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なぜ憲法論議には歴史認識が必要なのか

倉山満(憲政史研究家)

2015年05月19日 公開 2022年12月15日 更新

憲法を論じる前に考えてほしい。

帝国憲法物語 なぜ幕末維新の志士たちは、戦ってくれたのだろうか。なぜ特攻隊の若者たちは、自らの命を懸けてくれたのだろうか。

 今の日本のようになるのが、嫌だったからではないだろうか。自分の力で生きていない、自分の足で立っていない、自分の頭でものを考えていない、そして去勢されてしまって自分の手で自らの運命を切り開く魂を失っている今の日本のようにしたくないから、自らの命を懸けて戦ってくれたのではないだろうか。

 日本人は、前文と百三条の条文からなる日本国憲法が日本の憲法のすべてだと思っている。しかし、これこそが日本国憲法に縛られているということなのである。

 誤植の1文字でも変えれば「戦争になる」と声高に叫ぶ護憲派は論外である。だが実のところ、日本国憲法の条文を変えれば「戦後レジームの脱却」「自主憲法制定」だと思い込んでいる改憲派こそ、深刻かもしれない。日本国憲法こそ戦後レジーム、すなわち日本を敗戦国のままにさせる体制そのものではないのか。なぜ、その条文をいじることが自主憲法の制定になるのか。

 しかも改憲派は、「皆が議論しやすいところから改憲をはじめよう」「一度は国民が憲法を改正したという実績をつくるべきだ」「憲法は変えられるのだということを国民が知ることに意味がある」とのことで、最も対立が激しい憲法九条は避けている。そうした考えで、緊急事態条項、環境権、財政規律を打ち出すとのことである。要するに、自民党、公明党、財務省の3者の談合で憲法改正を実現しようとの目論見なのだが。

 果たして、改憲を口にしただけで二言目には「戦争になる」と絶叫し日本国憲法の誤植1文字削らせない護憲派が、緊急事態条項などという物々しい名前の条項を飲むであろうか。衆参両院で3分の2の多数の賛同を得られるのであろうか。

 また、財政規律条項などを持ち出されたら、私(倉山)は命懸けで抵抗するだろう。財政法に財政規律条項があるばかりに、自殺者が1万人増えてでも増税しようとした増税原理主義者が猛威を振るい、15年のデフレでどれほどの人が苦しんだか。法律ですらこれほどの影響を持ったのに、憲法に書き込まれでもしたら、それこそ錦の御旗になるのではないのか。

 まさに憲法に財政規律を書き込むことは財務省増税派の悲願である。改憲派はそのような形であっても、日本国憲法の条文をいじれば満足なのだろうか。

 改憲派は公明党をなだめようと、環境権を憲法に盛り込もうとしていた。1970年代以降に憲法を改正もしくは制定した国は、ほとんどすべてが環境権を盛り込んでいるのだから、という説明がなされてきた。

 ところが公明党のほうは、ヨーロッパ諸国で環境権を盾にした訴訟が相次ぎ、企業の大規模開発が次々と妨害されていることを理由に、環境権を取り下げる動きを見せてきた。そして、「姑息なことをせず、憲法九条を真正面から論じ、自衛隊の存在と国際貢献を明記すべきだ」と切り返してきた。

 公明党のほうが憲法のことを熟知しているではないか。仮に公明党の言うとおりになれば、戦後70年、延々と繰り返してきた自衛隊をめぐる不毛な神学論争は、さらに続けられるだろう。たとえるなら、雨漏りがしている時に、公明党はこぼれている水を掬

 すくう桶をもう1つつくれと言っているだけで、屋根を修理する話にはならないからだ。

 私(倉山)は、こう提起したい。むしろ、憲法論議において必要なのは、屋根の修理ですらなく、家を丸ごと建て替えることではないのか、と。

 本書は憲政史、すなわち憲法というルールに基づいて行なわれた政治というゲームの歴史を描いた。

 憲法とは、国家経営の最高法である。幕末明治の人々が、どれほどの想いを憲法に懸けたかの歴史を描いた。ゲームには「果し合い」という意味もある。これを描くことにより、真の憲法とは、日本人にとっての憲法とは何かを描いたつもりだ。

 先人たちの贈り物、帝国憲法はどのようなものだったのか─―。今や捨て去られてしまった憲法の物語である。

《『帝国憲法物語』はじめにより》

著者紹介

倉山 満(くらやま・みつる)

憲政史家

1973年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。99年より2015年まで国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員として日本国憲法を教える。近著に『日本一やさしい天皇の講座』(扶桑社新書)、『日本国憲法を改正できない8つの理由』(PHP文庫)など。

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