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いざというときに優先すべきこと

猪瀬直樹(作家/東京都副知事)

2012年04月03日 公開 2022年10月13日 更新

いざというときに優先すべきこと

※本稿は、猪瀬直樹著『決断する力』(PHPビジネス新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

いざというときに優先すべきことは何か

想定外の事態に直面したとき、僕らは何を基準に行動したらいいのか。

既存のルールに従うだけでは、"想定外"の事態に対処できないことは目に見えている。刻々と移り変わる状況に臨機応変に対応し、つぎつぎと襲ってくる危機を乗り越えるためには、最も大事なもの──災害時には、それは人命であり、安全である──を見きわめ、そこに意識を集中しなければならない。

危機への対応を考えるとき、東日本大震災ほど教訓になるケースはないだろう。この章では、震災当日を中心に、その後数カ月の行動を振り返りつつ、緊急時にこそ必要となる決断力と優先順位のつけ方について見ていこう。

 

・耐震化条例の可決

2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0を記録した東日本大震災が発生した。

その日は、14時20分に都議会が終わっている。最後の議決が、たまたま耐震化条例だった。

たとえば、東京23区内をぐるりと巡る環状七号線(通称「環七」)の横に、築40年とか築35年のマンションがたくさん建っている。1981年以前の建物は耐震基準が緩いので、耐震補強をしないと、地震のときに倒壊のおそれがある。阪神・淡路大震災で倒れたビルがあったが、とくに幹線道路を塞いでしまうと、救急車や消防車などの緊急車両の通行を妨げ、被害を拡大しかねない。そこで、主要道路の沿線にある建物を対象に、耐震診断を義務化する条例を可決した。

耐震工事をした場合の自己負担は6分の1で済むようにした。従来の補助金は、国が3分の1、東京都が3分の1、自己負担が3分の1だが、東京都の負担をかさ上げし、自己負担を軽減した。ビルの耐震化には、壁面に斜めの「つっかえ棒」を入れるなど、さまざまな補強工事があるが、工事代金の6分の1だけ負担すれば、残り6分の5は補助金が出る仕組みだ。しかも耐震診断は無料である。

条例の可決が、14時20分。

その後、壇上に立った石原慎太郎・東京都知事が1分45秒にわたって、1カ月後に迫っていた4月の都知事選挙への出馬表明を行なった。

出馬の理由について、石原さんは「こんにち国民の多くが感じている国家破綻への危機感の故にであります」と述べ、つぎのように続けた。

「現今の国の政(まつりごと)の混乱、停滞を眺めれば、この日本の命運はおそらくこの数年間に決められると思います」

その後の非常事態を予見したかのような発言のわずか20数分後、「東北地方太平洋沖地震」が発生した。マグニチュードは9.0。地震のエネルギーは1923年の関東大震災の約45倍、1995年の阪神・淡路大震災の約1450倍になるといい、1900年以降に起きた地震では、世界で4番目の規模となった。

 

・知事室で感じた大きな揺れ

地震が発生する直前、僕は石原知事とともに都議会本会議場のある議会棟から隣の都庁舎7階の知事室に戻って、15時から予定されていた石原さんの知事選出馬会見に備えて、幹部と打ち合わせをはじめるところだった。話しはじめたところで、知事室がミシミシッと不気味なきしみ音を立てはじめた。

超高層ビルは柔構造になっていて、柳のように揺れる。都庁舎は強風の日でもミシミシ揺れることがある。「この建物は、よく音を立てるなあ」などと話していたのだが、なかなかミシミシが収まらない。「あれ? これは地震だな。ちょっとテーブルの下に入ろうか」と石原さんが言うので、僕も入った。

ところが、あのときは揺れが長く続いて、30秒くらいすると、大丈夫ではないかと思った。そこで、2人で顔を見合わせてテーブルの下から抜け出した。だが、まだ揺れている。それどころか揺れが大きくなった。これは大変だと思い、揺れが収まったのを見計らって、石原さんとともに九階の防災センターに向かった。エレベータに乗ろうとしたが、職員が「エレベータは停まっています!」と言う。僕は、急勾配の非常階段を2階分、一気に駆け上がった。

都庁の非常階段は段差がきつく急勾配だが、1年前からジョギングをはじめて、毎日2、3キロ走っていたので身体が動く。スイスイと駆け上がったのは、普段の行ないが役に立ったということだ。

 

・千葉県市原市へ消防艇を緊急派遣

9階の防災センターには、NASA(米航空宇宙局)の指令センターのように各種のモニターが並んでいて、災害情報がリアルタイムに集まってくる。津波警報が出された海岸の様子、東京消防庁のヘリコプターが東京上空からとらえた映像などが、刻々と画面に映し出されていく。お台場にあるテレコムセンターの裏の工事中のビルから黒煙が上がっている。千代田区の九段会館では天井が落下し、負傷者が大勢出ている。

千葉県市原市五井海岸にあるコスモ石油のコンビナートが真っ赤に炎上している様子も映し出された。すぐに東京消防庁の防災部長を呼んで、「ただちに消防艇を出そう」と言った。防災部長は「本来なら千葉県から総務省に要請が出され、総務省から東京都に連絡が来る仕組みになっています」と回答。「いいよ、そのプロセスを飛ばそう」と僕は言った。    防災部長は「わかりました。消防艇の『みやこどり』は化学薬品も積んでおり、準備はできています」と即答し、その場で出動を決めた。16時頃のことだ。

東京湾はつながっていて、海に県境はない。だから、要請がなくても行く。これだけ大きな地震だから、どこも現場は大混乱しているに違いない。手順どおり出動要請を待っていて、万が一にも消火活動が間に合わないようなことがあってはいけない。平時ならわかるが、いまは一刻を争う緊急事態だ。時間を無駄にしないためにも、しかるべき手を打っておく。

石原さんには事後報告で、「先に行っちゃいましたよ」と伝えた。たぶん森田健作・千葉県知事から後で出動要請の電話があるはずだから、それを見越して先に行かせた、ということだ。石原さんは「そうか。それでいい」とひと言。すると、ほんとうにその1時間ほど後の17時すぎに森田知事から出動要請の電話がかかってきたので、石原さんは「もう行かせたよ」と答え、受話器を置きながら「やっぱりかかってきたね」と眼で合図した。

地方自治体は、下から上に情報が上がってくるから、通常の手順を踏んでいると時間がかかる。緊急時だから、臨機応変に対処しないと、間に合わなくなるおそれがある。正式な要請を受けて、東京消防庁はさらに地上部隊を8台追加投入した。無人遠隔操作で消火活動ができる大型化学車「スーパードラゴン」や、2キロ先まで放水可能なスーパーポンプ車が現地へ向かった。

 

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 猪瀬直樹

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