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勇猛さだけでは、「島津らしさ」は語れない!?

2016年10月14日 公開

歴史街道編集部

本誌の朝鮮出兵についての記事では、倭城の専門家である太田秀春先生にご登場いただきました。
先生が特に強調されていたのが、「戦国島津を考えるときには、いわゆる勇猛さだけではなくて、“進取の気風”にこそ注目すべき」ということ
敵である朝鮮の文物や技術であっても、優れているものは積極的に取り入れようとする素直さ、冷静さが、「島津らしさ」の大きな部分を形づくっている、というのです。

例えばお城。当時、朝鮮には既に、石を均一に加工して隙間なく積み上げ、石垣を築く技術がありました。
「叩いて割って形を整えているのではなく、石が切ってある……!」
それが十何キロも続き、ソウルの街全体を囲っているのを目の当たりにした島津氏が、素直に感動している様子は記録にも残っています。

また、当時朝鮮にしか生えていなかった花に興味を示し、わざわざ鉢植えにして薩摩に送ったこともありました。
その花は実を結びつづけ、今も鹿児島の仙巌園に植わっているそうです。

さらに、陶磁器。
今でも鹿児島では薩摩焼が名産ですが、これもルーツは朝鮮出兵にあります。朝鮮の焼き物技術に感動した島津が、現地の職人を鹿児島に連れ帰ったことから始まるからです。

登り窯
(仙厳園の登り窯)

このことについては、「島津が無理やり捕虜にして連行したのでは?」という見方をする人もいますが、実際はそんなに荒っぽい手立てはとっていなかったのではないかと考えられます。
というのも、島津は単に職人だけを連れてきたのではないからです。

俵につめて乾燥させ軽くした、現地の土。陶磁器を神様に祀る儀式のための現地の衣装や冠。
そういったものまできちんと全て、鹿児島に持ち帰っているのです。
「技術も、土も、すべて朝鮮でやっていた通りにしていいから」という条件で、朝鮮の職人を招聘した……というのが実情ではないか? とも思われるのです。

当時の薩摩焼には、「火計手(ひばかりで)」と呼ばれるものがありますが、ひばかり=火ばかり、つまり火だけは日本のものだが、それ以外はすべて朝鮮のもの、という意味。
島津の、新しいもの、優れたものへの敬意の念が伝わってくるようにも思われます。

そんな素直さは、何も島津家の武将クラスの人たちだけが持っていたものではありません。
家臣たちも、例えば朝鮮の風物を見ては
「これは『古今和歌集』に出てきたあの場所だ!」
「あの場所に、実際に立っているなんて感激!」
「さすが、朝鮮の建物は日本のものとは違う麗しさがある」
というような感想を書き残しています。
戦争に来ているのに、呑気というか、素直というか……(笑)。
関心の芽が尽きないのです。

当時の薩摩人はみな、新しいものに尻込みすることなく、むしろ敬意を払って取り入れる。そんな性質があったのかもしれません。
どこか幕末の薩摩人の気質にも、繋がるようなところがありますね。

もちろん、島津豊久もその気風はしっかりと受け継いでいます。
例えば……という続きは、ぜひ本誌で。

iyashi

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