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戦後体制から脱却する「新しい日本人」

日下公人(評論家/日本財団特別顧問)

2017年01月12日 公開 2022年10月13日 更新

「戦後派が災前派」になり、「戦前派が災後派」になる

平成23年(2011年)3月に起きた東日本大震災を受けて、私はこう書いた。

〈東日本大震災という未曾有の災害は、日本人が自らを見つめ直す契機となった。様々な立場の日本人の“地金”が炙り出され、庶民は、高位高官や権威者の情けない言動を見せられたのと同時に、多くの無名の日本人の見事な振る舞いを知った。それが日本人の覚醒を促している。既存の権威が各方面で失墜し、政治家や官僚、大企業経営者にニュースを解説する学者、経済見通しを語るエコノミストなどなど、みな当てにならない。(中略)東日本大震災によって、戦後の日本にはびこった空虚な理想主義は瓦解しはじめ、もともと日本人が持っていた歴史に根ざした現実主義と、庶民の「暗黙知」が自らを助けるものだということが明らかになってきたのである〉(『「超先進国」日本が世界を導く』PHP研究所、平成二24年2月刊)

私が「新しい日本人」というのは、〈もともと日本人が持っていた歴史に根ざした現実主義と、庶民の「暗黙知」〉に覚醒し、それを発揮しはじめた人々のことである。

東日本大震災の前と後では、日本人の心、暮らしぶりに変化が起きている。その意識の変化は、昭和20年(1945年)の敗戦を境にしての「戦前派」と「戦後派」と同じように、3.11を境に「災前派」と「災後派」に分けられる。

東日本大震災時の民主党政権は、発足時の鳩山由紀夫首相がいくら「日本の歴史が変わる身震いするような感激」を語っても、その実体は「戦後体制」を是とする旧態依然でしかなかった。したがって自衛隊は政権幹部によって「暴力装置」と危険視され、そう発言した仙谷由人氏が一度は閣外に去りながら、被災者の生活支援対策として閣内(官房副長官)に復帰したことを「暗黙知」を持つ国民は怪訝に思った。

自衛隊が東日本大震災でいかに多くの国民を救ったか。「反自衛隊」や「嫌自衛隊」を売りにしてきた政治家の多くが、いまだに自らの不明について恥じるどころか頰被りしたままだが、多くの国民の意識は変わり、自衛隊に対するテレビ報道の仕方も明らかに変わった。

カメラを切り換えて「自衛隊ありがとう」という、被災者の手にする横断幕やテロップとともに自衛隊員を映すようになった。

かつて湾岸戦争の終戦処理としてペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇が派遣されたとき、その出航の様子を伝えるテレビはそうではなかった。無事の任務達成を祈る大多数の見送りの人々を脇に置き、派遣反対を叫ぶ少数の市民運動グループの理想主義や正義を、まるでそれが国民意志の大勢だと言わんばかりに大映しで報じた。

新聞記事での自衛隊の取り上げ方も、意図的な悪意は少なくなった。被災した地元民から見れば、自衛隊は暴力装置ではない。明らかに、その反対である。地元民が本心から「自衛隊はありがたい」と思っているので、マスコミもその気持ちに逆らっては損だということになった。

それは損得勘定にすぎないが、自衛隊の本来任務である「国防」に対する理解と敬意にまで意識が高まれば、大震災によって新聞が変わったことになる。このようにマスメディアにおいても「震災前」と「震災後」では変化しないわけにはいかなくなってきている。

平成28年4月に起きた熊本地震でも、自衛隊は即座に陸海空部隊を派遣し、約2万人体制で救援活動を展開した。こうした自衛隊の活動に「ありがとう」と率直に頭を垂れるのは「災後派」の人々、すなわち「新しい日本人」である。

彼らは空疎な理想主義や正義には走らない。彼らには、日本を「我が国」と思う一体感がある。同胞の絆を大切にし、日本という共同体の価値観を尊び、歴史や伝統文化に対して謙虚である。だからといって愛国主義、軍国主義、国粋主義、保守反動といったレッテル貼りをされるような単純な「戦前派」ではない。

潮流としては「戦後派が災前派」になり、「戦前派が災後派」になるという逆転現象が起きている。戦前との歴史の連続性に気づき、それを大切にしようとする人々が、戦後70年余の「戦後体制」から脱却しようとする「新しい日本人」なのである。

 

※本記事は日下公人著『新しい日本人が日本と世界を変える』より一部を抜粋編集したものです。

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