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加藤清正、山中幸盛、佐久間盛政…あの武将はどんな初陣だったのか

2020年06月16日 公開
2022年12月07日 更新

楠戸義昭(歴史作家)

加藤清正
加藤清正像

「早く戦に出て、華々しい手柄を……!」。逸る気持ちで出陣する者もいれば、敵におびえ、前に進めない者も──。後に名を残す武将たち、それぞれの初陣。

※本稿は歴史街道2020年6月号特集2《戦国の名将たちの「デビュー戦」》より一部を転載したものです。
 

楠戸義昭(歴史作家)
昭和15年(1940)、和歌山県生まれ。立教大学社会学部を卒業後、毎日新聞社に入社。学芸部編集委員などを歴任後、作家活動に入る。『戦国武将名言録』『城と姫』『戦国武将「お墓」でわかる意外な真実』『激闘! 賤ヶ岳』など、著書多数。

 

加藤清正~秀吉の許しを得られず、隠れて出陣

加藤清正は豊臣秀吉のもとにあって、少年の時から秀吉夫人おねの台所飯で育ち、衣服もあてがわれた。

それは幼い頃に父が病死し、生活が苦しかったため、母伊都が秀吉の母なか、もしくは妻おねのどちらかと親戚関係にあったことから、出世街道を走り出した秀吉に息子清正を託したからだった。

清正は15歳で秀吉を烏帽子親に元服し、幼名の夜叉若から虎之介清正を名乗るようになる。秀吉は清正の才能と勇気を愛して可愛がった。

初陣は元服一年前の天正3年(1575)5月、長篠の戦いだった。だがそれは「密行出陣」と呼ばれる、秀吉の許しを得ていない出陣だった。清正は秀吉に従軍を願ったが、まだ若すぎるとして許されなかったのである。

あきらめきれない清正はこっそり身支度を整えて軍勢にまぎれ込み、戦場へ出る。戦闘が始まると、秀吉の目を盗んで武田軍に攻めかかり、馬上の敵3人を斬り落とし、さらに勇将として知られる座光寺与市と槍で渡り合い、相手を負傷させたのだ。

この活躍に秀吉はびっくりし、密行出陣を諫めるどころか、大いに褒めた。そして益々目をかけ、清正が19歳の時に120石を与えた。

ただし、この戦いは初陣とは認められず、初陣は20歳の天正9年(1581)、秀吉が鳥取城を兵糧攻めにした時とされている。

秀吉は攻めるにあたり、蜂須賀正勝に裏門付近の探索を命じ、清正に同行を命じた。近くに森があり、そこに伏兵が潜んでいることを見抜いた清正は、正勝に注進するが、正勝は心配するなと馬を先に進めた。

すると思った通り、20人ばかりが槍を手に手に襲い掛かってくる。清正は腰の半弓をとると、素早く放って敵をひるませ、馬から飛び降りて先頭の一人を槍の餌食とすると、正勝も敵の1人を斬り殺した。

敵は恐れをなして逃げ去り、正勝は「清正は若輩ながら目も心も働く」と秀吉に報告した。喜んだ秀吉は100石を加増した。

賤ケ岳での七本槍の功名は、この2年後。清正は、秀吉の最も信頼する腹心に成長したのである。
 

山中幸盛~三日月を守り神に、驍将の首を取る

尼子氏の居城・富田城のある山は、城下町から見ると、山城に月が昇るように見えるところから吐月山といわれ、月山富田城と称された。

山中鹿介幸盛は永禄3年(1560)、16歳の春、冑の前立てに半月をつけ、「今日より30日の内に武勇の誉れをあらわしたい」と三日月に祈った。

その直後、尼子義久が伯耆の小高城に山名氏を攻めた。

参戦した幸盛は、隣国にまでその名が知られていた山名氏の驍将・菊池音八と渡り合い、その首を取った。これが幸盛の初陣である。以後、三日月を守り神とした。

山中家は尼子氏の傍系で、その人生を尼子氏再興に捧げたのは、尼子氏が主家であるとともに宗家だったからである。

幸盛には兄がいるが病弱で、幸盛が2歳の時に父を失った。27歳で未亡人となった母なみは、家の未来をこの幸盛に託し、自ら武術を厳しく教えて鍛えた。

幸盛は、手足は太くたくましく、眼差しも鋭く、物に動じぬ少年に成長した。武芸の上達も早く、十歳の頃に習った弓もたちまち腕を上げた。13歳で太刀打ちをして、早くも初陣前に良き敵首を取ったともいわれる。

幸盛を鹿介(または鹿之助)というのは、病弱な兄甚太郎から長さ6尺(約2メートル)の鹿の双角が挟まれた兜を譲り受けており、それが体の大きい幸盛によく似合い、しかも高大に見えて、人々がおそれて服従したことからついたとされる。

富田城はたびたび毛利氏の大軍に包囲され、家族は籠城した。幸盛が支城で奮戦する最中、新妻の千明は城中で長女を出産し、母なみは心労からその城中に死んだ。

尼子氏は毛利氏に滅ぼされ、その再興を常に三日月に祈って踏ん張ったが、志ならず、その執念をおそれた毛利氏に殺されて34歳で逝った。

幸盛の夢は叶わなかったが、娘二人の子孫たちは大豪族・鴻池家を興し、江戸期から明治維新の経済界をリードした。

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