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「4K予算」に拘泥する無能無責任内閣

林芳正(参議員議員/自由民主党シャドウ・キャビネット財務大臣)

2011年05月16日 公開 2022年08月18日 更新

「4K予算」に拘泥する無能無責任内閣

"「復興再生債」を発行せよ

 東日本大震災から2カ月が過ぎようとしている。いまだ死者・行方不明者の数は増え続けており、被害の全貌がみえたという状況には至っていない。津波が引き起こした福島第一原子力発電所事故も、予断を許さない状況が続いている。

 震災発生直後から、われわれ自民党では緊急災害対策本部を設置し、党の総力を挙げて被災者支援に取り組んできた。また政策づくりにおいても、これまで戦後最大の被害を出した阪神淡路大震災を一つの参考とし、国として何ができるかを全力で検討している。

 だが東日本大震災は、阪神淡路大震災を含めた過去の大地震とは大きく異なり、原発事故を考慮に入れて対策をせねばならない。現在、わが党では震災対応と原発対応を分け、政務調査会のなかに4つのチームを設置して事態に当たっている。

 震災対応については、瓦礫の処理や仮設住宅建設などの緊急課題に対して法律を中心に整備をする「法整備等緊急対策プロジェクトチーム」。座長の小里泰弘氏は、阪神淡路大震災のときに大臣秘書官を務めており、当時災害対応にあたった経験をもつ。もう一つは、中長期的な復興・再生プランを考える「復興再生基本法等の検討に関する特命委員会」である。

 原発対応については、原子力の災害事故対応、補償関係などを考える「原発事故被害に関する特命委員会」。茨城県選出で、かつて東海村JCO臨界事故対応も経験された額賀福志郎氏が中心となっている。そして、中長期のエネルギー政策について検討する「エネルギー政策合同会議」である。

 この4チームが同時並行的に動き始めたところだが、いち早く小里チームが第一次緊急提言を取りまとめた。被災者支援、避難所対策、ライフラインの復旧、生活・産業インフラの復旧など、きわめて具体的な内容となっている。なかでも目玉政策は「思いやり基金の創設」である。被災者や被災事業者に対し、当面必要な生活・事業支援など制度の隙間を埋める基金を国の責任で被災地ごとに設置し、その使い道を被災地の方々に自由に決めてもらうというものだ。

 この緊急提言はすでに政府に申し入れを行ない、回答も得ている。現在それを踏まえ、さらに改善を加えた第二次提言を早急に作成しているところである。同時に、これらの提言を早急に実行に移していかねばならない。

 阪神淡路大震災の際は、平成6年度に二次補正、平成7年度にも一次補正と二次補正を行ない、総額約3兆3,000億円もの費用がかかっている。今回は、阪神淡路大震災を超える規模なので、費用も当然、当時を上回ることは確実である。すでに、一次補正予算編成をめぐる与野党協議が始まっているが、今回は瓦礫処理や仮設住宅建設などの緊急措置が主体になると思われる。この内容については、与野党間に大きな隔たりはない。

 問題となったのは、予算4兆円の工面方法であった。政府は、年金の国庫負担を2分の1にするために組んだ予算2兆5,000億円を転用するとした。しかし、そこで年金財源に空いた穴をどうするのかについての明確な見識はなかった。さらに、子ども手当の上乗せ分を補正財源に回すとしたが、それでは2,000億円分にしかならない。不要不急の「バラマキ4K」(子ども手当、高速道路無料化、農家への戸別所得補償、高校無償化)の予算を、なぜすべて補正財源に回さないのか。

 また菅総理は今回の補正で国債を発行しないとの方針を打ち出したが、これも認識が甘いといわざるをえない。これだけの大規模災害にあっては二次補正、さらには三次補正も視野に入れて考えねばならない。予算の転用だけで賄いきれるはずもなく、いずれ国債の発行を余儀なくされるに違いないのだから、一次補正の段階から議論を始めておくべきなのだ。

 復興の財源についてわれわれは、既存の予算のなかの4Kのような不要不急のものを削ったうえで、「復興再生債」を発行すればいいと考えている。それは、いままでの赤字国債、建設国債とは別勘定とし、償還にあたっても別途、資金を調達する。たとえば10年償還だとすれば、これから10年のあいだに、それを返す資金を調達すればいい。これだけの大きなショックで経済が落ち込んだ直後に増税をするようなことをせずともいいのだ。その場合、個人的な意見を申せば、いずれかの段階で所得税や法人税を臨時的に割増して、毎年決まった額を、返還資金として貯めていく。発行段階から償還への道筋を描き、いままでの国債とは別の枠組みで、そこで完結するように設計する。こうすれば、年金財源にも手を付けずに済み、急な消費税大幅増といった事態も避けられる。

 復興財源を日銀が直接引き受ければよいとの議論もあるが、それを主目的にした政策形成や国債発行は避けたほうがよい。「日銀の直接引き受け」という側面が強調されることで逆に、日本国債の需給状態がよくないとの誤解を与えてしまう恐れがある。要は、国債が安定的に消化されることが大切なのだ。いまでも日銀は、市場を通じて国債を引き受けている。現在のように1.2~3%という低い金利で国債が消化されているあいだは、まだそこまで考える必要はない。

「盤石なモノづくり」の構築を

 被災地への支援、復興に加えて考えねばならないのは、大震災が及ぼす日本経済全体への影響である。景気はかなり冷え込むことが予想される。

 まず、国民全体が「自粛」モードに入っていくことである。直接的な被害のない西日本でも、夏の花火大会を中止するといった動きが出たが、このようなことは必要以上に経済を落ち込ませる。私は各地で「自粛の自粛」を呼びかけているが、被災していない地域では、通常どおりの生活を営むべきなのだ。それが結果として、東日本への支援をする力につながっていく。

 第二に、先行き不安から、日本全体の消費低迷が予想される。第三に、日本企業のサプライチェーンが綿密につながっていることだ。震災直後には、被災地区の生産額は日本全体の1割程度にすぎず、それほど深刻な影響は出ないともいわれたが、東北地方は、最先端の部品を数多く手掛ける地域である。その部品がないために工場が操業できないという事態が全国で起きた。

 ここで思い出すべきは、リーマン・ショック後に麻生政権下で行なった対策である。15兆円という大規模な補正を組み、短・中・長期に経済を刺激する三段構えの政策を講じたのだ。

 まずは公共事業と、中小企業の過度な倒産を防ぐための緊急融資。二段目に、エコポイントやエコカー減税などを導入した。実際これによって2、3年は消費が上がり、波及効果も大きかった。そして三段目に、長期的なサプライサイドの強化を図るための基金を創設した。太陽光パネルを国で買い上げて小中学校に設置、農地拡大の振興、介護施設の増加、介護従事者の給与水準引き上げなどが想定され、約3年から5年かけて効果が表われ、持続的な成長を生む目論見だった。

 残念ながら三段目に入る前に政権交代となり、基金は子ども手当など別の政策の財源に使われ、3兆円から4兆円が失われてしまった。しかも民主党の政策は家計に直接お金を入れるデマンドサイド政策が中心であり、さらには温暖化ガス25%削減、最低賃金の急激な引き上げ、派遣業の規制強化といった経営者のマインドを冷やす政策ばかりを打ち出したのだから、景気回復、経済成長など望むべくもなかった。

 かつて関東大震災が発生したのちには復興特需が起こっている。阪神淡路大震災のときも95年のGDPは前年を上回った。今回の震災の復興・復旧にあたっても、補正を行なうことによって、経済の底上げを実現しなければいけない。そのときに、民主党の失敗を教訓に、いまサプライサイドを強化する対策に切り替えるべきである。

 そのときには、たんなる被災地復興ではなく、ピンチをチャンスに変える発想で、新しい構想を打ち出していく必要がある。一次産業をより大規模化して生産性を上げる、新たな産業の拠点を設ける、環境やエコに配慮した社会につくりかえる……こうすれば、復興特需が起こるにとどまらず、新たな成長をも生むことになるだろう。

 東日本の電力不足のため、モノづくりをベースにした日本の産業はもはや成り立たない、といった悲観的な見方も一部にはある。しかし、カンバン方式に象徴されるような、リダンダンシー(建造物や機械類・システムの設計における余裕・余地)をもたず、一つの部品がなければ生産は止まるといった体制は、逆にいえばそれだけ非常に効率的なものだったのだ。今後、各企業が、現体制のうえに大災害に備えた新たなサプライチェーンを構築すれば、いっそう盤石なモノづくりの体制となるであろう。

 民主党は盛んに「コンクリートから人へ」といい、事業仕分けにおいて、防災対策に対し「何百年に一回しか起きない洪水のために堤防をつくるのはムダだ」と批判してきた。だが、千年に一度しか起きないことが実際に起き、これだけの人命が失われたのである。われわれは災害の多い国土に住んでいることを意識し、限られた財政のなかで可能なかぎりのインフラ整備をやっておくべきなのである。今回の大震災で、さすがの民主党もそのことを理解したことだろう。

 また、復興を議論するなかで必ず、東京のあり方が問題となる。政治、経済、文化、マスコミなどのすべての機能が一極集中している東京に大災害が起これば、日本全体の機能が麻痺してしまう。首都機能の分散は、もはや避けて通れない。

 これは新しい日本のグランドデザインを創造することである。たとえば、リダンダンシーと分散ということを考え、仙台や札幌、大阪、広島、博多といった各地域の中核的な都市にどんな機能をもたせるかを考える。「しなやかで多極的な、新しい日本」をつくりあげていくことは、新しい成長の起爆剤にもなるだろう。首都機能の分散が実現すれば、各都市へのアクセスやインフラ整備も再考を迫られるし、各企業のサプライチェーンも変わってくる。その結果、震災・災害に強い国家が誕生するのである。

大連立を行なう絶対条件

 いま日本に暗い影を落としているのは、福島の原発事故である。この事故対応に関しては、とくに初動対応における菅総理のリーダーシップに問題があったといわざるをえない。現場のことは現場に任せ、それを総理なり官房長官が総括し、最終的に難しい判断を行なうのが、あるべき姿であろう。菅総理は技術者でもないのに、あまりに細かい点にまで介入し、非常事態の場合に不可欠な、一糸乱れず統一された指揮命令系統で動く体制構築すら、まったく果たせなかった。

 また、国民の不安感を拭い去るためには、リーダーは早いうちに事態解決の見通しなりプランを発信することが望ましいが、残念ながら菅総理の会見をみればみるほど、こちらが心配になるほどであった。大臣や関係者の会見においても、あとで言質を取られないように、「当面は大丈夫」といった言い方ばかり。「では先はダメなのか……」と国民に裏読みされて、かえって不安を助長する結果となった。

 正確な数字を発表して、どれほどの確率でどのようなリスクがあるのかを明確に述べてもらったほうが、安心するというものだ。限定的な言い方になるのは、「あとで責任を問われるかもしれない」という臆病心があるからだ。リーダーに責任を取る覚悟さえあれば、こういった問題は起こらない。

 さらに災害発生時の政策形成には、学術的な正しさよりも地元や現場の意見を重視することと、決定した政策は官僚機構を掌握しながら着実に実行していくことが不可欠である。しかし、菅政権は両者とも欠けている。とくに後者については、政権交代以降、政治主導という名のもと、官僚との関係は断絶状態である。この難しい時期に、経験の浅い民主党が、このまま政策を運営できるとは、とうてい思えない。

 現段階でもわが党は、与野党協力して、この日本の難局を乗り切ろうとしている。だが、民主党政権のリーダーシップとマネジメント力の欠如には、大きな不安を抱かざるをえない。

 たとえば民主党は、いまだマニフェストにしがみつき、この変更について党内一致がみられない状態である。端的な例をいうと、ガソリン1L当たり160円が続くと暫定税率を引き下げる「トリガー条項」の廃止を政府に提言し、政府側も了承したのだが、民主党内で反対に遭い、なかなか決定されなかった。かつて「ガソリン値下げ隊」で話題をまいたものだから固執されたのかもしれないが、こんなことすら決められないのかと、もはや呆れる以外にない。

 自民党は長いあいだ与党だったが、国民から多数の票をいただき、自身の党から総理を出し、政府を背負っているという責任感はつねに持ち続けていた。また、ある事項を決定するときには、きちんと党内で議論を尽くし、政府と党でも議論を重ねたので、与党の決定には当然、党議拘束がかかった。

 だが民主党政権では政策がどのように議論されているのか不明瞭だし、民主党政府が出した法案でも、その政策に反対する議員が国会の委員長を務めている場合には「審議しない」などということすら起きる。いったいガバナンスはどうなっているのか。与党である以上、もっと責任感をもってもらわねばならない。

 本来であれば、このような激甚な災害のあとには、一致協力して乗り切っていかねばならないが、あまりの体たらくに、民主党内からすら「菅降ろし」の声が挙がっている。本稿執筆時点でさえそうであって、本誌が発売になる5月にどうなっているかもわからぬ状態だ。

 これは国民にとってあまりに大きな不幸である。もっとも望ましいのは政権交代を行なうことだが、少なくともこの先、6カ月は選挙ができる状況ではない。わが党としては、かくも無能無責任たる菅総理を延命させる大連立に応じるつもりは毛頭ないが、「菅総理が総理を退くのと引き換えに挙国一致内閣ができないか」というのであれば、暫定的な大連立によって、しっかりと国の政治のあり方を整え、立て直すことも考えざるをえまい。

 ただし、仮に大連立という事態になれば、自民党と民主党、そして公明党まで含めると、国会での議席は8割から9割にも及ぶ。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」という言葉があるように、大連立の長期にわたる継続は議会制民主主義にとって好ましくない。大災害を乗り越えるための異例の体制なのだから、連立の期間とミッションは必ず限定すべきであろう。

 いずれにしても、今後の復興再生に際して、菅総理はあまりの足枷である。誰が引導を渡すかというより、菅総理自身が一刻も早く後進に道を譲るという英断をされることを期待する。むしろ本誌が発売されるまでにその決断がなされていることを希望しつつ、筆を措きたい。

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