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渡部昇一の知的執筆術~物を書くために心がけたい技術

2017年07月19日 公開 2017年07月24日 更新

機械的に書く習慣を身につける

渡部昇一「知的人生のための考え方」トランジスターの発明でノーベル賞を受賞したショックレー(1910~1989年)は、自然科学者について、論文の数が学者の知能を計る尺度になると言い、論文の数の多さは、論文の質の高さと統計的にほぼ一致すると言っていますが、一年に十編のよい論文を書く人と、一年に一編のよい論文を書く人を比べると、少ない業績の人がいくら頑張るといっても、差は開くばかりでしょう。

これはという小説家や哲学者を見ても、夭折した天才を除けば、多くは多作家です。それは仕事をする技術を身につけていたからと言っていいでしょう。

こうした「仕事をする技術」に熟達した人は、“毎日一定の適当な時間を仕事にささげる”つまり機械的に働くという習慣を身につけて、時によってはあらかじめ構想することなく、ともかく書き始めて、しかもそれが結局は傑作になったというものも多いようです。

この機械的に働くという癖づけが大切なのです。新田次郎氏は、『小説に書けなかった自伝』の中で次のように書いています。

「このころは役所から帰って来て、食事をして、七時にニュースを聞いて、いざ二階への階段を登る時、
〈戦いだ、戦いだ〉
とよく云ったものだ。自分の気持を仕事に向けるために、自分自身にはげましの言葉を掛けていたのだが、中学生の娘がこの言葉の調子を覚えこんで、私が階段に足を掛けると、戦いだ、戦いだと私の口真似をするので、それ以後は、黙って登ることにした。七時から十一時までは原稿用紙に向ったままで階下に降りて来ることはなかった。十時ころ娘がお茶を持って来ることがあったが、黙って来て、黙って降りていった」

休日でもなく勤務のある日に、自分に「戦いだ」と言い聞かせて、「毎晩七時のニュースの後に二階に登る」という機械的な勤勉さがなかったら、氏の創作活動はなし得なかったでしょう。これは、一人新田氏だけでなく、多くの小説家や哲学者、そして画家や作曲家に通じる仕事の技術なのです。

 

蔵書のための空間を作る

そしてこういった知的生産に欠かせないのが、先にも述べた「自分ライブラリー」の数、つまり、蔵書の数なのです。

広い読者層を有する某小説家は、ある時代のある人物を主題に決定すると、それに関係した文献を徹底的に集めるといいます。そしてその作家は、きわめて短時間の間にその時代の背景やその人物についての理解を深めます。貧乏な学者は手元にそんなに本を集めることができませんから、あれよあれよという間に追い越されてしまいます。時代物を書く小説家が、古代であれ、戦国時代であれ、江戸時代であれ、それぞれの専門家と対談をやっても、見劣りしないどころか、かえって知識が豊かであるという印象を与えることがあるのはそのためです。

もちろん、評論家も、どれだけ多くの蔵書を持っているかで、その人の評論活動の幅や質が決定されてしまうところが多々あります。知識を前提とした意見を述べる人は、愛読書の他に、どうしても評判になっている本とか、資料として参照する本が必要です。それも手元にあることが肝要です。図書館などに行っていちいち調べていては、知的生産のスピードが遅すぎて時代についていけません。ですから、どうしても蔵書のための空間作りに注意を払わざるを得ず、まだ十分な収入がない若手評論家たちで、これはという人は、生活費を切り詰めてマンションをもう一室借り、知的生産の場を確保して、自分の意見を積極的に表明するようにしているのです。

知的生活と蔵書の数は比例する─これは疑いようのない真実なのです。

 

文章力を高める方法

さて、これから自分も文章を書こうと思われる方に関心を持ってもらいたいことは、文章力をどう高めていくかということです。いくら言わんとする内容がよくても、文章表現力が乏しければ読み手に伝わらないのが、文章だからです。

そこでお勧めしたいのは、フランクリン式文章上達法です。ベンジャミン・フランクリン(1706~1790年)は、イギリスの文芸的日刊紙である「スペクテイター」の文章の素晴らしさに感銘し、自分もそのような文章力をつけたいと思ったのです。

そこで彼は、真似をすることから始めました。その方法は、「スペクテイター」を読んで、そこから各文章の趣旨を示す短いヒントを書き、数日寝かせておいてから、原文を見ることなくそのヒントに書いた趣旨に基づいて、頭の中で単語をひねくりだし、文章を再現するのです。そして自分で書いた「スペクテイター」と実際の「スペクテイター」を比較し、自分の文章の欠点や語彙不足を発見し、修正していくというやり方です。

私も、英文修業の時に、この方法を真似て、ハマトンの『知的生活』のいくつかの節を、いったん英文和訳してから、その和訳から英文にして原文と比較するというやり方をしました。

この、手本となる本を探して、それを真似ることで文章力をつけるという方法は、多くの書き手が通ってきた道ですので、これから文章を書こうと思う方は、ぜひともチャレンジしてほしいものです。

また、能動的知的生活を送ろうと思われる方に知っておいてもらいたいことは、一つは、「恒産なくして自由な知的生活はない」ということと、「知的作業とは孤独なものである」ということです。

この二つをよく押さえておかないと、知的生産は立ち行かなくなってしまいます。

前者に関しては、働かなくても食べていけるだけの資産がある人なら別ですが、やはり独立した生活ができるだけの経済的基盤は確立しておかなければなりません。しかも、自分の知的レベルを上げていくためには、蔵書を増やしていくといったことも必要です。「知」を売る人間は、「知」を買うことに億劫がってはいけません。こういったことを考えていくと、お金の問題を決しておろそかにしてはいけないと言えるのです。

後者の「孤独」に関しては、知的生活を分かち合えるような友人を持つことです。

ゲーテは、
「価値ある創作は作者の孤独な時にだけ製作される。大作とは常に孤独の子である」
と言っていますが、知的生活は、本質的に孤独であるが故に、語り合うべき友を求める生活でもあると言えるのです。

漱石は、門下生と語り合うことで、逆に弟子から知的恩恵を受けていたとも言えます。また私の体験から言っても、同じく知的活動をしている人との肩の凝らない交際によって、大いに知的刺激を受けることもあるのです。知的生活の幅はそれによっても広がっていくのです。

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