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社会

官房長官・菅義偉の「知られざる実力」

菊池正史(日本テレビ政治部前首相官邸キャップ)

2020年09月02日 公開 2021年02月15日 更新

安倍擁立の立役者

菅が初当選した1990年代後半から、北朝鮮の不審船事件が頻発した。1999年には能登半島沖で、2001年には東シナ海で北朝鮮の不審船事件が発生した。

菅は北朝鮮問題に関心をもち、拉致問題解決のためにも日朝間の定期船で流通の太いパイプとなっていた万景峰号の入港禁止など、経済制裁の強化、圧力路線の必要性を訴えていた。

その当時、実力者だった野中らが対話路線だったこともあり、党内で相手にされることはなかったが、小泉政権がスタートしてまもなく、安倍から連絡が入った。

「私は菅さんのいっているとおりだと思う」

安倍は当時、内閣官房副長官として起用されたばかり。まだ小泉が訪朝する前である。菅は安倍の政治姿勢に惹かれ、親交が深まったという。

その後、政府内にいる安倍との連携はもちろん、党内では安倍と親しい現沖縄及び北方対策担当大臣の山本一太らと「対北朝鮮外交カードを考える会」を結成し、経済制裁にかかわる法案作成を進めていった。

勝利の女神がほほえんだのは2006年。ポスト小泉をめぐって安倍擁立の原動力となった「再チャレンジ支援議員連盟」のコアメンバーとなり、安倍参謀の地位を確固たるものとする。小泉の任期は2006年9月までだったが、菅はこの年の3月から動き出していた。

「安倍には、国はこうあるべきだという、しっかりした国家観がある。それに改革意欲も強い。俺は安倍を担ぐ。安倍を囲んで食事をしたいから何人か集めてくれないか」

3月のお彼岸のころ、菅は複数の信頼する議員にこう呼びかけ、安倍を囲んで食事をした。

2001年から続いた小泉政権も、2006年に入ってからの終盤は、行きすぎた改革への批判の声に直面した。郵政選挙といわれた2005年の総選挙では、郵政民営化に反対した議員を公認せず、刺客候補を立て落選へと追いやった。

また、市場至上主義理念の台頭は弱肉強食社会を許容し、社会的弱者へのセーフティネット、経済的落伍者への再チャレンジの必要性が叫ばれた。

安倍は小泉に見出された存在ではあったが、この食事のとき、郵政選挙で憂き目を見た造反組のことを気遣った。そして「親の失敗の責任が子どもにまで及ぶようではいけない。負の連鎖は断ち切らないといけない」と話し、経済的に再チャレンジができる社会の必要性を訴えたという。

菅は、安倍の優しさにも魅力を感じたそうだ。

「私の考えに賛同してくれるグループを発足させたい。80人以上集めてほしい」

5月に入ったころ、安倍はみずから菅に要請した。すでに地ならしはできていた。菅たちは支持を呼びかけて、「再チャレンジ支援議員連盟」、事実上の安倍支持グループを6月2日に発足させた。94人の議員が集まった。

党内のベテラン議員を中心に、森政権から小泉政権にかけて長く官房長官を務めた福田康夫を推す動きも出ていた。しかし、議連発足で安倍に対する支持は雪崩現象となり、この流れを受けて、福田は総裁選への出馬を辞退。

安倍は2007年9月、戦後最年少の総理大臣に就任した。安倍擁立の立役者としての功績から、菅は第1次安倍政権では総務大臣に起用された。

 

「派閥への反逆」ゆえの「マネジメント能力」

菅の特徴は、派閥という党内組織に身を置きながらも派閥幹部の意向にはとらわれず、つねに独自路線を歩むその政治手法だ。一歩間違えると幹部たちに潰されてしまうかもしれないスリリングな手法である。

派閥の論理より天下国家が大事だという。だからといって無派閥になることはない。派閥の内部から派閥の論理に挑戦することで、みずからの存在感を高めてきた。

小渕派で梶山を擁立したときのように、2007年の総裁選では派閥会長である古賀誠の意に逆らって安倍擁立に動いた。「世代交代」「改革実行」がスローガンだった。

第1次安倍政権崩壊にともなう党総裁選挙でも、古賀が福田を支持したのに反して、いまの財務大臣・麻生太郎の推薦人に名を連ねる。そして、梶山を担いだときと同様に敗北するが、福田政権で選挙対策委員長に就任した古賀によって、反逆したにもかかわらず、菅は副委員長に起用された。

菅の「派閥への反逆」は、叩き上げならではの反骨精神ともいえるが、あえて多数派に挑戦することで埋没しない強さを演出し、参謀として起用してくれるリーダーを探していたようだ。

「信用のおけない渡り鳥」と批判されながらも、潰されることなく生き残ってきた政治家として、一目おかれる存在となっていた。

そして、生き残りをかけた駆け引きや、政治的な闘争を身をもって経験しながら、成果を生み出すための「判断力」「決断力」、総合的な意味での「マネジメント能力」を身につけたのだろう。

これは官僚に対するコントロールだけに生かされるものではない。菅は政権発足直後に、党税調で浮上した道路特定財源復活の動きをすぐに止めている。

議員たちからは、「傷んだ道路やトンネルの修復のために必要な財源だ」という声が出た。しかし、このまま実行しては、どうしても政権復帰したとたんの「先祖がえり」との印象はぬぐえない。

「特定財源から一般財源にすると閣議決定したのが第1次安倍内閣であり、それを第2次(安倍)内閣でもとに戻すことは100パーセントない」

菅は記者会見でこの動きを封じた。無駄な道路建設への批判が根強いことを察してのことだ。

禍根の芽を摘むのも早い。国土交通省政務官に起用していた徳田毅が、内閣発足まもない2月4日に急遽辞任した。これも裏で指示を出したのは菅だった。

徳目は女性スキャンダルを抱えており、週刊誌が嗅ぎつけたことを察知し、表沙汰になる前に辞任させたのだ。前の安倍政権で、閣僚の不祥事をかばいすぎて支持率を下げたことを教訓にした、すばやい対応だ。

さらに、拉致間題の解決をめぐって内閣官房参与の飯島勲が北朝鮮を訪問した際にも、その事前準備にかかわり、帰国後は最初に報告を聞いて、政府間交渉再開に向けた中心的役割を果たしている。

安倍が「みずからの政権で解決する」と意気込んでいるわりには目に見える進展のない拉致問題だが、政府が積極的に取り組んでいる姿勢をアピールする効果はあった。

菅のマネジメントが功を奏して、安倍政権は安定軌道に乗りつつある。

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