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小池百合子 日本を救う「無電柱革命」

PHP新書『無電柱革命』より

2016年08月11日 公開 2016年08月15日 更新

本記事は2015年7月31日に公開したものです。

 

なぜ「無電柱化」なのか

毎年7万本のペースで電柱が増えている

 日本の春を美しく彩る桜。

 日本中の桜の木の総数は約3500万本といわれる。

 桜は日本中を美しく染め上げ、人々の心を和ませるが、桜とほぼ同数の3552万本(平成24年)の電柱と電信柱(以下、電柱)が日本の津々浦々に林立していることはほとんど意識されない。

 あまりにも日常生活に溶け込んでいるからだ。

 しかし、電柱は人々の安全な通行を妨げ、災害時には倒壊により避難や救助の道を塞ぐ。

 なによりも景観への配慮に欠け、猥雑、かつ醜悪だ。

 驚くべきは、日本全国でさらに毎年7万本のペースで電柱が増えているという事実である。歴代の衆議院議長が会長を務める「日本さくらの会」は、毎年約1万本の植樹を熱心に続けているが、年7万本もの新たな電柱設置のペースにはまるで追いつかない。美しい桜の木は全国各地で増やしたいが、日本の街々に電柱が林立し続けることをこのまま放置していてよいものだろうか。

 全国で822万戸を超す空き家が問題となる一方、新たな住宅の建設が進んでいる。それに伴い、電柱は当然のようにニョキリと立てられ、電力線、通信線(以下、電線類)が宙を走る。このことに行政も、建設会社も、施主も、近隣の住民も、誰も疑問を感じてはいない。水道やガスは地中埋設されるが、電柱は地上に立つ。

 これが「日本の常識」だからだ。

 障がい者のみならず、高齢化に伴い増加する車椅子や、少子化問題を叫びつつベビーバギーを器用に操らねば通行できない狭い歩道、車と電柱の間をスラローム競技のように縫って走る自転車、若葉マークの新米ドライバーにとってはいじわるとしか思えない箇所に決まってそびえ立つ電柱……。どう考えても、電柱の林を放置したままでいるのは、人々の安全な通行を確保する責任を持つべき政治の不作為と言わざるをえない。

 最大の問題は、多くの国民が林立する電柱を「当たり前」のことと受け止め、さほど気にはしていないことだ。電柱の存在を厄介者扱いする人もいるが、圧倒的に少数派だ。

 一方、「クールな日本」を求めて、海外からの観光客が急増している。GDP世界第3位、技術先進国のイメージと、雑然と電柱が林立する現実とのギャップに驚くのか、来日記念として電柱の林を写真に収める。

 外国人観光客が、珍しい日本の景色としてカメラレンズを向けるのは3つ。1つ目はパチンコ店。パチンコ店内で人々が熱心に手を動かす様は工場のようだが、その割には構えが派手で不思議に思うそうだ。2つ目は立体駐車場。広大な土地にだだっ広い駐車場を有する国から訪れた外国人の目には、車がゴンドラでぐるぐる回る動きは、なんとも楽しげに見えるらしい。何をしているのかと珍しく映る。

 そして3つ目が林立する電柱と蜘蛛の巣のように絡み合う電線である。

 松原隆一郎教授も触れたように、ロンドン、パリではガス灯の時代から街づくりには景観を重視し、電線は100%地中化している。ベルリンで99%、マンハッタンはもとよりニューヨークの地中化率は83%に上る。アジアでも美しいガーデンシティーを誇るシンガポールはほぼ100%に近く、中国、韓国でさえ首都を中心に無電柱化率アップには力を入れている。

 ところが、日本の古都、京都市となると、高層ホテルの高さを巡る景観論争が展開されながらも、現在も無電柱化率はわずか2%。首都の東京でさえ電線地中化率は7%(東京23区)にすぎない。まるで、電柱は我が国の伝統芸能である歌舞伎の黒子のように、「見ない」「見えない」お約束になっているかのようだ。

 とはいえ、我が国でも無電柱化がまったく進んでいないわけではない。最近の数字では毎年300㎞程度は無電柱化されているが、全国の道路実延長は120万㎞だ。あえて表現するならば、「遅々として、進んでいる」匍匐前進、尺取虫状態とでも言うべきか。つまりこのペースでは100年後の日本の姿も現在とたいして変わらないことになる。ましてや2020年には約五十年ぶりの東京オリンピック・パラリンピック開催を控えている。これまでのペースでは、主要幹線道路の無電柱化程度で精一杯だろう。

 

地震で倒壊し、救助の妨げとなる

 実は、景観の確保よりも災害大国・日本にとって重要な観点がある。

 私は松原教授と同じ兵庫県出身であり、1995年の阪神・淡路大震災の被害を経験した。1月17日早朝、顔見知りのNHK神戸支局の記者が倒れかけた電柱をバックに、震災直後の現地レポートを伝える姿は今も私の目に焼き付いている。神戸市長田区では迷路のように走る戦後からの路地に、救急車も、消防車も入る余地はなかった。おまけに震災で傾いだ電柱が行く手を塞ぎ、手の付けようもない、とはこのことだった。地域の一角が燃え尽きるまで、阿鼻叫喚の世界、地獄絵が続いた。

 2011年の東日本大震災も同じだ。倒壊した電柱と電信柱はそれぞれ約28,000本、計約56,000本に上るという。津波に飲み込まれそうな男性が必死で電柱にしがみつく姿も印象に残っているが、倒壊した電柱は避難路を塞ぎ、救助、救援の妨げになったことだろう。家屋の倒壊が電柱を倒す悪循環もある。政治の世界に身を置く一人として、防災の原点から、電柱の林を見直す必要を痛感してきた。

 「地震国だから地中化は不向き」とされがちだが、そうではない。阪神・淡路大震災では震度7の地域で電柱の停電率が10.3%であったのに比べ、地中線は4.7%に止まったという(資源エネルギー庁「阪神・淡路大震災:地震に強い電気設備のために」)。倒壊で供給に支障をきたした電柱は約4,500本。他に傾斜、沈下が約6,000本だという。通信については約3,600本が倒壊し、不通状況は地中線が0.03%に対し、架空線が2.4%と、80分の1の割合で地中線が守られたことになる。参考までに、兵庫県防災企画課がまとめた資料をご覧いただきたい。

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