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生き方

渡部昇一が語る「人間としての気概」

2017年07月25日 公開 2017年07月26日 更新

人生とは気概づくり

渡部昇一『知的人生のための考え方』「吾輩は猫である」と言った漱石の名前のない猫には、凜とした気概を感じます。その猫にも劣るような、昨今の政治家をはじめとする人々の気概のなさではないでしょうか。もはや、情けなさを通り越しています。

孟子は、「自ら省みて縮くんば(正しければ)、千万人といえどもわれ往かん」

と説いています。

そこまで崇高でなくても、日々の一挙手一投足にも、やはり私たちは自分なりの気概を貫いて生きていきたいものです。

気概とは、その人の生き方の証であり、その人の哲学の反映でもあるでしょう。それは自分のアイデンティティーの裏返しでもあるのです。

よく、人は自分の顔に責任を持てと言われますが、それはとりもなおさず気概がそこはかとなく表面にしみ出てくることを言っているのです。

こう考えますと、人生とは、自己実現を一つ一つ図りながら、自分の内なるものを高め、気概を作り上げていく過程と言えるのではないでしょうか。言い換えれば、精神を創造していく道程なのです。そして、時折、自分を省みて、気概がどの程度まで向上してきたかを確認し、さらに高めていくことが必要なのではないでしょうか。

その時に、自分の人生という背骨を、熱すれば溶けてしまうようなロウや、押されればボキッと折れてしまうプラスチック、ましてや、どこかから借りてきた骨で形づくるのではなく、

まさしく内面から熟成されて結晶した気骨で作り上げていくことが、深みのある人生を築き上げるのでしょう。

もちろん、気概には孟子の先述の言葉のような勇ましく力強い気概もあれば、柳のようにしなやかで決して折れない気概もあるでしょう。それは人さまざまだと思います。

しかし、人間の価値、人生の価値というものは、気概においてそれが推し量られるという真理を、私たちは深く考えなければならないと思います。それは時代を超えても永遠に真理であると言えるのではないでしょうか。

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