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生き方

天命に従う~北尾吉孝・ SBIホールディングス社長

マネジメント誌「衆知」―幸之助さんと私

2017年10月30日 公開 2022年08月18日 更新

天命に従う~北尾吉孝・ SBIホールディングス社長

北尾吉孝(きたお・よしたか)
SBIホールディングス社長

1951年兵庫県生まれ。1974年慶應義塾大学経済学部卒業、野村證券入社。1978年英国ケンブリッジ大学経済学部卒業、1992年野村證券事業法人三部長。1995年ソフトバンク常務取締役。1999年ソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)設立、代表取締役執行役員社長。

松下幸之助の人生と経営における哲学を、各界識者のインタビューから探る本企画。今回は、松下幸之助の思想に精通し、中国古典・東洋哲学に造詣の深い北尾吉孝氏に、幸之助哲学の実践についてうかがった。
 聞き手:渡邊祐介(PHP研究所経営理念研究本部 本部次長)
 構成:若林邦秀
 写真撮影:長谷川博一
 

天命に従う

――幸之助の考え方やエピソードの中で、ご自身の生き方や経営にも影響したと思われるものには、どんなものがありますか。

北尾 幸之助さんは、インタビューで「あなたが成功した要因は何ですか」という質問を受けた時、「90パーセントは運だ」とよくおっしゃっています。人には与えられた天分、天命がある。それは自分の力では変えることはできないが、それを自覚して与えられた天分を生かすべく、努力を積み重ねることで、その人の運命がひらかれていく。幸之助さんは、謙遜ではなく、おそらく本当にそう信じていらっしゃったと思います。

 私自身も共感します。人間世界には、自分の力ではどうにもならないことがあります。これをどうとらえるのかが問題です。「どうせ努力してもムダなんだ」と考えるのか。あるいは「これも天命だ。むしろこのほうがよかったのだ」ととらえて残り10パーセントのために力を尽くすのか。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉の通り、われわれにできることは人事を尽くすことだけです。あとは天命が下るのを待てばいいのです。

 私の個人的な歩みを振り返っても、まさに天の配剤としか思えないような出来事の連続でした。例えば、大学卒業後、野村證券に入社するきっかけは、たまたま父親と電話で話していた時に、下宿のおばさんが私に野村證券からの就職説明会の案内はがきを手渡してくれたからです。

 私は都市銀行に入るつもりでしたから、そんなタイミングでなければ父と野村證券について話をすることもありません。その時の、「野村證券は戦後最も伸びた金融会社だし、20年後、30年後にさらに飛躍する可能性がある」という父のすすめもあって、私は野村證券に入社することになったのです。

――運命的な何かがあったわけですね。

北尾 周囲からは猛反対でした。しかし、野村證券の人事の方が最終段階で、「今日は就職の話はなしだ。君とせっかく知り合えたのだから、酒でも飲んで、これからもおつきあいしようよ」と言って、ウイスキーを手にわざわざ下宿まで来てくださった。しかも、本当に就職の話はいっさいされなかった。後ろ姿を見送りながら、「人生意気に感ず」「士は己を知る者の為に死しても可なり」という言葉が思い浮かびました。私のような人間にここまで心を尽くしてくれる人の思いに応えたいという気持ちでした。

 野村證券では、総合企画室、海外留学を経て、その後は海外畑を歩くことになります。当時の私は少々喧嘩っ早いところがあって、よく上司とぶつかったものです。

 ニューヨーク支店にいる時に、部下の評価をめぐって上司と対立したことがありました。私が高い評価をつけていたのに、非常に理不尽な理由で評価が下げられていたことがわかったからです。

 「そういう人のもとで、一緒に仕事をすることはできない」と私は席を蹴って出ていきました。私はウォール街の人間に高く評価されていましたから、たちまちいくつかのアメリカのインベストメントバンカーから誘いが来ました。

 ところが、その噂を耳にした会長が「ちょっと待ちなさい」と飛行場から電話をくれた。日本に帰ると空港まで専務が迎えに来て、また説得。最終的には社長に呼ばれて、「全部わかっているから、黙ってニューヨークに帰れ」と言われる。すると、次の人事異動でその上司はいなくなってしまった。

 もちろん、私は私なりに全力を尽くして努力はしていました。しかし、それ以上のことは自分の力ではどうすることもできません。私は幸運に恵まれましたね。

――その後、ソフトバンクに入られたのは、どのような経緯があったのでしょうか。

北尾 これもまさに天の配剤でした。車で通りかかった道の近くに豊川稲荷があり、「ここのおみくじは、よく当たるんですよ」と運転手さんが言ったのです。ちょうどこの時はソフトバンクの孫(正義)さんから熱心に誘われていた時期で、どうすべきか思案していました。運転手さんは私の車内での電話の様子から、そうしたことを察知したのでしょう。そこで「ためしに引いてみるか」という気持ちになり、引いてみると、「一番大吉」でした。これで気持ちが固まったようなものです。

 もし、ソフトバンクに入っていなければ、インターネットと金融がこれほど顧客の便益性を高めるものであることは理解できなかったと思います。インターネットと金融の融合によって革新的な金融ビジネスを創造する――これこそ天命なのだと感じました。

 49歳の時に出した本に、私はこう書きました。「私の天命は二つある。一つは、金融の世界にインターネットを持ち込み、顧客中心の革新的な金融サービスを提供すること。二つ目は、事業活動によって得られた自らの資産を使い、恵まれない子供たちのための施設を作り、徳育を行なうことだ」と。その言葉通り、前者は本業で、後者は公益財団法人SBI子ども希望財団や社会福祉法人慈徳院の設立というかたちで取り組んできました。

 中国古典に「死生命あり、富貴天に在り」という言葉があります。生きるか死ぬかは天命、成功するかしないかも、天の配剤です。だから、幸之助さんもおっしゃるように、それぞれの天分に応じたところで生きていけばいい。人それぞれ天分が違うから、またいいのです。「任天」「任運」――人知が及ばないものに運を任せる姿勢は、幸之助さんも一貫してお持ちだったと思います。

※本記事は、マネジメント誌『衆知』掲載シリーズ企画「幸之助さんと私」第2回《「日に新た」「天分を生かす」真理を追究した偉大なる経営者》より一部を抜粋編集したものです。

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