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「出世争いで最後に勝つ人」は40代をどう過ごしたか

佐々木常夫(東レ経営研究所特別顧問)

2013年10月04日 公開 2022年05月17日 更新

「出世争いで最後に勝つ人」は40代をどう過ごしたか

年功序列を採用している多くの日系企業において、出世争いが始まるのは50代だ。昇進をかけた勝負の場で勝つのは一体どんな人物なのだろうか。東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫氏によれば、それは、40代でも諦めず成長できた人間だという。昇進を目指す仕事人のための心構えを紹介する。

※本稿は、佐々木常夫/著『会社で生きることを決めた君へ』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集してお届けする。

 

出世争いが始まるのは50代

私はかつて若い部下に対して、「3年でものごとが見えてくる。30歳で立つ。35歳で勝負は決まり。そう思って仕事に励みなさい」と言っていました。

会社に入って3年も経てば、会社の仕組みや仕事のやり方、人間関係などが見えてきます。だからこの3年の間に「正しい人生観」「正しい仕事のやり方」「正しい人とのつきあい方」を身につけて仕事に取り組めば、30歳になった頃には周囲の人たちから「彼は将来有望な人材だ」と見込まれ、それなりに責任ある仕事を任されるようになります。

その責任ある仕事に懸命に取り組んでいけば、35歳になったときには部長クラスの仕事をまっとうするだけの力を備えるのも難しいことではありません。

もちろん現実には日本の会社は経験を重視していますし、年功序列ですから、実際に部長になるのはまだ先の話です。35歳の時点では、昇進・昇格で同期との間にそれほど差がつくことはありません。しかしそれは外形上のことで、実力的にはすでに決定的な差がついています。

ですから「35歳で勝負が決まるよ」と若い人に言ってきたのです。

けれども私は最近、この考え方を改めるようになりました。もちろん35歳までが重要であることは事実です。しかし人はその気にさえなれば、40代に入ってからでも成長を遂げることがいくらでも可能だと考えるようになったのです。そう思うようになったのは、自分自身の人生を振り返ったときに、40代がいちばん成長したと感じるからです。

たしかに若いときは、やる仕事、出会う人、読む本など何もかもが新鮮で、そうした体験から人は貪欲にものごとを吸収していきます。けれども先ほども述べたように、若いときには知識や経験が不足しているので、後から考えれば余計な回り道もいろいろとしてしまうものです。

一方、40代にもなれば、知識や経験が蓄積され、ものごとのプライオリティ(優先順位)を見極める力もついているため、次第に回り道をしなくなります。そしてなんといっても大きいのは、サラリーマンの場合は40代にもなると、だいたいは部下ができるということです。

自分ひとりでできることは限られていますが、部下を適材適所に配置しながら上手に仕事を進めていけば、自分ひとりだけのキャパシティの何倍・何十倍ものエネルギーを要するプロジェクトを成功させることが可能になります。また、ものごとを達成するスピードも速くなります。だから40代のこの時期を貴重なものと捉え、しっかりと生ききれば、30代までの遅れを取り戻すことはまだ十分に可能なのです。

出世争いという観点でいえば、サラリーマンの勝負は50代にやってきます。50代になったときに、リーダーとして組織を引っ張っていくだけの力量を持った人物であるかどうかが見極められ、その評価が最終的に自分がどこまで出世できるかを決めます。

50代で勝負の土俵に上がりたければ、40代をどう生きるかがカギとなるのです。

 

50代後半から急成長した人の話

ただし、最近の私は「人は何歳になっても成長することができる」と考えるようになっています。

日本航空を再建した稲盛和夫さんが2012年2月に同社の社長に指名した植木義晴さんは、50代後半まではパイロットをしていました。専門職としての経験は豊富でしたが、経営にタッチしたことはありませんでした。それが2010年にJALが経営破綻したときに執行役員となり、そのわずか2年後には社長の座に就いたのです。

もちろん植木さんは、もともと優秀な人だったとは思います。しかし彼が抜擢されたいちばん大きな要因は、パイロットから経営に加わると決まったときから、「これからはJALの経営再建に全力を尽くそう」と、気持ちを切り換えて、新たな志を設定したことだと思います。

人は志さえあれば、何歳になってからでも成長することができるのです。

私は、浮世絵師の葛飾北斎の作品が大好きです。その代表作は『富嶽百景』や『八方睨み鳳風図』をはじめとして、その多くが70代や80代のときに描かれたものです。北斎が90歳で亡くなったときの辞世の言葉は、「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」(天が私にあと5年命を保つことを許してくれたなら、私は本物の画工になりえたであろうに)というものでした。

北斎は最後まで本物の絵師になろうと努力していたのです。

実は私自身も、この歳になってもいまだに成長を続けていると感じています。私が人生初の著書である『ビッグツリー』(WAVE出版)という本を出版したのは、2006年6月ですから、61歳のときのことです。それから出版社に頼まれるまま『そうか、君は課長になったのか。』『働く君に贈る25の言葉』(いずれもWAVE出版)などを書きましたが、それぞれベストセラーになりました。

書き進むうちに表現する技術は次第に向上していきました。こんなことは40代の自分には想像もできなかったことです。読者のみなさんの中には、「自分の能力はこの程度かな」とすでに自分自身に見切りをつけようとしている人もいるかもしれません。

しかし40代であきらめるなんて早すぎます。いくつになっても志さえあれば人は成長できるのです。

 

佐々木常夫 佐々木常夫(ささき・つねお)

1944年、秋田市生まれ。1969年、東京大学経済学部卒業、同年東レ入社。自閉症の長男に続き、年子の次男、長女が誕生し、結婚して3年で3児の父になる。妻は、肝臓病がもとで入退院を繰り返すうち、うつ病を併発し、何度か自殺未遂をする。43回もの入退院をした妻も、現在は快癒。すべての育児・家事・看病をこなさなくてはならない過酷な日々の中でも、仕事への情熱は衰えず、大阪・東京と6度の転勤、破綻会社の再建や様々な事業改革に全力で取り組み、2001年、東レ同期トップで取締役となり、2003年より東レ経営研究所社長。経団連理事、政府の審議会委員、大阪大学客員教授などの公職も歴任。
著書に『【新版】ビッグツリー』『部下を定時に帰す仕事術』『そうか、君は課長になったのか。』『働く君に贈る25の言葉』(以上、WAVE出版)、『[図解]人を動かすリーダーに大切な40の習慣』『「本物の営業マン」の話をしよう』(以上、PHP研究所)などがある。

 

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