受けて、飼料自給率を考慮しない値も出すようになっています。これだと牛肉が42パーセント、豚肉が53パーセント、鶏肉が68パーセントとなります。

本来こちらだけで十分なはずなのに、あえて飼料自給率を考慮した値も発表するのは、その時々に応じて、自分たちに都合のいい数字を使おうという意図があるように思えてなりません。

 

「平均値」は無意味

「日本の食料自給率40パーセント」という数字には、もう1つ注意すべき点があります。40パーセントという数字は、米や野菜、卵、肉など、あらゆる食料を一緒にしたうえでの「平均値」です。

米の自給率は100パーセントを超えますが、一方でゼロに近いものもあります。しかも食料の中には必需品もあれば、嗜好品に近いものもあります。

カロリーで見ても、同じ100グラムでも高いものもあれば、低いものもあります。それらを合わせて平均値を出したところで、何の意味があるのか、まったくわからなくなります。

「平均値」という指標は、注意しないと無意味な場合も少なくはありません。平均値は、どんぐりの背比べ状態の集団なら、たしかに指標として意味があります。

「このクラスの平均点は50点」と聞くと、一般に「平均的な生徒が集まった集団かな」といった印象を持ちます。これは平均値を聞いたとき、暗黙裡に「平均値の周辺の人たちが多く集まった集団」と考えるからです。

しかし、たとえば50点を取った人はクラスに2人しかおらず、残りは0点と100点の人が半々という集団も平均点は50点になりますが、これは「平均点は50点」と聞いたときの私たちのイメージとは違うでしょう。

具体的な点数を聞いて思い浮かべるのは、「超天才と勉強をまったくしない生徒ばかりのクラス」といったものです。どんぐりの背比べの集団を表すときには適しても、著しく離れた異常値にある集団では、平均という概念は意味を持たないのです。

極端な値の人がいる場合、その集団の特性を知るには平均値ではなく「中央値」という指標が使われることがあります。これは「メジアン」とも呼ばれ、1番から最下位まで順番に並べたときの中央、たとえば100人の集団なら50番目の人の点数です。

この場合、1番の人が70点でも100点でも関係ありませんから、その集団のだいたいの傾向がつかめることもあります。

平均値を聞いたときは、そこで納得せず、「中央値はいくつですか」と聞く習慣を持つことが大事です。たとえば投資話を聞くとき、「わが社では平均何パーセントのリターンを出しています!」と言われたら、数字に敏感な人は「平均=怪しい」と考えます。

ハイリスク・ハイリターンの商品の調子がたまたまよかっただけで、大半の商品はたいしたリターンがないケースも考えられます。

私もこうした話を聞くときには必ず、「統計分布はどうなっていますか?」と全体を尋ねたり、「メジアンはいくつですか?」などと尋ねるようにしています。

 

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