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【企業取材】 能作 ―“伝統とは革新”を体現する人気鋳器メーカーの挑戦

加賀谷貢樹(ジャーナリスト)

2013年11月05日 公開 2022年11月09日 更新

《『PHPビジネスレビュー松下幸之助塾』20131112月号 特集 志を立てる より》

 

<ここにイノベーションあり> 「能作」 ~ 人気鋳器メーカーの挑戦

自分の手指の形に合わせてくぼみをつくるタンブラー、お酒がまろやかな味になるぐい呑み、小物入れから花かごまで思い思いの形に曲げて使う網目状のテーブルウエア――純錫〈すず〉製の「曲がる器」は、手にするだけでわくわくしてくる。真鍮〈しんちゅう〉製の風鈴の音色も、心が洗われるようだ。

まもなく創業100年を迎える老舗ながら、わずか10年前までは地元富山県高岡市からほとんど出たことのない、高岡銅器の“生地屋”だった能作は、今や東京のパレスホテル東京や日本橋三越本店、松屋銀座店などに人気店を出す“伝統工芸の星”だ。一流の職人をめざして入社を希望する若者が殺到する同社の平均年齢は31歳。その意味でも“伝統工芸の星”と言えよう。

高岡をこよなく愛し、地元高岡と日本のものづくりの発展を願って“革新”への挑戦を続ける同社の能作克治社長が語る経営哲学とは――。

 

能作克治のうさく・かつじ)

1958年福井県生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、新聞社に写真記者として入社。85年、結婚と同時に義父の経営する能作に入社し、職人の道に入る。鋳物の製作現場で17年間修業を積んだのち、2003年、4代目社長に就任。さまざまな新機軸を次々に打ち出し、同社を急成長させている。

 

 

陰に隠れた“生地屋”から自社商品開発へ

 富山県高岡市は、400年以上の歴史を持つ高岡銅器の産地。1609(慶長14)年、加賀藩主の前田利長が高岡に来て町を開いた際、現在の金屋町に七人の鋳物師(いもじ)を招いたところから高岡銅器の歴史が始まった。

 高岡が得意とするのは、真鍮などの銅合金を用いた鋳物づくり。鋳物とは、溶けた金属(湯)を鋳型に流し込み、冷却・凝固させて製品をつくる技法。日本の銅器の九割が高岡市でつくられており、東京・世田谷区の商店街に設置されている「サザエさん」一家の銅像や、鳥取県境港市の「水木しげるロード」に立ち並ぶ妖怪ブロンズ像も高岡製だ。

 伝統工芸の産地によくあるように、高岡銅器は町ぐるみの分業制の下でつくられている。「製品の原型(げんがた)づくり→鋳造→仕上げ加工→着色」という工程が一般的で、それぞれの作業を専門業者が手がけている。

 1916(大正5)年に創業した能作は、仏具や茶道具、花器などの鋳物素材を提供する生地メーカー。同社製の生地を問屋が引き取り、研磨メーカーや彫金メーカー、着色メーカーなどの手が加わり、できあがった完成品を県外に持ち込むのが、高岡における従来の鋳物の販売スタイルだった。そのため、能作の社名や同社が手がけた製品は、長く外部に知られることはなかった。

 「お客様の顔はいっさい見えず、うちでつくった生地がどんな色になり、どこに売られていくかも分からない。完全に技術だけを売っていました。そういうなかで、お客様の顔を見たい、ユーザーの声を聞きたいと思うようになり、チャンスがあれば自社商品を開発したいと考えるようになったのです」と、能作克治社長は語る。

 そんな同社に転機が訪れたのは2001(平成13)年。高岡市内で開かれた勉強会で講師を務めたクリエーターの立川裕大氏と知遇を得た。同社が手がけた茶道具の建水(けんすい)が立川氏の目に留まり、東京・原宿バージョンギャラリーで同社単独の作品展覧会「能作の鋳器『鈴・林・燐(りん・りん・りん)』」を開催することになったのである。

 展覧会に向けて、能作社長はみずからのデザインでベルを製作する。真鍮製の鋳物にあえて着色を施さず、生地表面の美しさを見せることで同社のすぐれた技術をアピールした。これが高い評価を得て、ブランドショップ「J−PERIOD」(ジェイピリオド)との初取引にこぎつけた。

 ところが意に反して、ベルが思うように売れない。能作社長は、ユーザーのニーズの“最大公約数を知っている店頭販売員に意見をきいた。

 「(能作さんのベルは)格好がよくて音も綺麗ですから、風鈴にしたらどうでしょうか」

 その意見をもとに、ベルを風鈴にリメイクして販売したところ大ブレイクし、累計2万3000個以上を販売するヒット商品に。こうした経験を経て、能作が自社商品の開発に本格的に取り組んだのが、今から10年前の2003(平成15)年のこと。販路ゼロからのスタートだった。

 

新聞社写真記者からの異色の転身

 能作社長は、福井県坂井市(旧三国町)の出身。大阪芸術大学の写真学科を卒業し、新聞社の写真記者として活躍したあと、1985(昭和60)年に高岡に移り、義父が経営する能作に入社。鋳物の製作現場で17年間修業し、全工程を身につけたあと、2003年に4代目社長に就任して10年がたつ。

 異業種から伝統工芸の世界に入り、当初はカルチャーショックを受けることもあったが、入社後3年が過ぎたころから鋳物の魅力に取りつかれるようになる。「大企業では、自分がやったことの成果はなかなか見えません。でも、ここでは自分が努力すると鋳物が綺麗になっていくことが実感できる。中小企業のいいところは、そこなんです」と能作社長は言う。17年におよぶ現場修業で培った鋳物の技術を、従来とは違う方向に活かしていくことを目標に、商品開発に取り組む日々が続く。

 同社の商品開発テーマは、「素材とデザイン」。金属素材のよい部分を引き出しつつ、その時々の “時代を映すデザイン” を盛り込み、より身近な生活工芸としての金属の可能性を追求している。

 だが農耕民族の日本人は、木製品や陶磁器を伝統的に好み、金属に苦手意識を持っている。日本人が金属に対して抱く“冷たい、切れる、臭いがするというイメージを払拭したいというのが、能作社長の願い。

 そこで、商品開発を始めるにあたり店頭販売員に意見をきくと、「金属製の食器がいいのではないか」という。だが、同社が扱い慣れた銅合金では、器が食品に直接触れてはならないと食品衛生法で定められている。あれこれ考えた末、同社の職人が持つ技術で鋳造できる、食器に適した素材は錫ではないかという結論になった。

 錫は、空気中や水中で腐食されず、殺菌作用もある。錫製の器は  “手によく馴染む” とか、お酒を注ぐと “まろやかな味になる” とも言われている。ふつうは錫とアンチモン、銅・鉛などの合金であるピューターを用いるが、能作では環境・リサイクル性を考え、鉛フリーの純度「フォーナイン」(99.99%)の純錫を採用し、他との差別化を図った。

 

ヒット商品「曲がる器」の誕生

 表面を磨かず、生地の美しさを活かした製品づくりが、能作の純錫鋳物の特徴だ。鋳物の表面に現れる微妙な凹凸である鋳肌が、ぬくもりや優しさを表現している。ビアカップ、シャンパングラス、タンブラー、盃などの定番商品に加え、今年七月には、新たにぐい呑み「山岳シリーズ」も登場した。

 同シリーズの第一段は、富山県が誇る日本三名山の1つである「立山」。立山連峰のパノラマを器の外側面と底に巻きつけた形が特徴で、2015年春の北陸新幹線開業を盛り上げるために開発した。第二段は、6月に世界遺産に登録されたばかりの「富士山」で、「大沢崩れ」や「宝永火口」なども再現され話題になった。今年能作が世に送り出した新製品は、8月までに40アイテムを数える。

 今では錫の食器は同社を代表する商品だが、能作社長は当初、純錫は柔らかく曲がりやすい素材であることが欠点だと思っていた。金属が硬ければ、鋳物を鋳造したあとに切削などを施して追加加工もできるが、柔らかい素材が相手では、削ることも研磨することも一筋縄ではいかない。

 7年前、著名デザイナーの小泉誠氏と一緒に商品開発を始めたころ、能作社長は、「錫はいい素材だが、柔らかく曲がりやすいことが唯一の欠点」だと話した。すると小泉氏は、「曲げて使えばいいじゃないですか」と答えたという。

 同社の新たなヒット商品である「曲がる器」のコンセプトは、こうして生まれた。

☆本サイトの記事は、雑誌掲載記事の冒頭部分を抜粋したものです。

 

著者紹介

加賀谷貢樹(かがや・こうき)

ジャーナリスト

1967年秋田県生まれ。茨城大学大学院人文科学研究科修士課程修了。産業・環境機械メーカー兼商社に勤務後、独立、ジャーナリストとして新聞、雑誌等に寄稿を開始。著書に『中国ビジネスに勝つ情報源』(PHP研究所)などがある。これまでに全国二十数カ所の「ものづくり」の街を取材。国認定「高度熟練技能者」の現場取材も担当。

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