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【今週の「気になる本」】『幕末単身赴任 下級武士の食日記(増補版)』

2017年08月25日 公開

青木直己著/ちくま文庫

江戸の武士の単身赴任が、美味しそう&楽しそうすぎる!

本書は、万延元年(1860)年、江戸藩邸勤務を命じられ紀州和歌山藩からやってきた勤番侍・酒井伴四郎の日記から、当時の食生活を中心に、単身赴任者のリアルな生活を追うという本。
人の日記をのぞき見ながら、いろんな食べ物や今とは異なる食生活について読めるのだから、面白くないわけがない。さながら江戸版『孤独のグルメ』的な面白さがある。

本書を読んで私が一番に気に入ったのは、江戸勤務になった下級武士・伴四郎の、それはそれはのどかな日常。あちこち江戸見物に出かけては、朝だろうが昼だろうがためらいなく酒を飲み、江戸名物の鮨やら蕎麦やら鍋物やら餅菓子やらを食べ歩き、買い物などして楽しんでいる(そして金を使い過ぎたと日記で反省)。

住処である長屋では煮炊きを協力し合い、食べ物を分け合ったり宴会を開いたり。時に体調が悪くなったらなったで「薬」と称して贅沢にも豚肉を大人買い。日記も「あれが美味しかった、これが不味かった」という記述がたっぷりで、現代を生きるサラリーマンの読者はきっと「え? これ、何曜の話?」と思うだろう。そう、江戸の下級武士の単身赴任は、まるで毎日が夏休みのようなのだ。

もちろん伴四郎も遊んでばかりではなく、(たまには)ちゃんと仕事もするし、和歌山から同行してきた「叔父様」こと宇治田平三の食い意地が張っているのを愚痴ってみたり、政変の予感を嗅ぎ取って「何レ異変の事と…」なんて思いながら眠りについたりもしている。でも、やっぱり圧倒的にのどかなのである。

そしてもちろん、江戸庶民の食生活の面白さと、食に関する豊富な知識。いくつか抜粋してみよう。

伴四郎が江戸での外食でもっとも多く利用した蕎麦についてのくだり
「(伴四郎は)万延元年十一月から一年間に三十一回もそばを食べていますが、そのうち十四回は酒も一緒に飲んでいます。盛りそばやかけそばが主だったようですが、時にはちょっと贅沢をして、天ぷらそば(六十四文)やそば御膳(八十文)なども食べています。伴四郎がそばを食べる時は、いつも『二ツ』つまり二杯は食べていました。」
(現代のサラリーマン同様、当時の下級武士にとっても天ぷらそばやそば御膳は自分へのご褒美だったようだ)

豪商三井家での仕事のあと、ご馳走をふるまわれたくだり
「吸物としてぼらの味噌汁、口取肴は蒲鉾、寄せ物は芋、栗、なが芋、玉子巻、ぼらの刺身と貝柱に生海苔と大根があしらわれていました。それらを肴に酒をしたたかに飲み、最後に蒲鉾の味噌汁、平皿に盛られた芹、椎茸、蒲鉾、麩で飯を食べて、菓子の土産まで付いていました。」
(味噌汁で挟まれた構成と蒲鉾の出番の多さが新鮮)

当時、さつま芋の呼び名が、東の江戸では「八里半」、西の京では「十三里」と、ともに距離を示す「里」の字が使われていた理由
「江戸の八里半は、さつま芋の味が栗(九里)に似ているが少し劣るという謎かけです。対して京の十三里は、栗よりも味が良いという謎かけと言われています。(中略)伴四郎の日記に登場するさつま芋を使った食べ物には、芋羹や芋饅頭あるいは芋饅頭の油揚げなどがあり、すでにさつま芋を菓子として利用していることがわかります。」
(さつまいもスイーツ人気は江戸から続いていた!)

浅草見物のはずが天気に恵まれず、日本橋へ行先を変更しておはぎとかしわ鍋を食べた伴四郎の日記に寄せて
「かしわ鍋は、鶏の肉をねぎなどと一緒に味噌や醤油とで煮て食べる料理のことで、そうした料理法を鍋焼きと言っていました。日本で最初に印刷された料理書『料理物語』(一六四三年刊)では、十八種類の鳥の名をあげており、それは鶴、白鳥、雁、鴨、雉子(キジ)、山鳥、鸞(ばん)、けり、鷺(さぎ)、五位(ごい)、鶉(うずら)、雲雀(ひばり)、鳩、鴫(しぎ)、水鶏(くいな)、桃花鳥(つぐみ)、雀(すずめ)、鶏の順番でした。現在、もっとも一般的な鳥料理の素材である鶏が最下位の十八番目です。」
(鶴……? 白鳥……?)

料理好きだった伴四郎の手料理を紹介する一コマ
「相模屋に以前から注文していたすり鉢とすりこ木、それに白味噌が届けられました。早速すり鉢に白味噌を入れてすり合わせ、根深ねぎを加えて雑炊を作ったところ、『皆々うまかり、したたか喰』ったとあります。」
(いちいちすったり混ぜ合わせたり、江戸の武士は料理男子なのである)

ある日の伴四郎の日記
「(略)さて向島あたり茶屋・料理屋向かつ別送などの風雅なること筆紙につくしがたく、ただうらやましくばかり也、夫より牛の午前へ参詣、この所の懸茶屋にて茶を呑、桜餅など喰(略)浅草観音え参詣ここにて浅草餅を喰、それより浅草通にてすしなど喰、また祇園豆腐にて飯を喰(略)」
(伴四郎、嫉妬はわかるがいくらなんでも食べ過ぎでは)

なお、著者の青木氏は虎屋で虎屋文庫研究主幹(和菓子に関する調査・研究を行なう仕事だそう)を務めたのち、現在は東京学芸大学などで講師をしながら時代劇ドラマの考証を行なっているという。この青木氏の文章が非常に気が効いており、確かな知識と軽妙洒脱な文章があわさって、とても面白い歴史の授業を受けているかのようであった。
「(伴四郎の勤務状況を見るくだりで)翌七月の勤務実績はありません。早い話が一日も働いていません。」――ご本人は”狙っている”つもりはないのかもしれないが、どうもクスリとくる箇所があってページをめくる手を止めさせない。こんな青木氏のあたたかみとユーモアセンスのあるリードのおかげで、読了時には、伴四郎という見たことも聞いたこともない勤番侍がまるで自分のご先祖様でもあるかのような(?)、何とも言えない愛着が湧くに至るのである。
細かくて楽しい知識がたくさん詰まっているのに読みやすく、どなたにでもお勧めできる良書。お江戸好きの方、食いしん坊の方は迷わず読んでみていただきたい。

――それにしても、日記をつけている皆さん。気をつけないといつの日か、原文掲載しかも解説付きで出版されてしまうかもしれないのでご注意を。

 

執筆:MO

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