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モノづくりの生態系が消滅する日

北尾吉孝(SBIホールディングス代表取締役執行役員CEO)

2010年12月06日 公開 2022年12月20日 更新

北尾吉孝

"楽観的な「実質為替レート」議論

 2011年の為替動向を考えるにあたって、もっとも注視すべきはアメリカの不動産価格である。世界金融危機の震源地であるサブプライムローン問題は、いまだ完治していない。ファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)やフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)の発行債券およびRMBS保証額合計は8兆ドル近くにのぼっていて、その債務にはデフォルトリスクが存在している。住宅価格が下がり、デフォルトになれば、それがアメリカの二番底につながることは十分に考えられる。

 オバマ大統領の経済対策は実効性に欠け、しかも11月に行なわれる中間選挙で民主党が敗北すれば、議会運営はさらに難しくなる。バーナンキFRB(米連邦準備制度理事会)議長が11月のFOMC(米連邦公開市場委員会)でさらなる金融緩和を行なう公算が高まっているが、これも上記の住宅市場の潜在的リスクを考慮したものではないか。

 当然のことながら、金融緩和を続ければドルはさらに弱くなる。最近のドル独歩安は「円が強くなる」「ユーロが弱くなる」といった話とは次元が異なり、ドルが世界の基軸通貨としての信認を失う過程にあるともいえよう。

 他方、日本経済をみると、バブル崩壊以降は一時期を除いて長期間デフレが続いている。日本銀行がゼロ金利政策を行なっても銀行の貸し出しは増えず、設備投資にも、消費にも、プラスの影響を及ぼしていない。ならば積極財政で需要を喚起しようとすれば、今度はそれが財政赤字の拡大要因になっていく。幸い日本国債の95%は自国民によって消化され、いまのところ深刻な問題にはなっていないが、いつか限界が訪れることは確かだ。

 そのような日米の現状を踏まえたとき、現在の急激な円高の根本原因は、日本のデフレにあることをまず認識すべきである。日米の金利差も、実質金利でみれば日本のほうがまだまだ高い。これが「強い円」「弱いドル」をもたらす大きな要因になっており、そこに先のドル離れが拍車をかける構図になっている。

 そのような状況下、よくいわれる議論の一つが「実質実効為替レートから考えると、円はそれほど高くない」というものだ。

 2005年を100としてみれば、たとえばプラザ合意が発表された1985年9月のレートは85.28、そこから1ドル=79円75銭という最高値をつけた95年4月の151.11まで実質実効為替レートでは円高傾向が続くが、それに比べれば現在の水準は当時を大幅に下回っており(2010年9月水準で103.95)、大騒ぎする必要はない、というものである。しかし昨今の状況はそれほど楽観的に語れるものではない。

 たとえば日本の輸出の現状を考えてみると、この上半期のアジア向け輸出の約半分は米ドル建てでなされており、このまま円高が進むことになれば、やはり甚大な影響を被ることは間違いないからだ。実質的な状況をみても、多くの輸出企業、とくに中小企業は壊滅的な状況になりつつある。

 さらに円高においては本来有利になるはずの「交易条件指数(産出物価指数を投入物価指数で除したもの)」も悪化している。そのなかの「製造業総合部門(2000年時点を100とする)」を時系列でみると、02年の100.68以降低下傾向にあり、現水準の87.19は2000年時点に比べ、約15%も低下している。

 そのような円高下における交易条件の相対的な悪化は、メーカーの収益性の低下をもたらす。つまりメーカーが同程度の収益を挙げていこうとするならば、円高環境下においては通常販売価格(産出物価)を上げていくはずが、それを抑えたかたちでの経営がなされてしまい、その結果、収益もどんどん圧迫されていくのだ。これこそいま、日本が直面している問題の本質である。

 これまで唯一、輸出だけが日本のデフレ脱却の活路だと思われていたなかで、このような状況が続けばどうなるか。たんに国際競争力で負けて輸出企業がダメになる、という次元の話ではなく、それは日本のモノづくりの生態系がすべて海外に移ってしまう、という事態を引き起こしてしまうのだ。それも10年、20年といったスパンでない。わずか数年で「モノづくり立国」としての日本は消滅してしまうのである。

 かつてプラザ合意のときも、急激な円高を受けて日本企業は現地化を進めた。しかし当時は製造拠点、販売拠点の一部を海外に置く、というレベルであったのが、今回はヘッドクォーター(本部)やR&D(研究開発)まですべてが海外に移管される可能性がある。そのように大企業が足場を移してしまえば、その下の中小企業も壊れていく。まさに日本のモノづくりの生態系の崩壊だ。その結果、経済成長率がマイナスになってしまう事態すら、十分に考えられるだろう。

 だからいま、マーケットをみても、欧米、新興国ともに株価が大きく戻しているにもかかわらず、日経平均だけが取り残されている。「外国人買い」に期待しようとも、急激な円高で利食いをした外国人投資家が、ここから日本株を買ってくれる気配はみられない。グローバルな生産体制の仕組みの変化のなかで、日本は完全に取り残されているのではないか、そのような思いを各国の投資家は抱いているのだ。

円建てで海外資産を購入せよ

 このような状況を打破するためにはまず、やはり諸悪の根源であるデフレを止めるしかない。四半期ベースでみれば、現在25兆円ぐらいの需要が不足している状態で、この需給ギャップを埋めることが重要になってくる。

 そのためには多少財政赤字が増えようとも、実需につながる財政出動を実施しなければならない。当初はあれだけ批判されたエコポイントやエコカー減税にしても、結果的には想定以上の景気浮揚効果をもたらしたわけで、財政出動自体が一概に否定されるべきではないだろう。

 もちろんそこで以前のように、使われもしない道路や橋をつくる「ハコモノ事業」を行なうようでは知恵がない。たとえば東京湾を埋め立て、北京空港や韓国の仁川空港に対抗できる国際ハブ空港をつくるというような、日本の将来にプラスになる公共事業を手がけるのである。

 また、巷間議論されているリフレ政策である「インフレターゲット」の導入も検討するべきだろう。ほかにこれといった手がないなら、政府もインフレに意図的に導く施策を採っていくべきではないか。

 さらなる手として、遅きに失した感はあるが、ソブリン・ウェルス・ファンド(SWF=政府系ファンド)の設立を急ぐべきだ。運用できる人が国内にいないなら、外国人を雇えばいい。韓国のSWFであるコリア・インベストメント・コーポレーションのCIO(最高情報責任者)は米国人である。総資産5,000億ドルともいわれるアブダビのSWFにしても、実質的には英国人や米国人が運用の切り盛りをしている。いまだ日本は悪しき島国根性から、すべてを日本人だけで済ませようとするが、いまや世界中から賢者を集める時代なのだ。

 このSWFを使って行なうべきは、円建てによる海外資産の購入である。先にも述べたようにドルの基軸通貨としての信用が揺らぎ、ユーロも単一通貨でありながら、財政の政策主体は多数あるという矛盾を抱えている。中国もいずれは人民元の国際化を目論んでいるが、その実施には、情報のディスクロージャー、短期資本の移動の自由化、為替管理の徹廃、金利の自由化等々やらなければならないことが山積している。

 現在のような円高時にSWFを使い、円建てで海外資産をどんどん買っていく。他の通貨に比べれば円には相対的な安心感があり、世界の国々も喜んで円建てで資産を売るだろう。そうやって大量の円を国外に放出していけば、中長期的にはある程度の円安を望むことができる。

 このとき資産として着目すべきは、資源と食料である。BRICsに次いでVISTAなどの新興国経済が次々とテイクオフしていくなか、需要が逼迫し、今後あらゆる資源が稀少化していく可能性が高い。さらには世界人口が現在の70億人から2050年には90億人になるといわれるなかで、ブラジル、オーストラリア、アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイなど食料の宝庫たる国の資産を押さえていく必要があるだろう。

 換言するならばいま、円が国際通貨に躍り出る絶好のチャンスが到来しているのである。そのようにグローバルな視点をもち、戦略的な見地から日本は世界への投資を進めていかなければならない。

 すでに2005年に、初めて国際収支統計において、所得収支の黒字が貿易収支黒字を上回った。つまり金利や配当から入ってくる金額が輸出で稼ぐ金額を超えたのだ。そのような大変化が起こったなかで、国内要因だけで日本経済を語ること自体が時代遅れなのである。いますぐ島国根性を捨て、その目を世界に向けることなくして、日本経済の復活を望むことは難しいだろう。経済的繁栄を続け、国際的な地位を維持するために、この国に残された時間は少ない。

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