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時の記念日~日本で初めて時計を作ったのは?最初に機械時計を使った武将は?

2017年06月10日 公開
2019年05月29日 更新

6月10日 This Day in History

今日は何の日

6月10日は「時の記念日」

今日6月10日は「時の記念日」です。大正9年(1920)に、東京天文台と生活改善同盟によって、「時間をきちんと守り、欧米並みに生活の改善・合理化を図ろう」と設けられたものです。

当時の国民啓蒙のポスターを見ると、「オ互イニ時間ヲ正確ニ守リマセウ」「時、是レ金」「時間ニ待ッタナシ」といった文言が並んでいます。 世界に冠たる「時間に正確な」現代日本人からすると、少し当たり前すぎる呼びかけのように思えますが、腕時計などもまだ一般的ではなかった時代、今よりも時間については大らかだったのかもしれません。

また、この大正9年という年は、日本が国際連盟に加入し、東洋工業(後のマツダ)、日立製作所、鈴木式織機(後のスズキ)が設立されるなど、国際社会へ急速な工業化により割って入ろうとしていた時代です。生産性向上の観点からも、時間厳守の呼びかけが必要だったのかもしれません。

ところで、歴史雑誌の記事を製作していて困ることのベスト3に入るのが、昔の時間表示です。江戸時代などは、日出と日没によって昼と夜に分け、それぞれを6等分(九ツ~四ツ)する時刻表示でした。

「草木も眠る丑(うし)三ツ刻…」は、「丑」の一刻=夜中の1時~3時を4等分した3番目のことで、2時~2時半までの約30分間ということになります。 ところが、夏は昼の時間が長くて夜の時間が短くなり、冬はその逆になります。夏至の頃の昼の一刻が約2時間40分であるのに対し、冬至の頃では約1時間50分になります。同じ「丑三ツ刻」でも、年間を通して時刻が違うことになります。

秒単位の生活をしている現代人には、とても我慢できそうもない時間感覚ですが、お天道様とともに起きて働き、日没とともに眠りにつくことの多かった当時の人々にとっては、わかりやすくて生活に都合がよかったのでしょう。

さて、世界的に見ると、時計の始まりは日時計や水時計が多いようですが、日本で初めて時計を作ったのは、『日本書紀』に記されている天智天皇の水時計(漏尅・漏刻:ろうこく)と伝わっています。 いくつもの水槽から管で水が落ちていき、最下層の水槽に浮かべてある矢が浮かび上がって指す目盛りで時刻を計るというものでした。この水時計で時の鐘を鳴らしたのが現在の6月10日だったため、この日が「時の記念日」となったそうです。

では、日本で最初に機械時計を使ったのは誰でしょうか。キリスト教の伝来とともに機械時計が伝わったとされ、フランシスコ・ザビエルが周防国の大内義隆に献上したという記録が残っています。

現存する機械時計で一番古いものは、徳川家康にイスパニアから献上されたものとされ、今も静岡県の久能山東照宮に保管されています。 家康は、メガネを使っていたといわれています。メガネをして、時計を気にしながら仕事をする…家康が現代サラリーマンにも思えてきます。

映画化もされた沖方丁著『天地明察』は、江戸時代に当時もっとも正確な暦である貞享暦を作成し、天地の理法を明らかにしようとした渋川春海の物語ですが、作中に「暦は天皇が下しおかれるもの」という意味の表現がよく出てきます。「暦」を統べるということは、つまり「時間」を統べることと同義でしょう。先ほど触れた古代の水時計である漏刻は、持ち運びできるものを、天皇が行幸する際に専門の役人が持ってついていったそうです。天皇にとって「暦」と「時間」の管理は、最も重要な職務の一つであったようです。

時代ごとに、その人の人生ごとに、それぞれの「時間」の感じ方・受け止め方があったのでしょう。現代の時間感覚だけで歴史を見てはいけないようにも感じる、そんな「時の記念日」であります。

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