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「日韓情勢の悪化」で得するのは北朝鮮と中国

拳骨拓史(作家)

2012年10月26日 公開 2022年07月08日 更新

「日韓情勢の悪化」で得するのは北朝鮮と中国

悪化の一途をたどる日韓関係。しかし、韓国国民の反日感情は歴史的な根拠だけではない"ねじれ"が生じているという。

作家の拳骨拓史氏は、日韓の喧嘩で得をするのは北朝鮮と中国だけだと語るが、それにはどういった背景があるのだろうか。

※本稿は、拳骨拓史 著『韓国人に不都合な半島の歴史』より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

日韓情勢の深い溝

10年ほど前、私は外国人留学生数人と歴史問題について議論をしたことがある。

その際、韓国人留学生の1人が、従軍慰安婦問題などについて「日本の誠意がない」とまくし立てる一幕があった。するとそれを聞いていたベトナム人留学生が笑い出し、次のように話しはじめた。

「君たちは日本に対して謝罪が足りないと言うが、どの口がそんなことを言うのですか。ベトナム戦争のとき、韓国軍が私たちベトナム人に何をしたか知っていますか?

何万人もの人々を虐殺し、挙句に多くのベトナム女性を強姦したではないですか。現在、ベトナムには韓国人によって強姦された私生児が1万人以上いるのが、その証拠でしょう。

しかし私たちベトナム人は、君たち韓国人に謝罪と賠償を求めたりはしません。なぜだかわかりますか?」

「……いや」

「それはね、そのようなことを行わないことが、"国際社会の常識である"と私たちは知っているからですよ。誇り高いベトナム人は、そのようなことはしないのです」

このベトナム人留学生の一言に、一座は水を打ったように静まりかえった。解散してから、私がそのベトナム人留学生に話しかけると、「当たり前のことを言っただけですよ」と微笑んで去っていった。

2012年は李明博韓国大統領の竹島上陸を発端に、日韓両国でナショナリズムが高揚した。だが、日本においては戦後処理の問題、戦争責任、賠償問題を中心として、歴史的背景をまったく理解していないコメントが並んだ。

歴史問題に言及しても、近代からの視点のみで、2000年の歴史が示す問題の根幹にまで踏み込んだものは皆無であった。韓国ではそれどころか、日本が戦後行った賠償ならびに経済支援すら、韓国国民のほとんどが理解していない。

その象徴とも言える時代が、日本統治下における朝鮮の歴史である。

日本の朝鮮統治は、当時はそれが常識であったとしても、現在の視点から見れば批判されうる部分があることは当然だろう。だが、当時の事跡を現代の価値観だけで判断するのは正しいことだろうか。

さらには、すべてを現在の損得だけで覆い隠して、歴史に学ぶことができるのだろうか。少なくとも筆者には、適当と思えない。

日韓併合に対して、既得権益を失う朝鮮の支配者階級は激しく抵抗した。その一方で、李氏の圧政から解放された朝鮮大衆や、朝鮮の近代化を願う知識人たちは一抹の不本意を抱きながらも、新たな時代を期待した。それが日本統治時代の実相だった。

韓国ではこのことを知る世代が現役だった頃まで、日本に対するわだかまりがあったことも事実だが、決して日本による統治を否定してこなかった。

同様に日本においても、戦前を知る世代が現役のうちは、左翼勢力がいくら誤った戦後教育に力を注いでも、国家としての根幹をゆるがすような事態にはいたらなかった。

しかし、世代交代とともに実体験として身につけた、このような歴史が失われつつある。そして「誰か」に都合のよい、捏造された歴史が「正しい歴史」として大手をふって根づきかねない情勢だ。

そもそも「歴史」とは、為政者によってつくられる脆く儚い「思想」の一面を持っている。だからこそ、真に歴史を学ぼうとするならば、「誰か」によって隠された事実をも含め、当時を生きた人々の心情を伴って、1人1人の心の中で「歴史」を作り上げていく必要がある。

昨今の日韓情勢は、こうした1人1人の努力が欠如することで、今までにない広く深い溝が生じているように思えてならない。 

 

隣国は友好国ではない

外交において、隣国は友好国ではない。

日本はどうも、この事実を忘れ去っているようにしか思えない。

そもそも国とは、一定の価値観を共有できるコミュニティだ。長い歴史において小さな集団が、時には武力闘争により、時には平和裡に、合同されて形づくられてきたのが国家である。

そして、たとえ一度、合同したとしても価値観が共有できなければ、そのコミュニティは分裂し、それぞれの道を歩んできた。このことは古今東西を問わず、歴史が証明している通りだ。

こうした国家の併合や独立には、それぞれの解釈があり賛否両論が激しい。だが、結局のところ価値観が合わないから、国家として別個の道を歩むという事実がある。

基本的な物の見方が異なり、価値観が共有できないコミュニティ、それが隣国の本質である。

もちろん友好国でないからといって、必ずしも敵国である必要はない。むしろ隣国とは、できるだけ安定した外交関係を結んでいる方が、国家としては望ましいのは言うまでもない。

だからこそ各国は、価値観が異なり利害関係が激しく対立する隣国と、できるだけ関係が悪化しないように、外交の手練手管を尽くすのである。その中には、中国戦国時代の合従連衡〈がっしょうれんこう〉のように、隣接する小国が連合して接する大国に対抗する場合もあれば、大国の傘下に入ることで自国を守る場合もある。そのときどきに応じて、さまざまな外交施策を下してきたのだ。

この厳然たる事実を踏まえたとき、日本は「平和」や「非武装」という言葉を隠れ蓑に、こうした外交努力を怠ってきたのではないだろうか。そして、緊張した隣国との関係に目を瞑ってきた。その顕著な例が、韓国である。

近年、日本においては韓流ブームをきっかけに対韓感情は大きく好転した。しかし一方の韓国では、従軍慰安婦の碑など対日感情の悪化が目覚ましかった。

その結果、2012年には竹島問題がクローズアップされ、8月には大きな外交紛争へと発展した。そして日本でもようやく、韓国との関係が従来考えていたような甘いものでないことが広く知られるようになったのである。

ただ、こうした感情的な韓国批判が盛り上がりを見せる中で、釘を刺しておきたいことがある。それは、韓国に対して日本人が憤慨する事柄のすべてが、「いまさら」なことだということだ。

韓国の日本に対するエキセントリックな感情や挑発は、日本の一部の知識人と称する者たちを含め、日韓併合という歴史的事件を錦旗に掲げて正当化されがちである。

しかし、それは単なるごまかしに過ぎない。韓国が国際世論の常識をはるかに踏み越えた姿勢を取る理由は、日本とはまったく異なる朝鮮の歴史から形づくられた、日本人には理解しがたい独自の価値観にある。

2000年にわたる長い隣国関係をひもといて、日本と韓国の違いを明らかにしていこう。

 

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