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日本人の知識は「大学入学時がピーク」という慢性的な危うさ

佐藤優(作家/元外務省主任分析官)

2021年10月28日 公開 2022年12月15日 更新

 

なぜ多くの学生は「大学入学時がピーク」なのか

高等教育の反知性主義と新自由主義により、いま、日本の「知」の体力は下がっています。

1960年代の学園紛争を経てガタガタになり、教授がきちんと教えなくなって学生も遊びに来る感覚だったレジャーランド化の時期を経て、いまの大学は刑務所のようにガチガチのカリキュラムが組まれています。

規定のコマ数の授業に出席しなければ試験を受ける資格もないし、休講になった場合は補講しなければなりません。しかもその授業というのは大人数型のもので、教授と学生の双方向性が担保されておらず、知識の伝達もうまくなされていないという状況なのです。

高等教育とは、知識には様々な型があることを学び、自分ならではの思考の型を作りあげていくことです。だから最初は、自分が好きだと思った人について学び、その思想の型を身に付けることです。ヘーゲル、カント、マルクス、荻生徂徠、西田幾多郎...誰でも構いません。

まず一人の思想の型を知り、その人の考え方ではどういうふうに物事を見ていくのかを知って、また別の人の思想の型を身に付けていく。これが正しい学知の学び方です。ひとつの見方が絶対的に正しいと固定的にとらえてしまうと、陰謀論や反知性主義になってしまいます。

この社会は一元的ではなく、多元的な成り立ちをしています。知には様々な型があり、他者とのその差異を共有することで新しいものが生み出されていくのです。しかし、日本の義務教育は知識の詰め込み式なので、それに慣れてしまった我々は、大学に行ってもその延長で勉強をしてしまいがちです。

ですから、「丸暗記で憶える」「解法のパターンを憶える」式の勉強は得意ですが、それまでの解法パターンにないものが出たときに、基本パターンのどれを使って対応すればよいのかという応用力がない。

実社会では決まりきった問題が出てくることはまずありませんから、知識ではなくモノの考え方の土台を作ることをやっていかなければ、現実に役立つものにはなりません。

 

知識の欠損をどう埋めていくか

例えば、百科事典は高校レベルの知識がある人が理解できる内容になっています。それなので、百科事典を読んでもわからない人は、ピケティがわからないことにも通じますが、高校レベルの知識の欠損があります。

私は高校1年生の秋頃から受験勉強をサボって逃げてしまい、同志社大学に入ってから数学で苦労しました。神学は数論、集合、論理、写像と、数学と隣接しているところがあるので、数学的概念を理解していないと行き詰まってしまうんです。それで、工学部の授業を聞かせてもらってフォローしました。

世の中にある試験のほとんどは、ある程度の時間をかけて、積み重ね方式で本を読んでいき、決まった時間内でアウトプットする訓練をすれば、たいてい合格できます。高校レベルの知識が欠如していると気づいたら、そこに戻ればいいのですが、どこに戻ればいいのかを判定するのは難しい。

真面目な人はイチからやり直しますが、このやり方だと、わかっているところは集中して取り組まないので、結局どこからわからなくなったのかの線引きが難しくなります。

そういう問題を抱えている人は、リクルートがやっている「スタディサプリ」というインターネット予備校の現代文の授業をとるといいでしょう。論理をつかむことと、その論理にいかに慣れるのかが課題なんです。

論理の世界には、数学や論理学のように数字や記号等で説明する世界と、言語で説明する世界があります。現代文は、後者の、日本語という言語による論理の訓練です。

文章を論理的に体得するコツがつくと、ピケティの文章のどこがひっかかっているのか、「これ」「それ」などの指示代名詞が何にかかっているのかがわかって、読めるようになるでしょう。

 

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