ホーム » 歴史街道 » 編集部コラム » 井伊直虎~謎多き女城主、波乱の生涯

井伊直虎~謎多き女城主、波乱の生涯

2017年08月25日 公開

歴史街道編集部

井伊直虎

今日は何の日 天正10年8月26日

井伊直虎(次郎法師)が没

天正10年8月26日(1582年9月12日)、井伊直虎が没しました。本年(2017年)の大河ドラマ「おんな城主直虎」では、女優の柴咲コウさんが好演し、注目を集める女性です。

直虎は遠江国井伊谷の国人・井伊直盛の娘として生まれましたが、生年は不明です。直盛には男子がいなかったため、直虎は次郎法師と名づけられ、いずれ直盛の従兄弟にあたる井伊直親を婿養子にする予定でした。

当時の井伊氏は駿遠参の太守・今川義元に従っています。ところが天文13年(1544)、井伊家の家臣・小野道高(政直とも)の讒言により、直親の父・井伊直満は謀叛の疑いをかけられ、今川義元に切腹を命じられます。息子の直親は信濃に逃亡し、これにより次郎法師の婚約者は他国に去ってしまったのです。

それから11年後の弘治元年(1555)、讒言した小野道高がすでに他界したこともあり、信濃にいた直親は今川家に帰参します。独身を守っていた次郎法師は喜んだかもしれませんが、直親は信濃で奥山氏の娘とすでに結婚していたのです。これで直親を次郎法師の婿養子にすることはできなくなりました。

しかし運命の変転はまだ続きます。永禄3年(1560)、桶狭間の合戦で次郎法師の父・直盛が討死したため、井伊家は直親が継ぐことになりました。ところがその直親が、今度は小野道高の子・道好(政次とも)の讒言によって、今川氏真に殺されてしまうのです。小野父子は二代で、井伊直満・直親父子を陥れたことになります。これによって井伊家は次郎法師と、その曽祖父の井伊直平が支えていくことになります。

井伊谷
井伊谷城から井伊谷方面(浜松市北区引佐町)をのぞむ

永禄6年(1563)、直平は天野氏の犬居城攻めに向かう途中、遠江曳馬城に立ち寄りました。曳馬城主は飯尾連龍で、遠江では井伊家と拮抗する存在です。直親が死んだことで井伊家は揺らいでおり、ここで直平が死ねばあとは女の身の次郎法師一人なって、遠江の実権を奪うことはたやすい…そう飯尾連龍に吹き込んだのは妻の田鶴(椿姫)でした。直平は毒茶によって、曳馬城内で暗殺されたといわれます。しかしこの所業にはさすがの今川氏真も黙っておらず、曳馬城を攻めた後、和睦を装って飯尾連龍を駿府に呼び出して殺しました。この結果、遠江の伝承では妻の田鶴が連龍に代わって曳馬の女城主になったといわれます。

一方、永禄8年(1565)、次郎法師は家督を継いで井伊直虎と名乗り、彼女もまた井伊谷城の女城主となりました。永禄11年(1568)には小野道好によって井伊谷城を横領されてしまいますが、直虎は徳川家康と結ぶことで支援を得て、井伊谷城を奪還。さらに曽祖父の仇・田鶴の曳馬城を同年、徳川勢とともに攻め立てて、女城主の田鶴を敗死させました。元亀元年(1570)には、家康が小野道好を、井伊直親を讒言で死なせた罪で処刑しています。

元亀3年(1572)、武田信玄の侵攻の前に井伊谷城を明け渡さざるを得なくなり、直虎は曳馬城(浜松城)の家康を頼ります。彼女はかつて自分の夫になるはずであった井伊直親の息子・虎松を手元に引き取って育てていましたが、天正3年(1575)、徳川家に出仕させます。この虎松こそが、後の徳川四天王の一人・井伊直政でした。

それから7年後、武田氏が滅亡し、本能寺の変が勃発した天正10年に井伊直虎は没します。以後、井伊家の家督は直政が継ぎ、連綿と現在に至っているのです。

井伊家発祥の地(井伊共保出生の井戸)
井伊家発祥の地(井伊共保出生の井戸)

なお、2016年12月15日、「井伊直虎の新史料見つかる」「直虎は男だった?」という見出しのニュースが報じられました。これは井伊美術館館長・井伊達夫氏の発表をうけたものです。この史料は彦根藩筆頭家老をつとめた木俣守安が、寛永年間(1624~44)に聞き書きした内容を、その子孫が享保20年(1735)に改めてまとめたものです。木俣守安は直虎の父・直盛の義兄にあたる新野左馬助(当時は今川方)の孫にあたる人物です。

文書には、今川氏真が家臣の関口氏経の子を「井伊次郎」として、井伊谷の領地を与えたと記されています。また、同文書には「井伊次郎」は新野左馬助の甥にあたるとも書かれているそうです。そこで「井伊次郎」は直盛の娘・次郎法師とは別人で、彼こそが「直虎」として井伊谷を治めていたのではないか――と発表されました。

直虎の存在を直接に示す史料は、永禄11年(1568)、関口氏経と連名で井伊谷に徳政令を出したときの判物のみで、文書には「次郎直虎」と記されています。2005年に分家の当主を継いだ井伊達夫氏は、「次郎法師」は徳政令反対派だったので、井伊次郎が父の氏経と連名で出したと考える方が自然。井伊次郎こそ直虎と名乗った可能性が高い」との見解を示しています(「朝日新聞」)。

はたして直虎は女か、男か。いまだに謎が多い人物だけに、今後の研究の行方を待ちつつ、いよいよ後半に向かう大河ドラマを楽しみたいものです。

井伊谷城

iyashi

関連記事

編集部のおすすめ

今川仮名目録~今川氏親が制定した分国法

歴史街道編集部

夜叉掃部・井伊直孝~大坂の陣での奮戦と招き猫の逸話

歴史街道編集部

天下は天下の天下なり…徳川家康の遺言

歴史街道編集部


アクセスランキング

  • Facebookでシェアする
iyashi

現代からの視点で日本や外国の歴史を取り上げ、今を生きる私たちのために
「活かせる歴史」「楽しい歴史」をビジュアルでカラフルな誌面とともに提供します。