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<松井忠三・竹下佳江特別対談>「セッター思考」とは何か?

2015年06月24日 公開
2023年01月12日 更新

松井忠三(前良品計画会長/松井オフィス代表取締役社長)

身長のハンデをどう乗り越えたのか?

――「個性」というのは、強みになる一方、時には弱みともなりますよね。

竹下 私は159センチしかないので、バレーでは大きな弱点です。もちろん、そのことに悩んだ時期もありますし、周りから非難され、一時バレーから離れたこともあるほどです。
ただ、転機となったのは、それを長所に変えるためにどうするか、と思考を変えることができたことです。それに、苦しんだ分だけ人は成長できると思います。
だから、壁にぶつかって苦しんでいる後輩がいても、ある程度までは声を掛けないようにしています。すぐに助けてしまうと、いつでも助けてくれると思い、成長が止まってしまう。どうしてもだめなときに、何かのきっかけを与えるくらいでいいと思います。

松井 私は、人間には弱点はないと思っています。実は私は新入社員全員に性格検査を行なっています。チームをまとめ上げるには、性格の把握が不可欠だと思うからです。
そこで、たとえば会社の規則通りに仕事をするのがあまり得意でないという結果が出たとします。ただ、それは弱点ではない。むしろそういう人は、今ある規則をあるべき姿に変える際、大きな力を発揮するからです。
つまり、すべてはコインの裏表なのです。竹下さんは身長が低かったわけですが、一方で努力をし続ける才能を持っていた。すると、元々は弱点だと思っていたことも、強みになってくる。
性格は変えられなくても、行動は変えられる。そうした個性をまとめてベクトルを合わせていく能力こそが、セッター型の能力なのだと思います。

 

日本バレーに「女性監督」が生まれる日は近い?

竹下 私がもう一つ、良品計画さんがすごいなと思うのは、女性にとても働きやすい職場だということ。ノー残業とか、子どもがいる方は2時間は来なくていい制度があったりなどというのは、子育てをしてる女性の方にとってはすごくありがたいことだと思います。

松井 僕は西友にいた頃から、女性活用をずっと上司に言われてきたんですよ。ただ、店長クラスの女性は結構いるのですが、まだ課長クラスは少ないのが現実です。海外に行くと名刺交換をする幹部の半分が女性ということもざらですからね。
日本はまだ、社会の仕組み的に家事と育児は女性の役割となっているから、本格的な女性活用は難しい。ただ、徐々に変わりつつあると思います。

竹下 海外の女子選手には、子育てと選手活動を両立させている人がとても多いです。日本人でもちらほら現われていますが、海外の選手はそれが普通なんですよね。海外の選手はプロが多く、収入が違うということもあるのですが、ベビーシッターを雇ったりとか、契約内容にそういうものを入れてもらうということもできるようです。もちろん、子供を親に任せているという人もいます。

松井 海外では家族、あるいは社会システムとして子供を見てくれる仕組みがある。男性が働いて女性が家にいる、というのは、明治以降の仕組みで、それほど歴史はありません。いずれ変わってくると思いますよ。

――そうなるといずれは「女性監督」も増えてくるのでしょうか。

竹下 今でも久光製薬の中田久美さんが監督をされていますし、他の競技でも女性の監督が何人かいますが、現段階では、やはり女性の指導者が監督になるにはいろいろなリスクがあると思います。いま私は妊娠中ですけれど、これから子供を産んで育てて、という時期に、監督が産休を取るわけにはなかなかいきませんよね。
ただ、現在NTC(ナショナルトレーニングセンター)などが、産休後の女性選手をバックアップするような取り組みをしていますし、そうなれば徐々に増えていくのではないかなと思っています。

<『THE21』2015年7月号より>

良品計画前会長
松井忠三(まつい・ただみつ)
1949年、静岡県生まれ。73年、東京教育大学(現・筑波大学)体育学部卒業後、〔株〕西友ストアー(現・(同)西友)に入社。92年、〔株〕良品計画へ。総務人事部長、無印良品事業部長を経て、2001年1月に社長に就任。赤字状態の組織を風土から改革し、業績のV字回復・右肩上がりの成長に向け尽力。07年には過去最高売上高(当時)となる1,620億円を達成。08年より会長に就任。著書に『無印良品は、仕組みが9割』(KADOKAWA)など。

 

元・全日本女子バレーボール代表キャプテン
竹下佳江(たけした・よしえ)
1978年、福岡県生まれ。96年、不知火女子高等学校を卒業後、Vリーグ「NECレッドロケッツ」に入団。2000年、シドニー五輪出場を逃し一線を退くも、02年に「JTマーヴェラス」に入団し、全日本代表にも復帰。04年、女子選手で初めてプロ宣言をし、アテネ五輪で5位入賞。05年よりキャプテンを務める。10年の世界選手権では、32年ぶりのメダル獲得(銅)に貢献。11年、Vプレミアリーグと黒鷲旗の2冠を達成。同年のワールドカップでは、ベストセッター賞と個人賞に輝く。オリンピック3大会連続出場となった12年のロンドン五輪では、悲願のメダル(銅)を獲得する。13年7月、現役を引退。

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