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早坂隆&拳骨拓史 第二の安重根が生まれる日

2015年04月13日 公開
2022年12月07日 更新

早坂隆(ノンフィクション作家),拳骨拓史(作家)

 

テロを助長するような愚行

早坂 伊藤博文の暗殺理由について、安重根は先述の自叙伝『安応七歴史』で15の理由を挙げています。ところが、事実の誤認に基づくものが多く、こんなことでわが国の初代総理大臣が暗殺されてしまったかと思うと、許し難い気持ちに駆られます。たとえば、伊藤暗殺の第一の理由として挙げているのが、韓国王妃(閔妃)の暗殺を伊藤が指揮したというもの。むろん事実ではありません。裁判中の彼の証言録を読んでも、基本的な事実に関する間違いが多く、唖然とさせられました。そんな安重根を韓国は「義士」「英雄」として顕彰し、伊藤の暗殺を「義挙」として称えている。これでは第二、第三の安重根を生みかねず、国家としてテロを助長するような愚行です。

 しかし一方で、韓国における安重根の理解は「英雄」だという一点にとらわれており、じつはその経歴や思想について詳しいことは知らない人が多い。伊藤についても同様で、韓国では併合の張本人と思われていますが、併合は伊藤が暗殺された翌年のことです。それをソウルの安重根義士記念館の見学者たちに尋ねてみても、「知りません」と答えるだけ。遠足で来ていた生徒たちだけではなく、引率の教師にも聞いてみましたが、正確な知識があまりに乏しいことに驚きました。

拳骨 私も韓国から来た留学生たちに、安重根について聞いてみたことがあります。しかし一様に「わからない」という。「なんで?」と聞くと、「小学生のときに記念館に連れて行かれただけで、それ以上の教育は受けていない」とのことでした。

早坂 むしろ、安重根に関して詳しい知識を得る機会がないからこそ、記念館の展示の内容にすんなりと入っていけるし、英雄だと信じ込めるのでしょう。私は、歴史というものはつねに事実に立ち返り、謙虚に見詰め直す姿勢が大切だと考えています。ただ、日本側はある程度それができても、韓国側もそうとは限りません、むしろ、お互いにわかり合えない、ということを前提にすべきかもしれません。無理に歴史認識を共有しようとすると、かえって将来に禍根を残しかねませんね。

拳骨 私も最初は日韓の歴史問題において、議論や対話の重要性を考えていたのですが、いまでは時間の無駄だと思うようになりました。そのきっかけは、韓国の学者たちと歴史認識について論戦したことです。私は韓国側の主張に対し、事実を1つひとつ挙げて反駁していったのですが、「この方は偉い先生だ。偉い人がいうことだから、正しい」という。とにかく最後まで「日本が悪い」の一点張り。これでは冷静な議論は無理だと思いました。

早坂 冒頭でも触れたように、日本の識者のなかにも、安重根に対して肯定的な評価を下す人がいるのは事実です。たとえば、彼の残した「東洋平和論」を表面的に捉えて「安重根は平和論者であった」などという者がいますが、いかがなものか。現代でも多くの国際テロ事件が起きていますが、テロリストの自己正当化の論理として使われるのがまさに「平和」です。自国の首相を暗殺されて、その暴漢に対して肯定的な評価をする人間がいるような国は、世界でも日本ぐらいでしょう。ただ、そうした姿勢が日韓の親善にどのように役立つのか、はなはだ疑問です。安重根のテロを「義挙」として認めることは、日本はもちろん、韓国の将来にとってもけっして資することはないと思います。

拳骨 日本で安重根を評価する者は、じつは伊藤の暗殺当時からいました。暗殺時に伊藤の隣にいた満鉄理事の田中清次郎は、「いままで会ったなかで一番偉いのは誰か」という問いに対し、「それは安重根だ。残念ながら」と答えています。こうした風潮を憂いた三浦了覚という曹洞宗のお坊さんは、『禅と武士道』(大正4年)という本のなかで、「世人或いは伊藤公を狙撃せる安重根(中略)を以て志士仁人とするものあるは是れ容易ならざる誤謬なり。若し是等の人物を以て志士仁人なりと誤解する時は帝国の将来に向って実に恐懼の至りに堪へざるなり」と警告を与えています。当時の日本人にも安重根を評価する向きがあったことをどう考えますか。

早坂 藩閥出身の政治家であった伊藤博文には、政治的または思想的に対立する者がいたはずで、こうした事情が安重根の評価に影響を与えた可能性があります。

 また、当時の朝鮮の基礎学問は漢学でしたが、識字率が極端に低いなか、両班出身の安重根には一定の素養があった。遺墨を見ると達筆で、漢詩がすらすら書けたようです。安重根が収監された旅順監獄の看守であった千葉東七は、それだけで感心してしまっている節があります。ちなみに、宮城県の大林寺には、安重根の記念碑があるそうです。看守の千葉東七に託された安重根の遺墨を、千葉の遺族が韓国に返還した経緯がもとでできたらしい。この記念碑の案内板を県の予算で道路に建てていたのが問題となり、国会の質疑で取り上げられたこともあります。

 千葉に限らず、当時の日本人のなかには朝鮮が置かれた立場に同情する者が大勢いました。日韓同祖論を唱える者もおり、こうした文脈のなかで、安重根のテロにも理解を示す者がいたかもしれません。しかし当の韓国のほうは、華夷秩序がもたらす優越意識のなかで、日本と同格扱いされることすら拒否する姿勢があった。日本人の韓国に対する思い入れは一方的で、要は「甘かった」ということなのでしょう。

 

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