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乃木希典は愚将ではない!司馬遼太郎氏の誤りを正す

桑原嶽

2016年06月21日 公開 2016年06月24日 更新

乃木希典と日露戦争の真実

乃木希典と日露戦争の真実 司馬遼太郎の誤りを正す 戦前、世界的名将として広く日本国民はもちろん、全世界の人々から尊敬されていた乃木大将が、戦後一転して愚将と言われるに至ったのは、もちろん時代の変遷に伴う価値観の変化にもよるが、戦前においても、一部の者の中に存在した「乃木大将は立派な軍人であったが、戦さは下手だった」という評価が、戦後になって、マスコミの時流に乗った人気作家の著作によって爆発的に喧伝されたからである。

 このために現在においては有名無名を問わず、乃木大将を語り、日露戦争を論ずるものはすべて皆、この先入観から脱け切れないのが実状ではないだろうか。

 確かに戦前の陸軍大学校の戦史教育において、乃木大将を不当に低く評価した教官のいたことは事実である。こういう教育のためか、旧陸軍将校の中にも「乃木大将なんかたいしたことはない」と広言して憚らなかった人間がいたことも事実である。

 しかしながら、これらの乃木大将に対する軽蔑中傷の多くは、乃木大将の名声に対する嫉妬か、長州閥に対する反感(乃木大将は山口県〈長州〉出身で、明治時代に山口県出身者が陸軍部内で羽振りを利かしたが、これに対する反感から、大正末期から昭和初期にかけて逆に山口県出身者が排斥された時期があった)から出たもので、まことに取るに足らぬものである。こういう乃木大将を戦下手とする連中に対して、具体的に大将のどこが下手だったかと問い質したとき、明確に答えられるものが一人もいないことも事実である。

 ところで乃木大将を誤解しているものの多くは、西南の役における聯隊旗喪失事件や、日露戦争の旅順要塞攻略、特に二〇三高地攻略をめぐる問題、あるいは奉天会戦における包囲の失敗などについてと思われるので、本書においては特にこれらの問題について、その真相を明らかにして、世間一般の誤解を解くことに努めた。

 いま静かに古今東西の戦史戦例をひもとき、乃木将軍のたどった戦跡と比較検討するとき、いまさらながら乃木将軍の偉大さが、しみじみと感じられるのである。

 名将とは、変転する戦況の中で、よく状況の本質を捉え、決断を下すべきときに、真に適切な決断を下すことができた将帥である。

 乃木将軍がその全生涯において遭遇した幾多の戦いにおいて、いかなる決断を下し、いかなる処置を講じたかを検討して、乃木将軍の名将中の名将たるゆえんを明らかにしていきたい。

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