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桂小五郎と桂太郎のつながりとは?

2015年05月26日 公開

歴史街道編集部

桂太郎と桂小五郎(木戸孝充)

今日は何の日 明治10年5月26日

維新三傑の一人、木戸孝允が45歳で没

明治10年(1877)5月26日に、西郷隆盛・大久保利通とともに維新の三傑と称される木戸孝允(桂小五郎)が45歳の若さで亡くなりました。

木戸については、西郷・大久保に比して少し評価が過小なところがあるように思えます。おそらくその一つの要因として、『竜馬がゆく』での司馬遼太郎の記述があるのではないでしょうか。坂本竜馬の仲立ちで薩長同盟が成立した際、盟約書の裏書を竜馬に求めた以下のくだりです。

「桂とは妙な男である。これ程までに感動していたくせに、なお、薩人を全面的に信ずることができず、「また薩人がわれわれをだますかも知れぬ。すまぬが大兄の裏書きがほしい」と裏書きを求めたのである」

しかし、神経質な面はあったとしても、幕末から明治維新まで一貫して長州藩の先頭に立ち、維新後は明治政府の中枢で多大な貢献をしたことは間違いないでしょう。

吉田松陰をして「吾友〈わがとも〉桂生(小)五郎」、大隈重信は「雄弁滔々、鬼才縦横であるが、併しなかなか誠実」、松平春嶽は「帝王を補助し奉り、内閣の参議を統御して、衆人の異論なからしむるは、大久保(利通)といえども及びがたし」と高い評価をされていることからも、その人物が傑出していたことがうかがえます。

ここで長州藩における桂家について、少し解説させていただきます。桂家は毛利氏の有力な庶家で、家老職をつとめた坂氏の庶流とされます。

毛利元就の父と兄である弘元・興元の代に家老職にあった坂広明の子・広澄が、桂村に居住して姓を桂に改めます。元就が家督相続をした際に、忠誠を誓った宿老15人のうちの一人に、広澄の嫡子である元澄も加わっています。

NHKの大河ドラマ『毛利元就』では、広澄を草刈正雄さんが、元澄を鶴見慎吾さんが演じました。草刈さんのどこか翳のある広澄と、『軍師官兵衛』では小早川隆景を熱演した鶴見さんが演じた元澄が、とても記憶に残っています。

元就が家督を継いだころの毛利家は、内部の結束が一枚岩ではなく、桂一族の坂広秀らが、元就を殺害して異母弟である相合元綱を当主に立てようと画策します。この企みは露見して失敗、坂広秀は切腹します。

広澄は、一族から造反者が出たことの責任をとって切腹。元澄も一族で居城に立て籠りますが、元就が自ら説得にあたったこともあり元就に降り、以後は元就の忠臣として毛利家で重きをなします。

その元澄の功績として伝えられるのが、毛利元就と陶晴賢の決戦である厳島合戦において、元澄は晴賢に内応したふりをして油断させ、晴賢軍を厳島に誘い出したことです。暴風雨をついて毛利軍は出陣、油断をしていた陶軍に大勝利します。この戦いによって、毛利氏は中国地方の覇者となったのです。

その後も元澄の子孫を中心に桂氏は繁栄します。江戸時代には寄組2家、大組12家、他に長府藩の家老もつとめます。

桂小五郎は8歳で和田家から桂家に養子に入りました。また、日露戦争時の首相として日本を勝利に導いた立役者の一人である桂太郎(桂清澄)も、広澄・元澄に連なる桂一族です。

一説には、桂小五郎の桂家は元澄の3男元親の系列、桂太郎は元澄の5男広繁の子鎮澄が始祖の系列とされます。

桂小五郎は、11歳年下の桂太郎に目をかけ、太郎のドイツ私費留学を官費留学に切り替えるために尽力したり、陸軍へ入れて大尉に任官させるなどします。

太郎も駐在武官となって赴任したドイツから毎月欠かさず「木戸尊大人様閣下」という宛名で小五郎に手紙を出し、珍しいものが手に入ると木戸夫人宛てに贈ったといいます。

毛利家を支えた家系から出た二人が、幕末から明治にかけてそれぞれの立場で活躍する…元就や桂広澄・元澄がこれを知ったら、子孫の活躍を誇らしく思ったのではないでしょうか。

写真は桂小五郎(木戸孝允)と桂太郎(国立国会図書館蔵)

iyashi

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