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ディズニーランドのワールドバザールには、なぜ屋根が付いたのか

ホリテーマサロンテーマパーク研究会

2014年05月30日 公開 2024年02月01日 更新

《『ディズニーランド成功のDNA』より

 

そもそも、なぜワールドバザールと呼ばれているのか?

 東京ディズニーランドの入り口のゲートを通り過ぎて、ミッキーマウスの顔が描いてある花壇の先にワールドバザールはあります。ワールドバザールも、トゥモローランドやファンタジーランドと同じように一種のテーマエリアになっていて、主な役割は飲食物とスーベニア(土産物)の販売です。このエリアは世界中の他のパークではメインストリートUSAと呼ばれていますが、東京ディズニーランドだけは「ワールドバザール」と呼ばれています。

 メインストリートUSAは、ウォルトの生まれ故郷マーセリンの町並みがモデルとなっていて、ここには19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカで流行した音楽であるラグタイムが流れています。古きよき時代のアメリカを再現した街並みには小さな映画館もあり、これは1つのアトラクションとなっていました。

 その「メインストリート・シネマ」は、短編アニメ映画6作品を同時に上映するアトラクションです。このアトラクションは、後に映画プロデューサーとなり、歴史的な成功をおさめるウォルトが生まれ育った環境を再現するために欠かせない重要なアトラクションでしたが、残念なことに2002年10月20日に終了しています。ディズニーのDNAがまた1つ失われてしまったような気がしています。

 メインストリートUSAも、ワールドバザールもテーマは同じであり、つくりもだいたい同じです。ではなぜ、ワールドバザールと呼ぶのでしょうか? 東京ディズニーランドの開園から30年が経ち、聞き慣れてしまっていて、古きよき時代のアメリカを再現した街並みが、なぜ「ワールド」と呼ばれるのか、誰も不思議に思っていないかもしれません。

 ワールドバザールという名前が出てくるのは、オリエンタルランドとディズニーの交渉が第2フェーズに入ってからのことでした。1976年7月に改訂を重ねたマスタープランがやっとできあがり、その中でテーマパークが次のように配置されることが決まりました。

(1)アドベンチャーランド
(2)ウエスタンランド
(3)ファンタジーランド
(4)トゥモローランド
(5)ワールドバザール

 このときに決定されたワールドバザールのコンセプトは、次のようなものでした。

 「世界の各国民がショッピングする場所であり、出会いの場ともする。さらにここにはモールプラザがあり、世界中からの店、レストラン、展示館を設ける」

 つまり「世界中からお店を集める」というコンセプトがあったことから、この名がつけられたのです。

 ただ、ワールドバザールにはメインストリートUSAにはない大きな特徴があります。それは、特殊なガラスが4000枚も使用された「オールウェザーカバー」と呼ばれる屋根がついていることです。

 

なぜ、ワールドバザールに屋根が付いたのか?

 梅雨や台風など、雨の多い日本の気候から考えられたもので、オリエンタルランド側から提案したものでした。最初、ディズニー側はこれに大いに反対しました。それどころか、ディズニー社の重役たちはこの申し入れを聞いて、笑い出したのです。

 というのも、アメリカのディズニーランドにも、ウォルト・ディズニー・ワールドにも一切こうした屋根はなかったからです。

 ディテールにこだわるディズニー社らしい意見で、「ウォルト・ディズニーが生まれ育った町マーセリンには、屋根がついたアーケードはない」というのが彼らの主張でした。

 また、フロリダの降雨率は日本とほぼ変わらないという認識があったので、屋根をかける必要性はないと考えていたのです。

 これには、オリエンタルランド側は困りました。飲食やショッピングをするときに傘をさして歩かなくてはならないのではゲストが大変な面倒を感じます。雨の日に来園したゲストが屋根の下で自由にショッピングできるスペースが必要です。

 フロリダでは、雨が降ってもすぐに晴れ上がり、しかも空気が乾燥しているので服が濡れたとしても、すぐに乾きます。ところが、日本は違います。湿度の高い気候ですから、一度濡れるといつまでも乾きません。また、道路もすぐに乾かないので、足が滑ったり、不潔感も漂います。

 このことを彼らにわかるように主張し、東京ディズニーランドは清潔感を全面に出す必要があり、そのためにも屋根がどうしても必要だとアピールしたのです。

 すると彼らもやっと、「なるほど、そういうことか」と納得してくれました。

 また、屋根のついたアーケードの成功例を見せることにして、ディズニーのイマジニアたちをイタリアのミラノにある「ガレリア」に招待しました。ガレリアは、商店街の高い位置にガラスなどで屋根をつくり、歩行者のために空間をつくったもので、大聖堂(ドゥオモ)とスカラ座を結んでいます。

 雨の日でも自由にショッピングでき、しかも美しい機能性を現地で感じたディズニーのイマジニアたちもこの件について納得し、かくしてワールドバザールに屋根がついたのでした。

 

<書籍紹介>

ディズニーランド 成功のDNA

ホリテーマサロン テーマパーク研究会著

東京ディズニーランドの成功の秘密、そしてそのホスピタリティの源流は、日本への誘致・建設のコンセプトのなかにあった。

 

<著者紹介>

ホリテーマサロンテーマパーク研究会

ホリテーマサロンは、メディア関係者が東京ディズニーランドの総合プロデューサーを務めた堀貞一郎氏を招いて開催していた朝食会が発展してできた勉強会です。この会は、毎回1つのテーマについて講師から話を聞くことと、1業種1会員の異業種交流会であることが決められていました。後に帝国ホテルで毎月開催されるようになり、2月と8月を除いて、毎月1回ずつワインやビールを片手に、招いた講師の講演を聞いたあと、フリーディスカッション形式で知見を広めていきました。講師には。事業家・作家・芸術家・学者・アスリートなど、さまざまな方々が登場しました。ときには、堀氏自身が講師となって、「東京ディズニーランドを誘致した当時の話」や、「モーツァルトの楽しみ方」「長江とダム建設と西遊記」「歌舞伎はこう見ればもっと楽しい」など多彩な話が繰り広げられました。

2012年5月の記念講演を最後にホリテーマサロンは幕を閉じましたが、その後、株式会社プラネットの代表取締役・小池和人氏を中心に「テーマサロン」として引き継がれています。

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