Voice » 政治・外交 » 田中節孝 韓国よ、仏像を返しなさい

田中節孝 韓国よ、仏像を返しなさい

2017年04月01日 公開
2017年05月13日 更新

田中節孝(観音寺前住職)

窃盗団の悪事を容認するような発言

観音寺の外観

観音寺の外観

 ――韓国に押収された仏像2体のうち、所有者が名乗り出なかった海神神社の仏像は、2015年7月に日本に返還されました。以来、日本政府はもう1体の観音寺への返還を求め続けてきましたが、いまだに実現していません。

 田中 先に述べたように、私たちも署名を集めて韓国政府に送るという働きかけをしてきました。やがて、大田地裁が13年冬に日本への返還を当分差し止める仮処分決定を下してから3年が経ちました。私は韓国政府の対応に期待していましたが、友人の1人から「韓国は何が起こるかわからない国だから、あらためて観音寺の立場を明確にしておいたほうがよい」とのアドバイスを受けました。

 私にも思うところがあり、16年3月、韓国政府の外交部長官と司法を司る法務部長官、文化財を司る文化財庁の庁長に、早期返還を求める要望書を送ったんです。すると韓国検察から「3年前に同国の裁判所が返還を差し止めた仮処分がいまも有効であり、現段階での返還は困難」とする通知書が返ってきました(同年5月)。こんなおかしい話がありますか。

 ――3年間、韓国の司法は何をしていたのでしょう。

 田中 当初は、仮処分が切れる3年間のうちに本裁判を起こすといっていたのですが、それをしませんでした。そうしているあいだに、浮石寺が仏像を〝元の所有者〟である自分たちに引き渡すことを要求する訴訟を大田地裁で起こしたんです。そもそも、韓国政府が保管している仏像は、韓国の窃盗団が日本の寺から盗んできたものですよ。その所有権を韓国の国内法で裁くというんです。

 ――ユネスコ(国連教育科学文化機関)の文化財不法輸出入等禁止条約では、盗難文化財が見つかった場合、加盟国は持ち主に返還しなければならないことになっています。これはユネスコの条文を持ち出すまでもなく、「国際信義」の問題だと思いますが。

 田中 今年1月の大田地裁の判決後、浮石寺の円牛住職は「日本に略奪されたり、不法流出した文化財は7万点以上に達する。今回の判決は不法に流出した文化財を取り返す出発点になる」と語りました。あたかも韓国人窃盗団の悪事を容認するかのような発言です。自分は泥棒に手を染めず、それを利用しているのではないか、と疑わざるをえません。

 ――30数年前の因縁もあるわけですしね。

 田中 ですから、以前から私は近しい人に犯行の経緯について、私なりの〝犯行説〟を語ってきたわけです。今回、それが図らずも証明されたという感じをもっています。

 ――仏像は14世紀に浮石寺でつくられたもの、という相手の主張についてはどうお考えですか。

 田中 仏像内にあった書類にそう書いてありますから、その点については誰も否定していません。

 ――文書には「高麗国瑞州浮石寺」「天暦三年(1330年)」などの記述があったそうですね。

 田中 そうです。しかし、どうやって日本に渡ってきたのか、その経緯についてはわかる資料は結局、見つかっていない。歴史的な根拠はあります。朝鮮半島では14世紀末に李氏朝鮮が成立し、儒教を国教として仏教を排斥し始めます。仏像も焼かれたり、捨てられたりしました。

 ――観音寺のほか、対馬の寺院や神社には朝鮮半島から持ち込まれた仏像が多数あるそうですが、大半が欠損しているそうですね。

 田中 観音寺の仏像にも傷があります。ではそうした仏像が日本になぜ流れてきたかというと、まさに日本にもたらされた縁があったからでしょう。日本は昔からあった民俗信仰と伝来仏教を融合して、日本人の宗教観を形づくりました。神様、仏様を共にみんなでありがたく拝んできた国です。

 ――神仏習合ですね。
 田中 そうです。村のなかにお寺や神社が争うことなく共存してきました。だからこそ、朝鮮で必要とされなくなった仏像や経典が日本に渡り、さらに贈り物としてもたらされました。そして日本にはいまでもお寺が数多く残っています。

 他方、韓国に行けばわかりますが、街で目立つのはキリスト教の十字架ばかりです。同じようなことが磁器や陶器にもいえます。日本には朝鮮伝来の茶碗がたくさん残っています。しかし韓国では今日、ステンレスの茶碗や箸が主流で、焼き物の食器はあまり見られません。

 ――たしかに現在では博物館に収められているような朝鮮伝来の磁器や陶器を、もとは韓国でつくったものだから返せという主張が国際的に通用するはずもありません。ちなみに、仏像は倭寇が盗んでいったものという浮石寺の主張についてはいかがですか?

 田中 そうした根拠のまるでない妄想について、同じ土俵に乗って戦うつもりはありません。そんな資料があるわけではないですし、ばかばかしいの一言です。あえていえば、倭寇が渡海の危険を冒して盗んでいくような価値のあるものだったら、こんな島のお寺に置いていきますか。きっと江戸や大坂の豪商に売りに行くでしょう。そしていまごろは、それこそ博物館のなかで展示されているかもしれない。つまり、当時この仏像は、倭寇が盗んでいくほどの価値がなかったということです。おそらく朝鮮からもらってきたか、何かと交換してきたのでしょう。しかし、対馬の集落の者にとっては何百年も守ってきた大切な仏様。だから早く返しなさい、といっているんです。

 ――対馬は、李氏朝鮮との交易の最前線だったという歴史もあります。
 田中 もともと観音寺は、朝鮮との交易のために宗氏によって建てられた西山寺(対馬市厳原町)の末寺です。交易の最前線に立っていたのですから、朝鮮の文物が村内で流通していたのは当たり前のことです。仏像もごく自然に伝わってきたのだと思います。にもかかわらず、「倭寇が盗んだ」の一本槍ですからね。

 結局、韓国の人は、自国が外国とどのような交流をしてきたのか、歴史をきちんと学んでこなかったのではないでしょうか。とくに日本については「敵」としか教えてこなかったのは残念です。これは両国の友好にとって、ほんとうに不幸なことだと思います。

次のページ
損をするのは韓国側 >

Voice 購入

2024年4月号

Voice 2024年4月号

発売日:2024年03月06日
価格(税込):880円

関連記事

編集部のおすすめ

拳骨拓史 韓国保守派を支援せよ

拳骨拓史(作家)
×