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桜田門外の変・水戸浪士たちの刀

2015年04月03日 公開

歴史街道編集部

 

<画:大蘇芳年、月岡米次郎「安政五戊午年三月三日於テ桜田御門外ニ水府脱士之輩会盟シテ雪中ニ大老彦根侯ヲ襲撃之図」(国立国会図書館蔵)>

 

 安政7年(1860)3月3日、牡丹雪の霏々〈ひひ〉と舞う中、登城途中の大老井伊直弼(44歳)の行列を水戸浪士らが襲った。桜田門外の変である。この時、井伊大老の首級をあげたのが、水戸浪士たちの中に唯一人参加した薩摩浪士の有村次左衛門〈ありむらじざえもん〉(22歳)で、振るった刀は、薩摩藩士・奈良原喜八郎から借用した関孫六兼元2尺6寸の大業物であったという。では、他の水戸浪士たちの佩刀はわかるだろうか。

 まず襲撃を指揮した関鉄之介〈せきてつのすけ〉(37歳)の佩刀は、越前千代鶴2尺3寸、広岡子之次郎〈ひろおかねのじろう〉(21歳)は無銘の新刀2尺5寸6分、稲田重蔵〈いなだじゅうぞう〉(47歳)は前年の秋に金子孫二郎〈かねこまごじろう〉(57歳)から譲られた備前長船永正祐定、そして佐野竹之助(介)〈さのたけのすけ〉(21歳)は水戸鍛冶・勝村正勝(初代)3尺であったという。他の浪士たちも佐野同様、水戸の刀工・勝村正勝の鍛えた2尺8寸から3尺の剛刀を用いた者が多かった。

 佐野には、刀にまつわる逸話がある。彼が17歳の頃、徳川斉昭の側小姓に召し出され、勤務するかたわら剣術・砲術に励んでいた。そんな佐野は身長が4尺7寸(約142cm)と小柄ながら、3尺余りの佩刀であったため、同僚から「おぬしにそんな長い刀が抜けるのか」と冷やかされた。すると佐野はものもいわずに抜刀し、一瞬で相手の眉間をかすめて見せたという。

 また佐野が砲術家の福地政次郎のもとを訪れていた時、刀工の勝村正勝が、福地が注文していた刀を届けに来た。佐野は刀を手にとり、しばらく眺めた後、「ひとつ試させてもらう」と言って庭へ下り、直径5寸(約15cm)の梅の木をスパリと切って、「この刀は拙者がもらおう。手もとに5両しかないが、梅の木代として置いてゆく」と言って、持って帰った。桜田門外の変で用いた刀がそれである。

 襲撃当日。佐野は股引脚絆〈ももひききゃはん〉に黒木綿のぶっさき羽織、白い紐を垂らし、その下にたすきをかけた出で立ちだった。やがて雪の中を、井伊大老を護る彦根藩の行列が堀端をゆっくりと近づいてくると、佐野が早くも羽織の紐を解こうとするので、そばにいた大関和七郎(25歳)が「まだまだ」と押し止めた。

 「捧げまるす」と森五六郎(23歳)が井伊家の行列の先頭に直訴するような素振りをし、井伊家の供頭が「何事ぞ」と近寄るや、森はこれを一刀のもとに斬る。それと同時に、黒沢忠三郎(31歳)が大老の駕籠めがけて短銃を放つ。その銃撃音が合図だった。行列見物を装う水戸浪士たちが、3方向から一斉に行列へ斬り込んだ。桜田門に近い堀端は、たちまち怒号と流血の巷と化す。彦根藩の者たちは雪除けに柄袋をつけていたため、とっさに抜刀できず、鞘で応戦する者もいた。そんな中、稲田重蔵が大老の駕籠へ体当たりするごとく飛び込む。しかし駕籠脇には、彦根藩の供目付・河西忠左衛門〈かさいちゅうざえもん〉が二刀を抜いて構えており、稲田を斬り下げた。そこへ広岡子之次郎が駆けつけ、河西と激しく切り結び、傷を負いながらも河西をついに倒す。駕籠脇に倒れていた稲田は最後の力を振り絞って、駕籠に愛刀・長船永正祐定を突き入れ、そのまま絶命した。

 一瞬、駕籠周辺の護りが空白となったところへ、左翼から有村、右翼から佐野が飛び込み、有村の関孫六と佐野の勝村正勝を左右同時に駕籠に突き立てる。そして有村が井伊を駕籠から引きずり出し、大老の首をあげた。

 闘いはものの数分であったという。井伊の首はあげたものの、浪士の大半も重傷を負っていた。有村は井伊の首を掲げて堀端を去ろうとしたところ、彦根藩の追っ手の一撃を後頭部に受ける。広岡がその追っ手を斬ったものの、2人ともすでに満身創痍で力尽き、付近で自刃。佐野は老中脇坂邸に自訴するが、傷が重く、夕刻に邸内で息絶えた。有村以外の、彼らの佩刀のその後はわからない。

 

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