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澤穂希 苦しい時は、私の背中を見て

2017年02月11日 公開

100年インタビュー『夢はみるものではなく、かなえるもの』より

澤穂希 夢はみるものではなく、かなえるもの

※本記事は澤穂希著『夢はみるものではなく、かなえるもの』より、一部を抜粋編集したものです。

 

「なでしこジャパン」誕生、そして北京オリンピック

膝のケガを押して勝ち獲った、2004年のアテネオリンピックへの出場権。
スウェーデン戦では、オリンピック初勝利をおさめ、結果はベスト8。それまでの最高順位。確実に、日本女子サッカーの実力は上がっていきました。「なでしこジャパン」の愛称とともに女子サッカーへの関心は再び高まり、国際舞台での活躍が期待されるようになりました。
続く2008年、北京オリンピック。
準決勝でアメリカに負けた日本は、史上初のメダルをかけて、3位決定戦に挑みます。相手は、世界ランキング2位の強豪ドイツ。高さとパワー、圧倒的な体格差を武器にしたドイツに序盤から攻め込まれ、ついに後半24分に点を取られてしまいました。絶体絶命のピンチ。しかし澤さんは試合前、チームメイトに「苦しい時は、私の背中を見て」と伝えていました。
決してあきらめず、最後までボールを追い続ける澤さん。その背中を見て、チームメイトもボールにくらいついていきます。白熱した一戦でしたが、終了前に2点目を取られ、目標だったメダルにも手が届きませんでした。

 

苦しい時は、私の背中を見て

─「私の背中を見て」という言葉は、どんな心境から出たのでしょうか?

2008年の北京オリンピック女子サッカーで、ベスト4に残ったのはブラジル、アメリカ、ドイツ、そして日本でした。

みんなが「えっ!」という感じでした。日本が強豪のベスト4に入るということは、今までになかったことだし、考えられなかったので、正直みんなにもちょっと戸惑いがあって、自分自身も、「えっ、なんで私たちが、ここにいるんだろう」と思ったんですよね。

それで、あと一回勝てば、メダルが取れるという、なんだろう……、準決勝まできたのだから、自分自身も世界一になりたいと本当に思いました、あの時は。

だから私は、どんな状況であろうが、90分間走り続けるということをみんなにも伝えていたし、本当に苦しくなったら、「私の背中を見てくれれば、私は90分間、最後まで走り続けているよ!」ということを、やっぱり、伝えたかったのです。

 

─「苦しい時は、私の背中を見て」、それは言葉ですが、態度で示すというのが「澤流」ということですか?

自分を見ている後輩たちもそうだと思いますが、言葉だけ言っている先輩などを見ていても、口だけの人は絶対に信用されません。やはり、結果で見せる、態度で見せる人には、私は後輩としてついていきたいと思っていました。

大事なところで点が取れる人だったり、ここぞという時に体を張れる選手、それを実際に見せることで、やはり後輩たちも何かを感じると思うし、ついていこうと思うはずです。

いろんなタイプのキャプテンがいると思いますが、私はフィールドの中で自分がプレーして見せて引っ張るタイプだったので、とにかく結果としてというか、体を張って見せていたほうでした。

 

─チームをまとめていくのは、難しいことだと思うのですが。女子は人数が集まると、どうしてもグループができたりして、大変だったのではないですか?

どのチームでも、どの学校でも、気が合う友達というのは必ずいるから、グループはできますけれど、「なでしこ」みたいになれば、みんな同じ目標を持って日の丸を背負っているので、気難しい選手や、自己主張が強い選手がいても、チームとしてうまくやっていくために、理解し合いながら、話し合いながら、どんどん丸くしていくというか、そういう感じでした。

試合中でも、お互い気がついたことはすぐに言い合います。年齢も、経験も関係なく。サッカーがもっとうまくなりたいし、強くなりたいし、もっと知りたい、という強い気持ちがありました。だから人の話を聞いて、そして自分も話す。小さなことでも、遠慮なく意見を言い合う。そして問題点はできるだけ早く解決することですね、勝利していくためには。

 

次のワールドカップは、絶対優勝する!

「なでしこジャパンは、『世界一』を獲れないチームじゃない」、そう感じ始めてから、次のワールドカップでは、絶対優勝を目指してやりたいと思うようになりました。

「日本がワールドカップで優勝!」と思っていた人たちなんて、周りには少なかったと思います。でも、目標にするのは決して悪いことじゃないし、逆に不可能と言われているほど、目標が高いほうがやりがいがあるというか、そんな気持ちでしたね。

 

─中学生の時に思い描いた、ワールドカップに出場したい、オリンピックに出場したいという夢は、もうクリアしていたのですよね、その時には。それが一気に、今度は世界一になりたいとか、オリンピックでメダルを取りたい、に変わっていったということですね。

佐々木則夫監督も、サッカー日本女子代表チームの監督になって以降、常に「世界一を目指してやろう」と言っていましたし、自分自身も北京オリンピックで、ベスト4に残った4チーム中3チームはメダルを取れたのに、1チームだけ取れない悔しさを味わったので、やっぱり、本当にメダルが欲しくなりました。

 

「苦しい時間帯、みんなが苦しい時は、私だって苦しい。苦しいけれど、自分がそこでさらに頑張って、みんなより前を走り続ける。これがリーダーとしての、私がするべき一番大事な仕事だと思っていました」
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