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戦艦武蔵艦長、猪口敏平少将の遺書

2017年08月04日 公開

歴史街道編集部

今日は何の日 昭和17年8月5日

戦艦武蔵がシブヤン海で沈没

昭和17年(1942)8月5日、戦艦武蔵が就役しました。世界最大・最強の戦艦大和と同型の二番艦として知られます。

戦艦大和の就役から遅れること8ヵ月、戦艦武蔵が就役しました。大和との大きな違いは、大和が呉海軍工廠で建造されたいわば「官給品」であるのに対し、武蔵は三菱長崎造船所という民間会社で建造された点です。当時、海軍工廠は呉と横須賀にありましたが、海軍はそれ以外に、民間会社の三菱重工と川崎重工にも戦艦を建造できる能力を要求しました。それは戦艦を建造できる造船所を常時4ヵ所確保するためと、最先端の技術力を民間会社にも維持させる目的があったといわれます。とはいえ最高レベルの軍機密である大和型戦艦、それも三菱の技術者たちが驚嘆したほどすべてが規格外の超巨大戦艦を、極秘裏に建造することがいかに困難であったかは容易に想像できます。特に長崎造船所は擂鉢のような地形の長崎の町の底に位置するため、衆人環視の中にあるといってよく、建造するドックの周囲は日本中からかき集めた500tものシュロですだれを作り、覆い隠しました。またイギリスやアメリカ領事館から造船所を隠すために、岸壁に沿って「目隠し倉庫」なるものも作られました。そうした造船所の人々の苦心は吉村昭さんの『戦艦武蔵』に詳細に記されています。進水は昭和15年(1940)11月1日。基準排水量6万4000tという巨体が船台から狭い湾内に進水した際、高波が生じて対岸の民家の床下まで海水が浸水しました。

昭和17年7月の公試運転を経て、8月5日に就役すると、武蔵は最前線のトラック島へ出撃します。トラックに到着すると、武蔵は大和に代わり、連合艦隊旗艦となりました。その理由の一つは、数々の豪華客船を手がけてきた長崎造船所で造られた武蔵の方が、内部の調度品などの仕上げが良かったから、ともいわれます。 しかし大和・武蔵は温存されて、激戦の続くソロモン方面にも投入されません。武蔵にとってようやくめぐってきた海戦は昭和19年(1944)6月のマリアナ沖海戦でしたが、ほとんど活躍の機会はなく、日本海軍の空母機動部隊は壊滅。そして武蔵にとって最後の戦いとなる同年10月のレイテ沖海戦を迎えます。

大和・武蔵を中核とする栗田健男中将率いる艦隊が、フィリピンに上陸するレイテ泊地の米輸送船団を壊滅させるべく突入した作戦ですが、日本軍航空機の援護はなく、米攻撃機の雷爆撃に一方的に晒され、特に攻撃は武蔵に集中しました。この時の武蔵艦長・猪口敏平少将の遺書となった手記の一部を紹介します。

「ついに不徳のため、海軍はもとより、全国民に絶大の期待をかけられたる本艦を失うこと、まことに申し訳なし。ただ本海戦において、他の諸艦に被害ほとんどなかりしことは、まことにうれしく、なんとなく被害担任艦となりえたる感ありて、この点、いくぶん慰めとなる。本海戦において申し訳なきことは、対空射撃の威力を十分、発揮しえざりしことにして、これは各艦とも下手のごとく感ぜられ、自責の念にたえず。被害大となると、どうしても、やかましくなることはいたしかたないかも知れないが、これも不徳のいたすところにて慙愧(ざんき)にたえず。(中略)本日の致命傷は、魚雷命中(五本、確実以上七本の見込み)にありたり。いったん回頭しているとなかなか艦が自由にならぬことは申すまでもなし。最後までがんばり通すつもりなるも、いまのところダメらしい。一八五五、暗いので思うようにことを書きたいが意にまかせず。(中略)生存者を退艦せしむることに、はじめから念願。悪いところは全部、小官が責任を負うべきものなることは当然であり、まことに相すまず。本日も、相当数の戦死者を出しあり。これらの英霊を慰めてやりたし。本艦の損失は、きわめて大なるも、これがために敵撃滅戦にいささかでも消極的になることはないかと気にならぬでもなし。いままでのご恩顧に対して、こころからお礼申す。私ほどめぐまれた者はないと、平素より常に感謝に満ちみちたり。はじめは相当ざわつきたるも、夜に入りて、みな静かになり、仕事もよく運び出した。いま機械室より、総員、士気旺盛を報告し来れり。一九〇五」

10分後、浸水が進んだため総員上甲板(退去の合図)が告げられ、猪口艦長が艦橋で見守る中、乗組員が脱出を開始。19時30分頃、武蔵は転覆して艦長とともにシブヤン海に没しました。乗組員2399人中、生存者は1376人といわれます。

iyashi

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