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地域主義化する世界、1930年代の教訓

『Voice』 2012年2月号 より 》

台頭するリージョナリズム

 2012年の世界は、欧州発の経済危機を注視する。ユーロはわずか数年前、ドルに代わる基軸通貨として期待されていた。ところが、いまでは「ユーロ崩壊の悪夢」も無視できなくなっている。ユーロに代わる基軸通貨は何か。世界第2位の経済大国であっても、中国の人民元には荷が勝ちすぎている。結局のところ、ドルに戻ってくるだろう。

 それでも「リーマン・ショック」を経たアメリカに一極支配の力はない。米ソ冷戦終結後、二極支配の世界は終わった。これからはアメリカが覇権国家となって世界を支配するかにみえた。ところが、2001年の9・11テロを大きな分岐点として、アメリカ主導のグローバリズム(アメリカ的な価値の世界化)に対する批判が強まる。

 アメリカと中東との対立は、「文明の衝突」と表現されるようになる。9・11テロ後のアフガニスタン紛争とイラク戦争によって、国際社会はアメリカに対する懐疑の念を強める。イラク戦争をめぐって、独仏がアメリカ批判に転換したのは記憶に新しい。

 さらに、「リーマン・ショック」が起きる。アメリカ型の市場経済原理主義に対する批判が世界に広がる。グローバリズムに対抗するリージョナリズム(国際的な地域主義)が台頭する。

 以上のようなグローバリズム対リージョナリズムの国際政治の構造変動のなかで、日本はどのような役割を果たすべきなのか。ここでは1930年代との歴史的な比較を通して考えてみたい。

 なぜ1930年代を比較の対象とするのか。

 第一は、国際政治の構造変動の類似点である。

 第一次世界大戦を通して「西洋(欧州)の没落」が進む一方で、アメリカが台頭する。1920年代の平和はアメリカの覇権による平和(パクス・アメリカーナ)だった。パクス・アメリカーナはアメリカ的な価値の世界化(グローバリズム)をもたらす。

 しかしアメリカの覇権が長く続くことはなかった。1929年にアメリカ発の世界恐慌が起きたからである。世界経済はブロック化の傾向が顕著になる。イギリスは特恵関税ブロックを構築する。欧州における「持てる国」対「持たざる国(独伊)」の対立が激しくなる。グローバリズム対リージョナリズムの国際政治の構造変動は、1930年代が歴史的な起源だった。

 第二は、国内政治の構造変動の類似点である。

 1930年代の危機に対して主要国は、たとえばイギリスのように「挙国一致」内閣であり、あるいはアメリカのニューディール連合も民主党と共和党の事実上の連立政権である。危機を克服するために、二大政党制の国が「挙国一致」の政治体制を確立する。他方で、英米とは正反対のイデオロギーの全体主義国家・独伊ではあっても、その一国一党制は、英米の「挙国一致」と目的を共有する部分があったといえる。

 今日も、同様にイギリスは連立内閣である。アメリカの民主党のオバマ大統領は、共和党支持者を取り込んで選挙の劣勢を挽回するために、保守イデオロギーに譲歩するだろう。そうなればアメリカも事実上、連合政治による政策の展開と変わるところがない。

 主要国の首脳が交代する2012年は、このような政党間連携の模索の年となるだろう。

 以上の二つの観点に立って、1930年代の歴史から学ぶべき教訓は何かを示すことにする。

「挙国一致」の失敗

「リーマン・ショック」と類似しながら、それ以上に世界経済に大打撃を与えたのは、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」、ニューヨークの株の暴落をきっかけとする大恐慌である。

 民政党の浜口雄幸内閣の恐慌克服対策は、対米協調を基軸としていた。浜口内閣の基本対策は、緊縮財政と金解禁(金本位制復帰)である。

 緊縮財政は、国民生活に過大な犠牲を強いる。国民と痛みを分かち合うために、浜口内閣は財政削減に例外を認めなかった。国民が緊縮財政に耐えている以上、浜口首相は軍事費の削減も躊躇しなかった。

 この観点から日本は1930年、アメリカが主導する海軍軍縮条約に調印する。困難な交渉の末に合意に達した日米は、協調の絆を強める。

 ウォール・ストリートの株暴落から1カ月後、浜口内閣は金解禁(金本位制復帰)を決定する。アメリカを中心とする金本位制の国際的なネットワークに参入するためだった。

 対米協調を基軸とする浜口内閣の恐慌克服対策は、国内の強い反発を受けた。海軍軍令部の反対を押し切ってロンドン海軍軍縮条約に調印したのは、「統帥権上重大な問題であり、憲法上の疑義を免れない」。野党の政友会は非難した。

 衆議院での圧倒的な過半数を背景に、有無をいわせず批准の強行突破を試みる浜口は、議会を混乱に陥れた。

 浜口は後悔する。国民が、「呆れる態度を超えて議会政治に冷淡」になったからである。

 他方で、世界恐慌が拡大するなかでの金解禁は、景気回復どころか重大な経済危機を招いた。それでも浜口内閣は、政策を転換しなかった。自由主義者のエコノミスト・石橋湛山は批判する。

「誤って施行した金解禁が、たまたま並び起った世界的不景気と合流して、我財界に非常な打撃を与うるに至ったに拘らず、内閣は之に対して何等処置をする策を知らず、全く無能を暴露した」

 浜口の強引な政治手法はテロを誘発する。凶弾に倒れた浜口の後継は、同じ民政党の若槻礼次郎だった。

 若槻内閣は対米協調を基軸としつつ、経済政策の軌道修正を図る。そこへ満州事変が勃発する(1931年9月18日)。不拡大方針による早期解決のために、若槻首相と幣原外相が期待したのは、アメリカだった。アメリカの対日経済制裁の可能性を援用して、現地軍を抑制しようとしたからである。

 しかし、極東情勢に対するアメリカの関与は限定的であり、対日経済制裁の可能性だけでは不十分だった。そこで若槻は、政友会との協力内閣の可能性を探る。協力内閣構想の実現のためならば、若槻は首相のポストを、政友会の犬養毅総裁に渡す覚悟を決める。

 協力内閣構想の具体化にともなって、満州事変の拡大にブレーキがかかる。ところが、そうなると二大政党は、協力から離れていく。1932年2月の総選挙に向けて、民政党内閣は単独で乗り切ろうとする。政友会は、景気対策一本槍で選挙を戦う構えになる。

 二大政党の離反による協力内閣構想の瓦解は、現地軍を勢いづける。満州事変は拡大した。

 2月の総選挙は、政友会の勝利に終わる。しかし犬養の政友会単独内閣は、満州国の建国(1932年3月1日)になす術がなかった。満州国の建国は、日本の満州国承認(同年9月15日)、国際連盟脱退通告(1933年3月27日)をもたらす。1920年代の多国間協調の枠組みは失われた。

 国際連盟脱退通告後、日本は主要国と二国間関係レベルでの外交修復を模索する。なかでも重視したのは、対米関係である。

 日本はロンドン世界経済会議(1933年6~7月)に参加する。世界恐慌対策をめぐるこの国際会議は、アメリカ(自由貿易)とイギリス(ブロック経済)が対立した。日本は対米共同歩調をとる。なぜアメリカと協調したのか。高橋是清蔵相の積極財政の下で、金本位制離脱による円安の誘導=輸出拡大によって、恐慌の克服をめざしたからである。

 輸出主導型の日本の経済外交は、恐慌からの脱却に成功する。他方で日本の輸出は、輸入制限措置や貿易障壁をめぐって、経済摩擦を激化させる。世界経済のブロック化によってマーケットが狭くなればなるほど、日本経済はアメリカの互恵通商協定による自由貿易に対する依存を強めていく。

 二国間外交関係の修復の模索は、対外危機の沈静につながる。対外危機の沈静は、政党政治の復権をもたらす。二大政党は軍部批判を強めながら、政党内閣復活をめざす。

 欧州ではファシズムが台頭していた。日本の二大政党は、ファシズムを非難する。たとえば、民政党の機関誌のある論考(1933年9月号)はいう。「ナチスはナチスの政敵を虐殺し、ドイツ文化の源泉たる学者を殺し、幾多の文献を焼却して愛国心を以ってナチスの専売と宣伝し、既に500有余の法令を頻発してヒットラー一流の政治工作を実行しつつある」。日本において復活すべきは、米英の政党政治だった。

 その米英といえども、二大政党制というよりも、ニューディール連合と挙国一致内閣だった。挙国一致内閣の国際的な連動のなかで、日本は、二大政党の提携による政党内閣の復活をめざすべきだった。

 しかし、危機の沈静は政党間の利害対立を顕在化させる。二大政党は、協力内閣よりも単独内閣に傾斜する。再び党利党略が激しくなる。「党利党略の二大政党制に用はない」――国民が求めていたのは、新しい政党政治の枠組みだった。

 国民の意思は1936年2月20日の総選挙に表われる。民政党205議席(59名増)、政友会174議席(127名減)、無産政党22議席(17名増)である。この結果が示す国民の意思は、民政党と無産政党(社会大衆党など)の連携による、社会民主主義的な改革を進める政党政治の枠組みだった。

著者紹介

井上寿一(いのうえ としかず)

学習院大学教授

1956年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒。同大学法学研究科博士課程などを経て、93年より現職。近現代日本政治外交史が専門。
著書に、『戦前日本の「グローバリズム」』(新潮社)ほか多数。2011年、正論新風大賞を受賞。

http://shuchi.php.co.jp/

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