1. PHPオンライン
  2. 編集部おすすめ
  3. レンブラント『夜警』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】

編集部おすすめ

レンブラント『夜警』【和田彩花の「乙女の絵画案内」】

和田彩花(アイドルグループ「スマイレージ」リーダー)

2013年12月06日 公開 2015年04月24日 更新

 

レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)

17世紀オランダを代表する画家。明暗をはっきりと対比させた表現を得意とし、「光と影の画家」とも形容される。1606年、独立直前のオランダの都市ライデンに生まれる。18歳のときにアムステルダムで当時人気のあった画家、ピーテル・ラストマンに師事し、強いコントラスト表現などを学ぶ。1632年には集団肖像画の代表作『テュルプ博士の解剖学講義』(マウリッツハイス美術館蔵)を制作し、高い評価を得た。裕福な女性サスキアと結婚したあと、大規模な工房を主宰する。浪費癖や私生活の不幸によって没落するが、その評価は国際的にも高く、西洋美術史における巨匠の1人とされる。

 

恐ろしい絵画

 マネによって絵画の魅力に目覚めた私ですが、その次にとても好きになった画家がレンブラントでした。

 2011年春、国立西洋美術館の『光の探求/闇の誘惑』という展覧会に行ったことがきっかけです。

 マネが描いた「黒」が私を絵画の世界に導き、レンブラントへとたどりつきました。マネの絵にはなかった、闇へと差し込む光が、心に突き刺さってきたんです!

 絵画における黒を強く意識するようになっていたからこそ、その強烈な光が目に飛び込んだのだと思います。「光」の存在を、そのとき初めて強く認識しました。

 マネとは違う黒。黒というより闇。そしてそこに射してくる光。マネの描く黒は“見える黒”ですが、レンブラントの黒は“光がないと見えない黒”なんです。

 黒を描いたマネと、光を描いたレンブラントの黒はまったく違うものですが、どちらにも魅力を感じます。

 でも、心ひかれてはいるのですが、レンブラントが描く世界がなんだか怖く感じる自分もいました。

 レンブラントの描く宗教画の世界や、特徴的な黒々とした目が怖かったのです。

 宗教画の意味や物語を、当時はほとんどわかっていなかったせいもあると思います。有名な『キリスト昇架』(アルテ・ピナコテーク蔵:左図)なんかも、「なんでこの人は十字架にかけられているんだろう」と感じちゃって。

 最初は光に目を奪われて好きになったレンブラントですが、絵に描かれている世界の暗さに、恐ろしくなってしまいました。

 でも、絵画について自分で調べたり、勉強しているうちに、宗教画に描かれている物語がわかるようになったんです。宗教画は風景画と違って、絵のなかにいろいろな仕掛けが施されています。そうした意味がわかるようになって、またレンブラントの絵が大好きになりました。

 描かれた世界観を知識として学ぶことは、絵画鑑賞において大事なんだなと実感しています。知識がつけば、絵を観ることがもっと楽しくなる! 美術史を専門的に大学で勉強してみたいと思うきっかけのひとつでした。

 

ほんとうは存在しない少女

 レンブラントの傑作といわれる『夜警』(アムステルダム国立美術館蔵)は、残念ながらまだ実物を観たことがありません。

 この『夜警』というタイトルは通称で、じつは夜を描いた絵ではないそうです。後世、絵画の表面が変色したことによる誤解だったといいます。『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』というのが、正式なタイトルです。

 肖像画で名声を得たレンブラントですが、この絵も集団肖像画として発注されたものでした。

 なんといっても、絵の左下にいる少女が気になります。スポットライトのように光が当たっていますね。

 この少女は、レンブラントに絵を発注した「火縄銃組合」を象徴する擬人像です。少女の腰に描かれている鶏の爪が、火縄銃を象徴しているようです。

 でも、何かを象徴させたいなら、ここにわざわざ人を描かなくてもいいはず。たとえば鶏だけでもいいし、もっとわかりやすい何かを絵のどこかに描けばいいのに、なぜ、あえて少女を描いたのだろうかと考えてしまいます。

 モデルが男性だけなので、そこに少女を入れることで、絵に目を向けさせようとしたのかもしれませんね。

 この少女は、現実には存在していません。

 なぜなら、ここに描かれている男性たちは、明らかに少女の存在に気づいていない。それなのに、強烈な光をレンブラントは当てている。この絵の細部まで注目してもらうための、レンブラントらしいアイデアだったのかもしれません。

 そもそもこの絵が、組合から依頼された集団肖像画だったということ自体が不思議です。集合写真のような構図で、全員ちゃんと描いていたら組合らしくなると思うのですが、あえてそうしないところにレンブラントの強い意思を感じます。

 手前に並んだ、光の当たっている2人が、組合の重要人物です。市民隊の隊長と副隊長。いくら隊長と副隊長といっても、2人が目立ったせいで隠れてしまったうしろの人たちの立場はどうなるんだろう? 

 やはり組合のような集団を描いた絵には見えません。うしろの人たちは、まるで通りすがりの人のような扱いです。これを観た、そのモデルの組合員たちは怒らなかったのかな?  そんなことを思わず心配してしまいます。

 実際、不満に思った依頼主もたくさんいたようです。

 集団肖像画ではみんな平等に描くという約束を無視して、依頼主たちに不満をもたれながらも、レンブラントが描きたかったものは何なのでしょうか?

次のページ
人間の光と闇を描く

関連記事

×