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<連載>「パラアスリートの肖像」第1回 11歳の右腕へ <芦田創(陸上選手)>前編

2017年09月07日 公開

山田清機(ノンフィクション作家)、人物撮影=尾関裕士

 

「デズモイド腫瘍」との闘い

 芦田が生まれた兵庫県氷上郡(現在の丹波市)は黒豆や栗の産地として知られ、夏にはホタルが飛び交う自然環境に恵まれた地域である。

 幼いころから活発だった芦田は、氷上の里山を駆けずり回って遊ぶ野性児だった。運動神経のよさは、学生時代に体育会テニス部で鳴らした父親の幸浩譲りだが、幸浩は幼い芦田の体に小さな不安を感じていた。

「幼稚園に上がる前、左右の腕の太さが少し違うのに気付いたんです。ボールを投げさせるとやたらと右のほうに飛んでいくので、球技が苦手なのかなとも思いました」

 左右の腕の太さの違いは、芦田が五歳になったころ、顕著になってきた。不安を募らせた両親は、幼稚園の創立記念日を利用して地元の病院に芦田を連れて行った。MRIの検査結果を見た医師は、即座にこういった。

「すぐに、もっと大きな病院を受診してください」

 尼崎市にある関西労災病院整形外科部長(当時)の、多田浩一を紹介された。関西で三本の指に入る「手外科」の名医である。氷上から車を飛ばして一時間半。関西労災病院で多田の診察を受けた。

 多田の所見によれば、芦田は生まれながらに肘を脱臼していたらしい。人間の上肢は尺骨と橈骨(とう・こつ)という二本の骨によって構成されているが、芦田の脱臼は橈骨頭(橈骨の肘側)の脱臼だった。脱臼の原因はわからないが、脱臼の手術自体はそれほど難しいものではない。

 さっそく肘の脱臼を治す手術が行なわれたが、またすぐに脱臼してしまった。再手術を受けても結果は同じ。母親の智恵は、芦田が小学校に上がるころ、多田から受けた病状説明の言葉をよく記憶している。

「デズモイド腫瘍かもしれないけれど、だとするとやっかいですね」

「やっかい」という言葉が胸に引っ掛かった。家に帰ってインターネットで調べてみると、デズモイド腫瘍は手術の侵襲によって発生する腫瘍で、再発率はじつに80%以上。手術で除去しなければ腫瘍はどんどん大きくなり、やがて痛みに耐えられなくなる。しかし手術をすれば、それが原因となってまた次の腫瘍ができてしまう。まさに「やっかいな」腫瘍である。

 細胞が活性化するとそれに伴って腫瘍も大きくなり、腫瘍はやがて骨を侵食して徐々に骨を溶かしてしまう。だから智恵としては、なるべく芦田に運動をしてほしくなかった。運動中に転べば骨折の危険性があるし、運動は細胞を活性化させてしまう。

 小学校に入学した芦田は「まるで記念日のように」毎年、デズモイド腫瘍の切除手術を受け続けた。芦田が腕の手術痕を指差しながら言う。

「たしか6回ぐらい受けたんじゃないでしょうか。どの傷が何回目か、もうわかりません。傷の横に入れ墨で通し番号を打っておけばよかったですね(笑)」

 腫瘍の侵食を受けた尺骨を切除しているため、芦田の右上肢には橈骨一本しかなく、太さも左上肢の半分ほどしかない。腫瘍の除去をすると一週間から10日間は入院しなくてはならず、それ以降はギプスをはめて通院しながらの加療となるのだが、ようやくギプスが外れたかと思うとすぐにまた腫瘍が再発した。

 しかし、入院は悪いことばかりではなかった。芦田は相部屋になった大人たちと、積極的に付き合った。

「大部屋でお爺さんと一緒になると将棋を教えてもらったり、大学生にトランプを教えてもらったり。普通の子供は知らないこともずいぶん教えてもらったので、小学校に戻ると、同級生になんとなく違和感をもちました」

 とくに強い違和感を覚えたのは、養護学級の生徒に対するいじめだった。病院にはいろいろな人がいて、それが当たり前の世界だったから、養護学級の子をいじめる同級生たちの心理が芦田にはよくわからなかった。

「何であんなことすんのやろって、いつも思っていました」

 両親は病気を嘆くよりも、徐々に右手が使えなくなっていくのは「当たり前だ」という雰囲気をつくること、そして、先手を打って将来に備えることに必死だった。幸浩が言う。

「親は毎日毎日、張り詰めた気持ちで過ごしていました。右手が完全に使えなくなることを予想して、小学校一年生のときから箸も鉛筆も左手に換えさせました。左手へ切り替えるのは障害があるからではなくて、それが普通のことなんだよと教えていました」

 智恵は、運動ができない分、勉強では絶対に負けるなと発破を掛け続けた。芦田は小四から学習塾に通い、入院中も猛勉強をした。結果、学校を休んでばかりなのに、勉強ではいつもトップ、体育も見学ばかりだったのに、運動会で走ればつねに一着だった。芦田が言う。

「だから僕、いじめられた記憶ってないんです。ただ、妬まれたことはありますよ。あいつ、手が変なのに何でいつも一番なんやって」

 幸浩も智恵も「不自由」「障害」といった言葉を家庭内で使わないようにしていたが、幸浩はたった一度だけ、芦田に尋ねてみたことがあった。

「パパは両手が使えるけど、おまえは右手が使えなくて不自由やろな」

「そもそも右手を使えたことがないから、不自由だと思ったことないよ」

 子供のころ、芦田は自分を障害者だと思ったことは一度もなかったという。

「切断」という二文字の衝撃 >

iyashi

著者紹介

山田 清機(やまだせいき)

ノンフィクション作家

1963年、富山県生まれ。1987年、早稲田大学政治経済学部卒業。鉄鋼メーカー、出版社 勤務を経て独立。著書に『卵でピカソを買った男』(実業之日本社)、『青春支援企業』(プレジデント社)、『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』(ともに朝日新聞出版)など。

芦田創(あしだはじむ)

陸上選手

1993年、兵庫県生まれ。2016年、早稲田大学政経学部卒業。高校から本格的に陸上競技を始め、高校3年生のとき、「日本パラ陸上日本選手権」の400m走で日本新記録をマーク。16年、「リオパラリンピック」に出場。男子4×100mリレーで銅メダルを獲得。東京パラリンピックでもメダルを期待されている。トヨタ自動車所属。   

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