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島津豊久「らしさ」のルーツを探る!

2016年10月06日 公開

歴史街道編集部

「捨てがまり」だけじゃない

歴史街道表紙

島津豊久という武将を、ご存知でしょうか?
本日発売の11月号の総力特集は、戦国島津家の隠れた猛将・島津豊久です。
人気漫画「ドリフターズ」の主人公として名前を知ったという方も多いかもしれません。

戦国の薩摩といえば、義久、義弘、歳久、家久――いわゆる島津四兄弟がよく知られています。
彼らの時代に、島津家は、薩摩半島の一部の領主から、南九州の覇者、さらには九州全体の覇権を争うほどの巨大勢力にまで成長しました。

豊久は、その家久の息子で、四兄弟の「次の世代」当たります。
戦国時代も終わりに向かう中で、戦で采配を振るう場面は多くなかった豊久。
しかし彼は、その散り様の見事さで、歴史に深く名を刻んでいます。

慶長5年(1600)、関ケ原。
西軍方についた島津は、合戦後、徳川勢に追われる身となります。
関ケ原を抜けて何とか薩摩まで帰らなければ、と考えた島津は「敵中突破」を敢行します。
あえて敵のど真ん中にぶつかり、敵勢の壁を正面から突破して逃げ道を拓こうというのです。

決死の作戦に成功した島津勢でしたが、なお追いすがる徳川勢。
そこで豊久は、せめて島津家総大将・義弘だけでも国許に逃がすため、敵前に立ちはだかることを決断します。
自分の身を捨ててでも、総大将を生かす。

それが、「島津家にとって」の「勝利」だ――。

この「捨てがまり」のイメージがあまりに強烈なため、豊久については、それ以前にどんな人生を送っていたのか、どんな人物だったのか、ということについてはほとんど知られていません。

「豊久らしさ」とは何か >

iyashi

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