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クリスマスと慰安婦の話

2016年02月21日 公開
2023年01月12日 更新

川口マーン惠美(作家/評論家/ドイツ在住)

クリスマスと慰安婦の話

ヨーロッパのクリスマスはお正月と瓜二つ

 去年のクリスマスはロンドンで過ごした。普段バラバラになっている家族が1年に1度集まるのが、ヨーロッパのクリスマスだ。家族のお祝いなので、24日の夜、町は人影がまばらになり、それが25日いっぱい続く。日本の大晦日から元旦の風景と瓜二つだ。

 日本のお正月とヨーロッパのクリスマスは、特別なお料理やお菓子を用意するところも、家や町をきれいに飾り付けるところも、カード(年賀状)を出すところも、少し神妙な気分になるところも、来る1年の抱負を立てるところも同じだ。そして、このときだけ多くの人が教会や神社に行く。

 現在、西ヨーロッパでは、宗教の意味は限りなく小さくなってしまっているが、それでも長年の伝統は侮れない。毎年12月24日になると、どんなに不信心な人の心の中でも、クリスマスは宗教的な匂いの漂う伝統行事として、突然、息を吹き返す。それに比して日本人のクリスマスがパーティーとプレゼントで終始するのは、もちろん、これが伝統とも宗教とも関係がないからだ。その証拠に、ヨーロッパでは25日が本番で、1年でいちばん大切な祝日なのに、日本では宴はすでに終わり、皆、普通に働いている。

 一方、日本のクリスマスに当たるのは何かというと、ヨーロッパの大晦日だ。ここでの大晦日はたんなるイベントで、元旦は1年の最初の日でしかない。大晦日はパーティーで騒ぎ、零時には皆が外へ出て打ち上げ花火に熱中する。その騒音のなか、家の中でも戸外でも、人びとはシャンペンのグラスを片手に、手当たり次第ハグしながら「ハッピー・ニュー・イヤー!」

 当然、翌日は多くの人が二日酔いで、街は花火のカスだらけ。清々しい気持ちにはならない。片や日本では、その日、普段不信心な人も初日の出を拝んだり、初詣に赴いたりするのである。

 

死の街ロンドン!

 さて、ロンドンでは、24日の朝から長女と私が買い物班になり、飲み物やお惣菜、紙のテーブルクロスなどを調達し、ホテルの部屋をクリスマス団欒用に改造した。夕方6時には、ほとんどの店は閉まり、通る車さえまばら。10時ごろには人っ子一人いなくなる。部屋のなかだけが煌々と明るく、暖かい。外が雪ならもっとよかったが、残念ながら暖冬。

 クリスマスというとプレゼント。イギリスでは日本と同じく、24日の夜半にサンタクロースが来ることになっているが、ドイツの風習では、プレゼントは24日の夕方にクリストキント(天使のようなかわいい容貌の生き物)が鈴を鳴らしながら運んできて、そっとクリスマスツリーの下に置いていく(ということになっている)。

 わが家ではすでに娘たちは大人なので、クリストキントは来ず、プレゼントはそれぞれが持ち寄るだけだ。ただ、どんなものでもすべて別個に包むという努力は皆が惜しまない。これにより、プレゼントの嵩が劇的に増える(父親は不信心、母親は日本人なので、わが家のクリスマスはどうしても日本のそれに近くなる)。それを、宴もたけなわのころ、「これ、私の?」などといいながら順番に開けていくのはことのほか楽しい。年齢にも中身にも関係なく、人が開けるのを見ているだけでワクワク!

 そのささやかなクリスマスパーティーのあいだに、ロンドンに住んでいる次女が何度か警告を発した。「明日は交通機関がすべて止まる。今夜のうちに移動手段を手配しておかないと、飛行機、乗り遅れるわよ」。翌日、長女はヒースロー空港から、三女はスタンステッド空港から、それぞれロンドンを離れることになっていた。

 交通機関がすべて運休?「あのね、ヒースローは国際的な大空港なのよ。そこに通じる交通機関がすべてなくなるなんてありえないでしょ」と相手にしない私。こうしてクリスマスイブは過ぎ、満腹で楽しく解散となった。

 ところが翌朝、ホテルのレセプションで訊くと、「ロンドンでは今日は電車もバスも終日運休。唯一動いているのはタクシーです」。

 ガーン!!

「ヒースローまではタクシーで約120ポンド(2万400円)。クリスマス料金ですからね。スタンステッド空港は200ポンド(3万4000円)ぐらいです。予約しましょうか?」

 昨夜「大丈夫!」と太鼓判を押したことなどすっかり忘れて焦る私。「ほら、だからいったでしょ」と次女。それにしても、この情報過多のご時世に、なぜ、私たちはこのような重要事項を知らずにいままで生きてこられたのか?

 そのあとの娘たちの行動は凄まじかった。長女はスマホでガンガン情報を集め、割安の私設タクシーのようなのを見つけ、サッサとヒースローに行ってしまった。一丁上がり。

 問題は三女のスタンステッド空港。街の中心からバスが出るという情報があり、そこに皆で行ってみることにする。彼女はどのみちバックパッカーなので、4人でぞろぞろクリスマスのロンドンを歩いた。すべてのシャッターが閉じ、地下鉄の入り口には鉄柵。道路は北朝鮮状態で、マクドナルドさえ開いていない。もちろん、美術館、博物館も26日までは休館。死の街ロンドン!

 結論からいえば、三女のゲットしたのは偽情報で、バスなどなかった。困っているうちに、お腹がすく。しかし、レストランは全滅。そのうち、「あ、あそこ、開いてる!」「入ろう、入ろう!」

 知らずに入ったそこは、5つ星ホテルのカフェだった。フィッシュ・アンド・チップスが15ポンド(2600円)。またもやガーン! ロンドンのクリスマスは、お金に羽が生えて飛んでいく。とはいえ、三女もいつしかスマホで呼んだタクシーもどきで消えた。目的地はアルバニア。一昨年、NGOで14カ月も住んでいたのだが、この国は経済的に完璧に破綻。現在、多くの経済難民がシリア難民に混じってドイツに殺到し、問題になっているが、その混沌とした国を、娘はこよなく愛しているのであった。

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