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日本代表よ、文句なしの「攻撃的サッカー」をみせてくれ!

杉山茂樹(スポーツライター)

2015年11月17日 公開 2022年09月28日 更新

日本代表よ、文句なしの「攻撃的サッカー」をみせてくれ!

PHP新書『攻撃的サッカー』より

 

ヒントは2015年1月のアジアカップ第2戦、イラク戦にあり

 ガラケーは2017年に生産中止になるそうだが、サッカー界のガラケーは、まだまだ続きそうな勢いだ。

 日本に求められているのは、攻撃的サッカーを唱える監督だ。代表監督を毎度、その点にこだわりながら探そうとしている日本サッカー協会の姿勢は正しい。しかし、ザッケローニ、アギーレ、ハリルホジッチと3代続けて攻撃的サッカー系の監督を招いてみても、世の中に大きな変化が起きているようには見えない。強いインパクトを与えることができていないのだ。ザッケローニとアギーレは、攻撃的サッカー教を伝える伝道師、宣教師になり得ずに帰国。ハリルホジッチも、ガラケーが支配する世の中に出現したiPhoneのような画期的な存在になりえていない。

 惜しかったのは、アギーレだ。日本がベスト8に終わった2015年1月のアジアカップ。しかし、今後のヒントになるような光る試合もあった。

 グループリーグの第2戦、対イラク戦だ。スコアは1‐0。しかもその1点は前半23分、本田のPKによるものだった。日本とイラクの力を比較すれば、スコアは1‐0か2‐0が妥当かと思われるなかで、このPKによる1‐0は、満足度の高い結果とは言えなかった。PKをもらって1‐0で逃げ切った。そう言われても仕方のない、ともすると、冴えない勝利に見える。だが、実際は違った。

 日本と言えば、追われる側に回ると弱い気質がある。1点リードで終盤を迎えると、必ずと言っていいほどアタフタする。2014年ブラジルW杯のコートジボワール戦などはその代表的な一戦になる。焦ったり慌てたり。1‐0で綺麗に逃げ切る試合に遭遇することは稀だ。

 考えられる1‐0のなかで、このイラク戦は最も安心して見ていられた完勝だった。有効だったのは、遠藤保仁、乾貴士を下げ、今野泰幸、清武弘嗣を投入した後半18分のメンバー交代だ。それ以前はイラクにもチャンスはあった。日本はそれなりに不安要素を抱えていた。しかし、これを機に、イラクのチャンスはめっきり減ることになった。

 4‐3‐3のインサイドハーフ、遠藤のポジションに入ったのは今野。遠藤が不調だったというわけではない。アギーレの狙いは守備固めにあったと思う。注目は今野が入ったポジションだった。

 今野は守備的MFの選手だ。4‐3‐3では長谷部とポジションが被る。長谷部との交代なら、布陣はそのまま維持されるだろうが、遠藤との交代ではどうなのか。

 4‐3‐3と4‐2‐3‐1の中間型に見えた。中盤の三人(長谷部、今野、香川)の並びは、1‐2でも2‐1でもなかった。どちらかと言えば1‐1‐1。それがハッキリしたのは、マイボールになり、布陣が4‐3‐3から3‐4‐3に変化した瞬間だった。

 中盤フラット型3‐4‐3なら三人の関係は1‐2になるはずだが、三人がほぼ縦関係に並ぶと布陣は3‐1‐3‐3、あるいは3‐3‐1‐3になる。「1‐3」と「3‐1」の中間型はいわばダイヤモンド型だ。つまり布陣は従来の3‐4‐3ではなく、中盤ダイヤモンド型3‐4‐3に変化した。

 バルサ型の3‐4‐3であり、アヤックス型の3‐4‐3。グアルディオラのバイエルンも時に使用する3‐4‐3。アテネ五輪で金メダルを獲得したマルセロ・ビエルサ監督率いるアルゼンチンが魅せた3‐4‐3。日本ではオシムが2006年10月に行われたキリンカップのガーナ戦で披露した3‐4‐3。02年日韓共催W杯で韓国を率いたヒディンクが用いた3‐4‐3でもある。

 あらゆる布陣のなかで最もパスコースが多いとされる3‐4‐3が、63分以降、抜群の効果を発揮した。パスはいくらでも回った。パスの回り方も悪くなかった。全く危なげなかった。

 残りの27分プラスアルファ、その3‐4‐3は、日本人のプライドを十分に満たすような品のあるパスワークでイラクを制圧した。ザックジャパン時代から、キャッチフレーズになっていたパスサッカー。だが、胸を張りたくなるパスサッカーに遭遇したことは一度もなかった。

 めざすべきパスサッカーを見せられた気がした。

 遠藤と今野。どちらのほうがパスサッカーに貢献しそうかと言えば、遠藤だ。今野も悪くないが、遠藤はその上をいく。日本サッカー史に名を残す、文字どおりのパッサーだ。しかし、その彼がベンチに下がったほうがパスはいい感じで回った。この皮肉が意味するものは何か。日本のサッカー界が真剣に考えるべきテーマだと思う。

 このアギーレ式・中盤ダイヤモンド型3‐4‐3も、完璧なものではもちろんない。そのとき、トップを務めていたのは岡崎で、1トップ下は香川だった。真ん中の高い位置を務めていたのは、ボールが収まりにくい選手だった。ディフェンダーに背を向けてプレイすることが得意な選手を、どちらかに一人でも置いていたら、そのパスワークはより高い位置で活かされていただろう。得点チャンスも増えていただろう。1‐0で終わることもなかったのではないか。

 攻撃的サッカーを気分で感覚的に語ってはいけない。いけないというより、それでは面白くない。布陣の力を侮ることはできない。あのときなぜ、今野は綺麗にはまったのかを考えることに、サッカーの娯楽性は潜んでいる。僕はそう思う。

 文句なしの攻撃的サッカーを、日本はいつ手にすることになるのか。

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3FW型0トップの時代

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