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X国のテロから首相を守るには

2017年05月08日 公開
2022年07月08日 更新

福田充(日本大学危機管理学部教授) 

 

いまこそ要人暗殺テロへの備えと予防策を強化すべき

劇場型犯罪としてのテロリズム

現代のテロリズムの特徴は、一般市民を狙った無差別テロであり、ソフトターゲットを標的とした無差別大量殺傷であった。昨今のイスラム国を中心としたイスラム過激派組織が起こしたフランスやベルギーなどでのテロ事件のような、欧米諸国で実行されているグローバル・ジハードの戦略の影響も影を落としている。

しかしながら、北朝鮮の金正男氏がマレーシアのクアラルンプール国際空港で神経剤VXガスとみられる猛毒により暗殺された事件が発生した。これは特定の要人を狙った要人暗殺テロである。本来、大統領や首相など国家の要人であればテロや犯罪から守るための警備が厳重に敷かれているが、金正男氏には立場上、その警備がなかったために比較的容易にテロ行為が成功した。この金正男殺害事件は、最も古いタイプのテロリズムである「要人暗殺テロ」に分類することができる。

「テロリズムは劇場である」と述べたのは、テロリズム研究者のブライアン・ジェンキンスである。テロリズムはテレビや新聞などのメディア報道を通じてドラマティックなストーリーとなり、それを見守るオーディエンスを取り囲んで社会全体を劇場化する作用をもつ。テレビの視聴者も、新聞や雑誌の読者も、テロリズムという劇場のオーディエンスとなってこの物語に参加する。金正男殺害事件は、事件発生当時から1カ月を経過した段階でも、テレビのワイドショー番組や週刊誌、タブロイドなどを連日にぎわせる数字の取れるキラーコンテンツであった。

かつて2004年のイラク日本人人質テロ事件では、人質となった日本人3人をめぐって小泉政権がイラク派遣の自衛隊撤退という要求を受け入れるか、それとも拒否するか、日本人3人の命は助かるのか、日本の世論は同情論と自己責任論に分裂しながらこの事件の行方について固唾をのんで見守った。2015年のイスラム国によるシリア日本人人質テロ事件でも、日本人2人の命と2億ドルという身代金要求のあいだで有効な手を打てない安倍政権を尻目に、インターネットやソーシャルメディアを通じて、2人が殺害される画像や動画が世界を駆け巡るという結末を迎えた。テロリズムを実行するテロ組織やテロリストは、自らのメッセージを世界にプロパガンダするために、テレビや新聞などのマスメディア、インターネットやソーシャルメディアを利用して、世界中のオーディエンスを取り込みながらテロリズムを実行する。

このようにメディアの進化した現代社会において、テロリズムは新しく魅力的なコンテンツとスペクタクルを供給する装置として機能している。

 

金正男殺害事件と地下鉄サリン事件の共通点

今回の金正男殺害事件は、白昼堂々と監視カメラに囲まれた国際空港という舞台で実行された。第三国のマレーシアで、一般客でにぎわう国際空港で目撃者も多く、監視カメラの動画が多く残されているのがその特徴である。実行犯の2人の女性とその背後にある組織、国家の存在、そして犯行の手段として使用された化学剤など、テロリズムのストーリーを構成するドラマティックな要素を含んでいる。

この事件で使用されたとされる神経剤VXガスは、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が、漫画家で評論家の小林よしのり氏をかつて殺害しようとして使用した化学兵器の一種である。オウム真理教による1995年の地下鉄サリン事件は、東京の地下鉄乗客を無差別にターゲットとして化学剤サリンを用いて13人を殺傷し、6000人以上の負傷者を出した世界で初めての都市型無差別化学兵器テロであった。前年の松本サリン事件、亀戸の炭疽菌生物兵器テロ未遂、皇居を狙ったボツリヌス菌計画などオウム真理教によるNBC(核・生物・化学)兵器を利用したテロ計画が発覚し、テレビや新聞、雑誌などのマスコミによるメディアスクラム(集団的過熱報道)は1年以上続いた。オウム真理教による一連のテロリズムに対して、メディア報道は過熱し、テレビの視聴率や新聞雑誌の販売部数は高まり、数多くのオーディエンスが魅了されたのである。

メディアスクラムを発生させ、オーディエンスを夢中にする金正男殺害事件と地下鉄サリン事件の共通点は紛れもなく「テロリズム」である。テロリズムを構成する要素として「政治的動機」があるが、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が霞が関の官庁街や皇居を狙うという政治性、クーデター的要素をもったように、金正男殺害事件には北朝鮮の国家体制をめぐる政治的意図が存在する。この政治的目的を達成するためのテロリズムがもつ意図や計画が、政治的、国家的スペクタクルを生み出す。

またこの2つの事件の共通点は、化学兵器を用いたNBCテロであるという点である。通常の爆弾や銃器ではない、耳慣れない特殊な化学兵器は「脅威の神話性」をもつ。国際法や国際条約によって戦場でさえもその使用が禁止されている化学兵器が、一般社会で使用されるインパクトは大きい。サリンやVXガス、タブン、ソマンといった化学兵器がどのように精製され、どのような影響をもたらすか、その謎に包まれた兵器自体がドラマティックな要素を含んでいる。

国家や組織による陰謀や謀略の物語性、謎の化学兵器がもつ神話性などオウム真理教による地下鉄サリン事件がもっていたその特徴を、この金正男殺害事件も有している。メディアスクラムが発生しオーディエンスが魅せられる要素はそろっているのである。

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著者紹介

福田 充(ふくだ・みつる)

日本大学危機管理学部教授

1969年、兵庫県生まれ。99年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(政治学)。コロンビア大学戦争と平和研究所客員研究員、日本大学法学部教授などを経て、2016年4月より現職。

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