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仕事

創造的な仕事は「こだわり」をなくした先に生まれる

宮本武蔵 ,渡辺誠(編訳)

2011年02月24日 公開 2022年11月14日 更新

創造的な仕事は「こだわり」をなくした先に生まれる

生涯不敗の宮本武蔵が著した五輪書。「地」「水」「火」「風」「空」の5巻からなり、武蔵自らの修業の集大成として、書き上げたといわれている。

作家の渡辺誠が平易な訳文と解説を加え、兵法書として知られる同書を分かり易く紹介。

現代の仕事観や人生観を武蔵の生きざまから学ぶ。

※本稿は宮本武蔵 著,渡辺誠 編訳『[新訳]五輪書―自己を磨き、人生に克つためのヒント』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

一 此(この)一流、二刀と名付る事

二刀と云出(いいいだ)す所、武士は将卒共にぢきに二刀を腰に付(つく)る役也。昔は太刀、刀と云、今は刀、脇差と云。武士たる者の此両腰を持事、こまかに書顕(かきあらわ)すに及ばず。我朝(わがちょう)に於て、しるもしらぬも腰におぷ事、武士の道也。此二つの利をしらしめん為に、二刀一流と云也。鑓(やり)、長刀(なぎなた)よりしては、外の物と云て、武(いくさ)道具の内也。一流の道、初心の者に於て、太刀、刀、両手に持て道を仕習ふ事、実(まこと)の所也。一命を捨る時は、道具を残きず役に立たきもの也。道具を役に立てず、腰に納めて死する事、本意(ほい)に有べからず。

【訳】この流儀を二刀の流と名づけること
「二刀」を唱える理由は以下のとおりである。武士は大将も士卒も、二つの刀を腰に直接付けている。昔は太刀(刃を下に向けて腰に吊るして佩(は)く刀剣)と刀(打刀・刃を上に向けて腰に帯びる刀剣)、現在は刀と脇差を二刀としている。武士たる者、この大小の刀、すなわち両腰を持つことは今さら喋々(ちょうちょう)するまでもない。日本のさむらいは、そのいわれを知ると否とにかかわらず、二刀を腰に帯びることになっている。私はこの二刀の利点を知らしめる意を用いて、「二刀一流」(「二天一流」と称するのが一般的)といっている。槍や長刀などは合戦に用いる武器であり、「外物(とのもの)」と、剣術の立場からは称している。私の流儀では、太刀(この場合は単に「大」の刀の意)と刀(「小」の刀)とを両手に各々持って習うことにしているが、このほうが実利にかなっているからだ。一命をかけて戦うときは、もてる道具を使い残すことなく、役立てたいものだ。道具を役に立てず、腰に納めたまま死ぬのは、武士として本望ではないはずだ。

【解説】
刃の長さ約60センチを超える刀(打刀・うちがたな)と、60センチ未満・約30センチ以上の脇差とを腰に帯びる習俗が生まれたのは武蔵誕生の前後、天正年間(1973~92)のことと考えられている。それ以前は、ここにも述べられているように、刃の長さ90センチを越える太刀を佩き、刀を差す習いであった。間もなく慶長年間(1576~1615)になって、日本刀史にいう「新刀」期に入ると、武士の間に刀・脇差の「大小」の習俗がほぼ定着している。
武蔵の二天一流兵法は、大小の二刀を用いる剣法の嚆矢(こうし)とされる。

では、なぜ二刀流を創始し、唱道したのか、ということについて明確に説いているのが、この条以下の文章である。
武士は二刀を帯びているものであるから、いずれも役立てるのが自然であり、そのためにはこれを遣いこなす習練を積むべきこと。そして、両刀を遣いきらずに戦いにおいて死ぬのは、武士として本望であろうはずがない、とここでは大所高所から論じているのである。
刀は武士の表道具だ。武士を武士たらしめているスピリッツ、メソッド、スキルが集約されているのが、刀である。
自分の持っている、そういう意味での「道具」を残さず役立てることの合理性を、そこに学ぶことができる。

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