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「電力不足を補え!」火力発電奮闘記

《 『Voice』2012年4月号より》

“ご老人”の再稼働

 海辺の町・愛知県武豊町。冬の青空の下に、ボイラーにつながる管や水を循環させる配管が複雑に接続された5階建て程度の建物が鎮座していた。遠目にも、赤サビが浮いているとわかる。屋外の階段はところどころぐらつき、床が抜けて落ちてしまいそうな恐怖にとらわれた。
 

 無理もない。武豊火力発電所の2号機(37.5万kW/重・原油)は、1972年――39年前に運転を開始したものだ。39年経った発電施設は、人間でいえばまさに“ご老人”(関係者)だという。発電効率も低く、中部電力は2009年10月以来運転を休止し、何もなければそのまま解体する予定だった。

「運転休止以降は最低限の整備しかしてきませんでした。お金のムダになってしまいますからね」(武豊火力発電所長・永崎重文氏)

 しかしこの「ご老人」が中部地方の電力危機を救っている、とお伝えしたら、何を感じるだろうか。

 昨年5月6日、当時の菅直人首相は浜岡原発(静岡県御前崎市)の全原子炉の運転停止を要請。中部電力は運転中だった4号機(113.7万kW)、5号機(138万kW)の停止を決定した。首相の要請の是非を問うのは本稿の目的ではない。確実な事実がある。原発停止により、中部電力は主要な「ベース電源」を失った。結果的に発生した問題は2点に絞られる。

 一つは、老朽化した火力発電所を復旧、再稼働する必要が生じたことだ。これは中部電力に限らず、原発をもつ全国の電力会社の問題だ。しかも、石油、LNG(液化天然ガス)の価格は上昇しており、燃料を運ぶ船舶の使用代金も上がった。電力各社がエネルギーを火力に移行した結果、当然、発電にかかる費用は増える結果となった(全国で年間約3兆円と推計される)。2011年、日本は貿易赤字国へ転落、主要因はこの「3兆円」である。

 第二の問題は、予備となる発電施設がまったくないことだ。永崎氏が続ける。

 「通常、電力は10%くらい余裕をもって発電しています(供給予備率と呼ぶ)。しかし、もうそんな余裕はない。“ご老人”である武豊火力の2号機を動かしても、予備率が安定供給の目標である8~10%を切ったこともあります」

 2月3日、九州電力の新大分火力発電所(大分県大分市)のトラブルで計13台の発電機が一時停止。東京、中部、北陸、関西、中国、四国の6電力会社から計240万kWに及ぶ電力の緊急融通を受けた。

 「九州電力に電力の緊急融通を実施したこの日、中部電力では予備率が一時的に3.5%まで下がる恐れがありました。供給力に直せば、わずか80万kW程度。これはたとえていえば、ジェット機が海面スレスレを飛んでいるような危機と紙一重の状態です」(永崎氏)

 中部電力には80万kW以上の火力発電機が6基あるが、当日、一つでも故障していたら、ブラックアウト(停電)につながりかねない事態であった。そしていまも中部電力では、綱渡りの電力供給が続いている。ならば、新たに発電所を建てればよいではないか、とも思うが、用地の買収なども含めれば、発電所の新設には10年近くの歳月がかかる。永崎氏が話を継ぐ。

 「だから、2号機を修理して使わざるをえなかったんです」

 2011年5月、「7月中に再稼働」という目標をめざして、復旧作業が始まった。不眠不休といっていい努力を強いられた。多くはサビとの戦いだった。

 「煙の道であるダクトは、周囲が繊維状の保温材で覆われ、その周りが金属の外装材で覆われています。発電機を稼働させていれば、多少、雨水が保温材に浸透しても熱で乾燥しますが、長いあいだ使っていないと、水分を含んだままになってサビが発生します。復旧のため、最初に点検したとき、ダクトは穴だらけでした」

 そのほかの部品についても、修理しようにもメーカーに部品の在庫がない。39年前といえば、まだ白黒テレビが現役だった時代だ。必死で部品のメーカーを探し当てて、修理を依頼した。しかも、3カ月に及ぶかつてない規模の大修繕を終えたと思ったら、油冷却器の細かい管がサビで詰まってしまうという思わぬ事態にぶつかった。最後はみんなで汗をかきかき、金属の棒で突っついて取り除くことができた。再稼働は(2011年)7月31日。目標である「7月中」になんとか間に合わせようという関係会社を含め、現場の努力がまさに実った瞬間だった。

 運転後も、必死の思いで動かしている。永崎氏が青赤いサビの斑点に覆われた巨大な部品を指していう。

 「駆動用のシリンダーです。ボイラーを運転するときに使う重要な部品ですが、これが、当初はまったく動かなかった。機械の可動部には必ず隙間があります。この隙間に湿分によるサビが発生し、固着し、動かなくなっていたんです。隙間に油を注せばいいんですが、ボイラーに火をつけたときにその隙間に入った油に火がついて火事になる恐れがあるので、水を注ぎながらチェーンブロック(重い荷物を鎖などで巻き上げる機械)を使ってようやく動くようにしたんです。もちろん、内部の重要な機械類は徹底的に整備したものの、いつ故障が起きるのか、じつは私たちも気が気ではないんですよ。当然ですが、最新鋭の発電機に比べ、発電効率もよくありません」

 奇しくも、東京電力本店(東京都千代田区)を訪れたとき、拡声器で主張をしている人物がいた。彼らは「原発なんかなくても電力は足りてんだろ?」「知ってんだぞ!」と怒りの声を上げていた。

 彼らの呼びかけに対する答えは、いちおう「YES」だ。早ければ今年4月にも、日本中のすべての原発が定期点検などを理由に運転を休止するが、それでも、新たな災害などが起きないかぎり、お茶の間に明かりは灯り、テレビの電源を入れれば、楽しいバラエティー番組が観られるかもしれない。

 しかし、なぜ電力は足りているのか。そこに、まるで懐かしの名番組『プロジェクトX』(NHK)のような物語があることは意識の隅に置いておいて無駄ではないだろう。

計器類にヒトデがついていた

「電力会社は電力の安定供給を義務として負っています。それを片時たりとも忘れたことはない。福島第一原発の原子炉建屋が水素爆発を起こしたとき、私は『ただごとでは済まない』と覚悟を決めました」

 こう話すのは、東北電力仙台火力発電所(宮城県宮城郡七ヶ浜町)、新仙台火力発電所(宮城県仙台市)の所長を務める松崎裕之氏だ。

 彼は「そのとき」を宮城県仙台市の東北電力本店の19階で迎えた。地震の災害に関する報告を受けたときは被害僅少と見積もったが、そのあとの津波で状況は一変。その後、仙台火力発電所の現場をみにいったときのことがいまも忘れられない。

 「電気室を懐中電灯で照らしたら、計器類に海藻が絡まり、ヒトデがついていたんです」

 仙台火力発電所の4号機(44.6kW万/LNG)は、2010年7月に営業運転を開始した最新鋭の発電機である。LNGを高温で燃焼させ、熱量の約58%を電気に変えることができる。60%台に乗った発電機はいまだ世界にないことから、その効率のよさがわかろうというものだ。なお、名前は4号機だが、1~3号機は老朽化のせいで撤去済みであり、施設内には一基しかない。設計・施工を担当したのは、三菱重工。震災の翌日、松崎氏はその三菱重工の担当者と衛星電話で話していた。

 「その方は私にとって“戦友”のような存在です。私が発注側、彼が受注側で、一緒に火力発電設備を建設した間柄です。その彼が『必要な支援は何でもする』といってくれた。これは心強かった。実際、衛星電話で話した翌日の3月13日、ヘリで現場に来てくれました。施設は泥にまみれ、ところどころ変形していて見る影もない。聞けば、悔し涙を流したそうです」

 震災前、東北電力では全24台の火力発電設備のうち、19台が運転中であったが、震災の影響によって13台が停止。日本海側の火力発電設備は早期に運転を再開していたが、津波で壊滅的被害を受けた太平洋沿岸の火力発電設備の復旧が急がれた。松崎氏も、発電所の復旧にこそ、東北の復旧がかかっていると考えた。電気がなければ、復旧に必要な作業もすべてが滞ってしまう。一刻も早く発電を再開したいと願う松崎氏は、関係会社を集めて異例の相談をすることになった。

 「通常、何らかの作業を発注すると、受注側はある程度日程にマージンをとったうえで『いつまでにできる』という回答をします。たとえば、必要な資材が手に入らないかもしれないし、悪天候が続けば、工事に支障が出るリスクもある。要するに、必要なマージンなのです。しかし『今回は非常事態だから、マージンをすべて吐き出してほしい』とお願いしました」

 三菱重工は、この要請を快く引き受けた。ほかの施工業者も同じであった。

 その際、松崎所長はある重大な決断を下した。

 「もし工程表どおりに作業を終えられない場合、施工業者には通常、何らかの形で責任を取ってもらうことになっています。発電所は、一度、所轄の官庁に営業運転の許可をもらうと、その日までに営業運転を始めなければ許可が取り消されてしまうこともあったからです。しかし、今回は工程表どおりに作業が進まなくても責任は絶対に問わないと伝えました」

 全責任は自分が取る覚悟の松崎氏は、日程を詰めるため、施工業者の便宜を図ることに努めた。

 「今回は、従来の慣例に縛られていてはいけないと考えました。そこでたとえば、従来は国内製品を使用するのですが、必要な部品が足りなければ外国製品でもいいとも話しました」

 施工業者と調整を重ね、日程のマージンをすべて吐き出した工程表をつくると、なんとか2012年3月に復旧できそうな目途が立った。松崎氏は、先の三菱重工の“戦友”と、「ならば(震災から1年後の)3月11日に運転を再開しよう」と一時話し合ったが、さらに日程を早めようとする。

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