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風呂は「熱い」「ぬるい」と言うな…大泉洋が演じる真田信之とは?

2015年07月23日 公開
2023年01月16日 更新

『歴史街道』編集部

今も地元で愛されている真田家のキーパーソン

松代城
 

30年前は渡瀬恒彦

 先日、主要キャストが発表された来年のNHK大河ドラマ「真田丸」。三谷幸喜さん脚本ということもあり今から話題となっていますが、その中でも注目を集めているのが、大泉洋さんの出演でしょう。

 大泉さんが演じるのは、真田信之(信幸)。「真田丸」の主人公であり、数多くいる戦国武将の中でも1,2を争う人気を誇る真田信繁(幸村)の実兄です。30年前に放送されたNHKの連続TVドラマ「真田太平記」では渡瀬恒彦さんが演じられました。

 ちなみに、同作で信繁を演じたのが、来年の大河ドラマで、信之・信繁兄弟の父である真田昌幸に扮する草刈正雄さん。三谷さんならではのキャスティングであり、今から熱演を楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。

 信之というと、どうしても弟の信繁と比べると印象が薄いと感じる向きもあるかもしれません。しかし、真田家にとっては、きわめて重要な存在でした。ここでは、簡単ではありますが大泉さん演じる真田信之について紹介しましょう。
 

弟・信繁(幸村)との分かれ道

 信之が生まれたのは、永禄9年(1566)のことです。有名な桶狭間の戦いの6年後のことであり、石田三成や直江兼続の5歳ほど年下です。なお、当初は「信幸」と名乗っていたものの、関ケ原の戦い後に「信之」としたと伝わります。

 初陣は、天正13年(1585)の第1次上田合戦(神川合戦)とされます。当時、徳川家康軍が真田家の居城・上田城に大軍で攻めてきました。

 この時、城主・真田昌幸は智略を巡らせ、徳川の精兵を散々に翻弄しましたが、信之もこれに大いに貢献しました。弱冠20歳でしたが、すでに名将の片鱗を見せた戦いぶりだったといいます。

 この第1次上田合戦の翌年、真田家が豊臣秀吉の仲立ちにより家康の配下になると、信之はやがて家康のもとに出仕します。弟の信繁は大坂城の秀吉のもとに出仕していますから、兄弟はすでに分かれて道を歩み始めていたことになります。

 その後、慶長3年(1598)に秀吉がこの世を去ると、真田家も戦雲に巻き込まれます。秀吉亡き後、徳川家康に対して石田三成が挙兵すると、昌幸・信繁は石田方(=西軍)、信之は徳川方(=東軍)につくのです。

 これが、いわゆる「犬伏の別れ」であり、最新研究によれば時期は定かではありませんが、「真田」の家を守るため、彼らが非常なる決断を下したのは事実です。

 関ケ原合戦で東軍に与した信之は、戦いの後、敗れた西軍についた父と弟の助命嘆願をしたといいます。そして信州松代藩の礎を築き、寛永13年(1636)には江戸城外堀にあたる四谷の真田濠開削を行なうなど、幕府からのお手伝い普請をしっかりとやり遂げ、真田家を守り抜きました。

 この「真田家を守り抜く」というのが、父や弟と別の道を歩んだ信之が己に課した使命だったのでしょう。
 

子孫が伝える真田家の教え

 人柄を伝えるエピソードも残ります。子孫で現在、松代真田家14代当主の眞田幸俊氏によれば、松代真田家には、

 「家臣が沸かしたお風呂に入った時、湯加減を聞かれたら『いい湯だ』と答えなければならない。『熱すぎる』『ぬるい』と言えば、沸かした家臣の首が飛んでしまうからだ。殿様たる者、まずは家臣を守らなければならない」

 という教えが伝わっているといいます。藩祖・信之の考えが色濃く残っている教えであるといい、誠実で律義な人柄がうかがえます。

 信之は、父・昌幸が配流先の高野山九度山で没したと聞くと、葬儀を行ないたいと徳川に談判し、また弟の信繁にも幾度も手紙や生活費、身の回りのものを送っていたといいます。

 他の真田家の人間に比べて派手さはありませんが、このように一族を愛し、家臣や領民を愛して守ろうと奔走した信之だからこそ、今も信州で慕われ続けているのでしょう。

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