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生き方

下重暁子・「人生の作文」~書いて心を裸にする

下重暁子(作家/元NHKアナウンサー)

2014年10月01日 公開 2023年01月12日 更新

『最後はひとり』より》

 

最後はひとり

 今頃になって、気付くことがある。私が思っている事、書いている事のすべては、幼い頃に端を発していて、長い間忘れていただけだということを。人間の感性は、年をとっても変らない。表現する方法が変化するだけである。

 自分の内側に降りていって、心を見つめて初めて気付く。その事を、私は「自分を掘る」と言っている。

 書くことは、自分を掘る作業である。現象をそのまま認めるのではなく、なぜなぜと掘っていく。なぜ私がその花に惹かれるのか。それは何が原因か……。どんどん掘り進める事によって、自分の思っていた事、考えていた事が姿を現す。それを文字に移し変えていくのが書くことなのだ。

 子供の時代、2年間病気で寝ていた私は、いつもひとりで孤独だった。決してそれが嫌ではなく、甘やかな感傷と誇りの中で享受していた。

 淋しくなどなかった。読むことと書くことがあったから、活字の世界で妄想の世界に遊ぶ事を知っていたからだ。

 年を重ねた今もそうである。幾多の仕事を経て、まわりまわって活字の世界に戻り飽きることがない。人生の締め切りまで、最後はひとりで立ち向かっていく覚悟が出来ている。

 人はひとりで生まれてひとりで死ぬ。たくさんの家族や友人知人に囲まれていても、最後はひとりなのである。

 句友の小沢昭一さんは「長生きすると、友だちがいなくなるよ」とよく言っていて、自分はさっさと逝ってしまったが、「最後はひとり」の覚悟が出来ていて、亡くなる前後に出た本は数知れない。自分の集大成を活字にまとめて、しっかりした足取りで次の場へ足を進めた。活字にすることが、生きていた間の自分を確かめることだという認識の上に立っていたのだ。

 「最後はひとり」。そろそろ準備にかからねばならない。そこで、書くことをもう一度検証してみた。なぜ書くのか。何を書くのか、どう書くのか……。その作業は自分と向き合ってほんとうの自分を知ることである。

 人に見せなくてもいい。客観視するために見せるのもいい。自分の心に向かい合い、これでもかこれでもかと掘り進む。今まで見えなかった自分が見えてくる。気が付かなかった事柄や感性に突き当たる。人生の深さを改めて知るかもしれない。老いの孤独を乗りこえるためにも書くことを勧めたい。「最後はひとり」の時間を有効に。一生に一度の「人生の作文」を試みるのもいい。この本がそのためのヒントになれば幸せである。

 

内なる思いを形にする

 ものを頼む事が苦手だ。特に自分の仕事については。他人の事ならいくらでも出来るのだが、自分の事はうまく言葉にならず、結果がついてこない。

 人には2種類あって、自分から積極的に他人に向っていくタイプと、じっと息を潜めて待っているタイプ。私は自分の思いを凝縮させてじっと待つ。一度これと的をしぼったらそこから目を離さない。しばらくすると、相手が気付く。恋愛についても同じ。網の隅で蜘蛛はじっと待っている。結構エネルギーを必要とするが。もくろみ通り向うがこっちを向いた時は嬉しい。

 NHKでアナウンサーをしていた頃、1年先輩に野際陽子さんがいた。名古屋に転勤して、1年間隣の部屋で暮らしていた事がある。

 野際さんは大学時代から演劇をやっていて、後年イタリーのルッカで出会った同じ演劇部の上級生だった男性は、野際さんの事を「ノギ、ノギ」と呼んでいた。彼女の机の上には、同じ演劇部だった恋人の写真があった。私は野際さんの内に秘めた、演ずる事への想いを知った。

 私自身は演ずる事への興味はなかった。中学・高校時代も他人を演じる事とは縁遠かったし、興味は自分に向っていた。大学で、黒田夏子脚本で早稲田祭に参加した時も、演じるのは友人で、私は朗読を担当した。多くは喋らず、言葉を選びに選んで、喋る事を私は心がけた。自分の内へ内へと向かうものを大切にした。大学時代から詩を書いていたし、卒論は萩原朔太郎。就職してアナウンサーという外へ向って語る仕事になっても、私は、自分の内側をどこかへすべりこませて言葉を選んでいた。

 番組紹介の頭のたった10秒の挨拶でも、毎日ちがう事をいう。自分の感性で見つけたものをすべりこませるのを義務にした。

 梅雨時の夕方なら「遠くで雷が鳴っています」とはじめる。「日比谷公園のサルビアの紅がすっかり深くなりました」といえば、秋も深まった事がわかる。

 私は詩を書くような俳句を作るようなつもりで言葉を選んだ。それが楽しくて嫌いな仕事にも精が出た。人と話す事は嫌いだったから苦痛な事も多かったが、言葉に興味を持つ事で切りぬけた。

 何のまちがいかアナウンサーとして人気が出た後、ドラマに出ないかという話があった。

 NHKの女優づくりの名人というプロデューサーからで、朝の連続テレビ小説『たまゆら』という川端康成原作の主役で誰もがやりたいものだったが、結局断った。ちょっとは気が動いたのだが、「演ずる」事への楽しさがわかってはいなかったし、自分をよく知っていたからだと思える。

 正解だった。何を選択するか、その連続が人生であり、そこで方向性が決まってしまう。振返ってみると自分の選択は、多少の寄り道はあっても自分で決めた一本の線上にあり、後悔した事はない。

 野際さんは5年でNHKをやめ、女優になった。私は9年間NHKにいて、もの書きの道を選んだ。

 こう見てくると、私がなぜ書くことにこだわってきたかがよくわかる。自分でも判然としていなかった事を整理してみると、いつだって私はそこから離れては存在しなかった。書くことで自分の気持や考え方を整理する。私は活字人間であった。

 最初からこの一筋につながる生き方が出来ればよかったが、食べていくためにもあちこち寄り道をし、遊ぶ事も大好きなので、一筋とはいかなかったが、結局落着く所に落着いた。人生の残りは、ものを書く、フィクションにも挑戦したい、と自信を持っていえるようになった。

 エッセイ、ノンフィクション、評論と80冊以上の本を書いても、まだほんとうの自分が書けていない。書きたい事はこれからだ。自分の奥の奥まで掘り進めなくてはならない。

 年を重ねる事は個性的になる事。私はようやく書くという最後のものに直面することが出来た。ほんとうにしたい事、ほんとうにしなければならない事。人生の最後に向ってこの道一筋につながる。

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著者紹介

下重暁子(しもじゅう・あきこ)

エッセイスト

早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。女性トップアナウンサーとして活躍後、フリーとなる。民放のキャスターを経て文筆活動に入る。ジャンルは、エッセイ、評論、ノンフィクション、小説と多岐にわたる。財団法人JKA(旧・日本自転車振興会)会長等を歴任。現在、日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会会長。主な著作に、『家族という病』(幻冬舎)、『老いも死も、初めてだから面白い』(海竜社)、『自分に正直に生きる』(大和書房)『持たない暮らし』(KADOKAWA)などがある。

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