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「歴史街道」3月号●鍋島直正と近代化に挑んだ男たち

2016年02月09日 公開

歴史街道編集部

2月5日(金)に発売された「歴史街道」3月号の特集「鍋島直正と近代化に挑んだ男たち‐幕末佐賀藩と三重津海軍所」の中身を、担当編集より簡単に紹介させていただきます。

 

 昨年夏、長崎県の軍艦島などから構成される「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」がユネスコ世界遺産に登録されたことは記憶に新しいところでしょう。その構成要素のひとつに含まれているのが、佐賀県の「三重津<みえつ>海軍所跡」です。

 

 三重津海軍所とは、幕末の佐賀藩が安政5年(1858)に設立した、蒸気船などの船の修理・造船施設です。今から150年前の「明治維新」といえば、薩摩藩や長州藩の活躍を連想する方が多いでしょう。しかし、実は維新は佐賀藩の存在なくして語ることはできません。

 

 肥前佐賀藩が果たした役割は、何であったのか。それは、司馬遼太郎氏が「幕末、佐賀ほどモダンな藩はない」と語ったように、西洋の最新技術を積極的に取り入れ、日本の近代化への「推進力」となった点です。

 

 佐賀藩が他藩に先駆けて築いたもののひとつに、反射炉があります。鉄製大砲などを鋳造<ちゅうぞう>するためのもので、鹿児島や韮山(静岡県)のものが有名です。しかし日本で初めて反射炉を築いたのは、佐賀藩でした(嘉永3年<1850>)。

 

 佐賀藩は、まさしく「近代化のトップランナー」ともいうべき存在でした。では、なぜ佐賀藩はそのような躍進を遂げることができたのでしょうか? 今特集では、佐賀城歴史本丸歴史館の浦川和也先生に、その背景を丁寧にご解説いただいております。

 

 そして、佐賀藩躍進を語る上で欠かせないのが、10代藩主・鍋島直正です。幕末指折りの名君として名高い人物で、号の閑叟(かんそう)の方が馴染みのある方が多いかもしれません。

 

 幕末の佐賀藩は、鍋島のリーダーシップのもと、多くの有能な人物が育ち、集まり、近代化に勇躍して挑みました。その代表例が、「日本赤十字の父」としても知られる佐野常民や、「からくり儀右衛門」こと田中久重でした。

 

 彼らの挑戦の連続と不断の努力が生み出した象徴こそ、三重津海軍所でした。彼らはどのように近代化に挑み、どんな想いを抱いていたのか――。その姿を、作家の植松三十里先生に存分に描いていただいております。

 

 その他、構成要素の一つとして世界遺産に登録された三重津海軍所については、佐賀市世界遺産調査室の前田達男室長にご解説いただいているなど、様々な角度から幕末の佐賀藩に迫っています。

 

 今回、編集を担当していて感じたことは、幕末という「国難」の時代、様々な人物が危機感を抱き、日本の未来のために奔走していたことです。近代化に挑んだ佐賀藩は、その象徴的存在ということができるでしょう。
 

 「薩長土肥」という言葉がありますが、佐賀藩も他の三藩と同様に注目すべきだと、改めて感じました。是非、弊誌特集をご一読下さいませ。(水)

 

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