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生き方

大学中退、離婚、シングルマザー…離島の漁船団を率いることになった理由

坪内知佳(萩大島船団丸)

2018年09月13日 公開 2022年03月07日 更新

 

船団長の心をつかんだ1枚のなぐり書き

新規開拓を始めて2、3カ月ほど経った頃、出張ばかりして萩にいない私に、漁師たちがざわつき始めた。

以前、私は必ず港にいて、漁師たちと一緒に水揚げされた魚の仕分けや鮮魚BOXの梱包を手伝っていたのに、この頃はほとんど浜で姿を見かけない。

「あいつは最近萩にちっともおらんと、子どもを預けっぱなしで、大阪で遊び歩いとるらしいやないか。俺らの仕事を手伝わんと、何しとるんや」

次第にそんな不満が積もっていった。漁以外にやる必要がなかった彼らには、新規開拓の営業や商談で飛び回っている私がどんなことをしているのか、想像するのは難しかったのだ。

暮れも押し迫った12月のある日のこと。いつものように、ささいなことから私と長岡の喧嘩が始まると、そのうち激高した長岡が私にくってかかってきた。

「お前、うまいことわしらを利用して、遊び歩いとるやろが。もうわしらだけでできるけ、お前はいらん。開拓した客は俺たちのもんや。客のリストを置いて、とっとと出てけ」

積もり積もった不満がついに爆発した瞬間だった。

「あ、そう。わかったよ。でもよく考えて。この先、あんたら、これだけのお客でやってけるん?」

私はつとめて冷静に長岡に言い聞かせようとした。でも長岡は、

「いや、もう俺の考えは変わらん」

と頑なだ。

長岡はいまでもそうだが、決して私のことを自分より上だとは認めていない。事実、漁という現場では当然彼がトップである。

長岡が、最初は私が小遣いをやる事務員程度の“女の子”だったはずなのに、いつからこんなに偉そうな口をきくようになったのか、と内心歯がゆく思うのも無理はない。ましてや私が組織の代表として対外的に出ていくのも面白いわけがない。

「もうお前はいらん。出ていけ」

の一点ばりだったので、さすがに私も、

「わかった、わかった。好きにせえよ」

と承知せざるをえなかった。

私はそばにあったA4の紙をつかむと、表と裏にいま取引がある20件の顧客の名前を一気にばあーっと書きなぐった。

すべて私がゼロから開拓して、「萩大島船団丸」の顧客にした大切な料理人やお店ばかり。何度も連絡をとりつくしているので、店の名前も、料理長の名前も、住所も、電話番号も、癖も、好みも、全部空で覚えていた。

それらをすべて書き出したうえで、一件一件「ここはサバを入れてはダメ」「ここはタイが好き」「この料理長は釣りの話が好き」「ここに送るときはオーナーに連絡を入れること」など細かい注意書きを入れた。

そして、長岡に「ほら」と紙を渡すと、「私はもう萩を出るけぇ」と言って、出ていった。

あとで聞いた話だが、長岡はそのリストを見て号泣したという。

そのリストは、私が半年間、靴底をすりへらして大阪の町々を歩き回り、けんもほろろに追い返されても頭を下げ、食事を吐いてまで商談をこなして獲得した顧客たちだった。

タクシーに乗る経費なんて捻出できない。多い日は3万歩、歩いて営業先を移動していた。当時、私の足の爪ははがれていた。

その汗と涙の日々の跡が、A4の紙の裏表に映し出されていたのだ。

この20件を得るまでにどんなに苦労したのか、長岡は血の滲むような努力を感じ取ってくれたのだった。

後に、長岡はこのときのことをこう語っていた。

「『ああ、もうこの子には逆らえんなあ』と思うたなあ」

 

(本記事は坪内知佳著『荒くれ漁師をたばねる力 ド素人だった24歳の専業主婦が業界に革命を起こした話』(朝日新聞出版刊)より、一部を抜粋編集したものです。

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