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プロゴルファー・石川遼の父が考えた「子育てって何だろう」

石川勝美(プロゴルファー・石川遼の父)

2011年06月11日 公開 2021年10月07日 更新

プロゴルファー・石川遼の父が考えた「子育てって何だろう」

史上最年少賞金王記録を樹立したプロゴルファー石川遼。ゴルフの実力だけでなく、真摯な受け答えや礼儀正しさ、誠実さが多くの人々を惹きつけている。

若くして人格者と言われる遼の人間性を育てた父親が、独自の石川式子育て論を語る。

※本稿は、石川勝美著『石川家の子育て プロゴルファー石川遼を育てた父の流儀』、『石川遼・ゴルフのゆりかご プロゴルファーになるまでの親子の軌跡』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

石川勝美 著『石川遼・ゴルフのゆりかご』より 

私は、教育者ではない。もちろん文部科学省の役人でもないので、普遍的な道筋を語ることはできない。ここでは、私がやってきたことを述べるに止める。

私は「子育て論」とか「教育論」の類の本は読んだことがない。50年余りの人生の中で、時にはそういう本に触れたことはあったかもしれない。そして、それが無意識のうちに知恵となってその後の人生に活かされてはいるのだろうが、それは他の人と同じ程度の知恵であると思う。

家庭には、それぞれの環境がある。法律論的に善し悪しを断定することはできない。他の家庭を参考にすることは良いが、他人の家庭に口出しすることは慎むべきと考えている。

第一、今も昔も、我が家は周りと比べれば異常である。月曜日から金曜日までは毎日夕方ゴルフの練習の送り迎えである。土曜日、日曜日は必ずラウンドするので6時前には家を出る。夜は子供たち3人が、家の前の道路でバットの素振りをする。わずかな時間を見つけて、友達とさわいでいる。

 そんな家に対して、夕食の語らいを強制することはナンセンスだ。毎日、車の中で語らっているのだから。勉強をする時間が少ないので、授業中は集中することが大切になる。宿題は帰宅してすぐに終わらせないとゴルフの練習に連れていってもらえない。

我が家は、一般的なサラリーマン世帯であるが、それでも、この様に、家それぞれの事情がある。「教育論」に振り回されずに、上手く利用して子育てして欲しい。

私の家は、生活パターンが決まっている。自然とルールが作られたのだろう。「大変だね」と言われる。外から見ると大変だと思うかも知れないが、一度流れができると、それほどでもない。私はほぼ10年の間、遼のゴルフの送迎をやってきた。1年のうち350日はそれを繰り返した。

これから先何年もやり続けるとか考えると自信がない。長すぎる。あと1年ならできる自信がある。しかし、何年続けなければならないと、考える必要はない。目先のことに取り組んでいくうちに月日は流れていく。

私にとっては、月日は流れた。しかし達にとっては、月日は流れたのでも流されたのでもない。薄い紙が積み重なっていくが如く、高さを築きはじめたのである。

親は、子供が生まれたからといって親になるのではない。育てはじめてこそ、親になる。私たち夫婦はつくづく、子供に育てられたと感じている。人間、おとなになる過程でさまざまな経験をしてきたことで、その人の価値感というものが形成されてゆく。

なすべきこと、やらないほうがいいと思うこと、おとなは価値判断できる。しかし、その価値観はその人固有の観念である。子供はすべてに興味を持つ。親としては、子供と同じ目線を持てるかどうか。

遼5歳のときに、私はプラモデル (ミニ四駆)を買ってあげた。同じ年の友達はいとも簡単に組み立ててしまったが、遼はなかなか思う様にいかなかった。私は手を出さずに見ていた。

友達は、完成したプラモデルに乾電池を入れて走らせている。結局、その日のうちに遼はプラモデルを完成させることはできなかった。未完成のプラモデルは床に放置されたまま、夕食を済ませ、風呂を出て、寝てしまった。

「遼はそういうのは苦手ね」と家内が言った。私は、やり残した遼の仕事を片づけた。翌日、また友達が来て今度は2台を走らせて遊んだ。

「お父さんに手伝ってもらったと言った。遼にはプラモデルが作れなかった自分に対する不満などなかった。

要は教訓的に日々を過ごす必要はないということである。トラックの運転手になりたいと言ったときは、大型トラックの運転台に乗せてあげた。そうして、本気になって親子で同じ目線で夢を共有することが大切だと思う。 こういう話があった。自分の息子は運動が得意だ。何をやらせてもクラス1番。子供もスポーツ選手を夢見ていた。

ひとつだけ悩みがあった。背が低いことであった。その父親も母親も背は低いほうだったので、息子に乗馬をやらせてみた。何をやらせてもすぐに1番になってしまうその子は、乗馬もみごとにこなし、いよいよプロ騎手への夢をいだくことになってゆく。

自宅からは決して近くない乗馬スクールに毎週通い続けたらしい。乗馬はゴルフ以上に子供にやらせづらいスポーツだと言えるが、それだけ競争も少ないはずである。

競馬の騎手は父子というパターンが多い。一般的には家に馬がいる家庭などまずあり得ない。ところが、騎手の周りには馬ばかり。子供も馬と接する機会が多くなり、知らず知らずに父の職業に入ってゆくのだろう。勝負の世界にあこがれる子供の心をひきつけるに十分の職業である。

もうひとつの理由は、体格遺伝である。プロ騎手は体重50キロを超えることが許されない職業。逆の意味で体に恵まれることが条件なので、体格の遺伝により父から子へとバトンが上手く手渡されるのだろう。

私の知るその子は、競馬学校へ入校できなかった。体が大きくなりすぎて、厨手として不適格とされてしまったのである。父と子で夢見てきたことが、体格検査という予想もしないカベの前で崩れていった。

ちょうどそのとき、遼は小学校5年生。背が低く球は飛ばないが上手い奴、という評判であった。ドライバーの飛距離は190ヤード。私は、背が低いことを残念に思ったし、このままチビでいたらプロゴルファーは無理かもしれないと考えたこともあった。片や、背が伸びすぎてしまった少年。体格は遺伝するとは言うが、やはり、天からの贈り物、持って生まれた要素と言えなくもない。

夢は、かなえるためにあるのだろうか。かなえることが大切なのだろうか。もちろん、それが理想ではある。しかし「夢」に価値があるとすれば、その価値とは、どんな夢でも、持ち続けることである。何かの事情によりその夢を断念することになっても、次の夢を求めて努力する。

運よく夢を達成しても、その先にも夢があるだろう。どんな人にも夢がある。夢のない人など世の中にはいない。「何か夢を持ちたいと思っている」と言ってる人も、その気持ち自体に夢が潜んでいるのだと思う。

私に子育ての信条があるとすれば、
(1)おとなは、とかく価値判断をするが、子供はあらゆる事に興味を示す。同じ目線に立ってあげたほうがいい。
(2)夢は、かなえるものではなく、持ち続けるもの。夢のない人はいない。

以上を信条として、子供と真剣に向き合って、自分自身も少しは成長したと考えている。人間の生活の周りには多くの夢が発見できる。「そんなものは...」とか「無理に決まっている」とおとなが判断してはいけない。 子供が気がつくまで待ってあげてほしい。

石川勝美 石川勝美(いしかわ・かつみ)

プロゴルファー
1956年、東京都江戸川区生まれ。上智大学法学部卒業後、埼玉縣信用金庫に入社。東越谷支店など3店舗の支店長を歴任。2007年7月に法人事業部推進役となり現在に至る。趣味はゴルフ(プレーと読書)、カメラ、油絵、旅行、釣、競馬と多彩。

 

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