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<連載>「パラアスリートの肖像」第2回 11歳の右腕へ <芦田創(陸上選手)>後編

2017年10月11日 公開

山田清機(ノンフィクション作家)、人物撮影=尾関裕士

 

同情や美談の先にあるもの

 所沢のグラウンドで、芦田は大会前の調整をしていた。コーチの礒繁雄が芝生の上をこちらに向かって歩いてくる。元一流アスリートだけに独特のオーラがある。

「奴を見て障害者だという感じがしますか。僕はぜんぜんしない。障害者なんて外からいうことじゃないかな」

 芦田は大学3年の3月、本気でパラリンピアンになることを決意して幅跳びに種目変更をし、体育会競走部の門を叩いている。礒とはそれ以来の付き合いだ。初めて会ったとき、芦田は礒からきつい一発を食らっている。

「お前はパラアスリートかもしれないが、一流のアスリートじゃない。一流の健常者アスリートと同じフィールドに立ったとき、初めてお前はフラットな評価を貰えるんだ。それまでは同情されるか美談にされるだけだ」

 礒は続けて、「健常者の日本選手権への出場をめざして一緒に歩いて行こう」といった。たとえ優勝はできなくても、日本選手権に出場できれば、それは一流のアスリートである証だと。芦田がいう。

「オリンピアンは記録があればいいですが、パラリンピアンは立ち位置を見つけにくいんです。純粋なアスリートでいくのか、タレント性を発揮して社会性をもった存在をめざすのか。いずれにせよ、誰もがすごいと認める結果を出さなければ、世の中を変えていくことはできません。まずは障害者というラベルをバリバリに貼らせておいて、健常者の日本選手権に出てそのラベルを一気に剥がす。そのとき初めて、本当にすごいっていわれると思うんです」

 芦田が敬愛するドイツの義足ジャンパー、マルクス・レームは、2014年のドイツ選手権で8m24㎝を跳び、健常者を抑えて優勝したが、リオ五輪への参加は認められなかった。「義足が有利に働いていないことの証明」ができないというのが、その理由だった。

 もし芦田が健常者の日本選手権に出場できても、世間がそれをどう評するかはわからない。スタンドを満員にできるかもしれないし、障害の程度を疑われるかもしれない。いずれにせよ、芦田の前途は平坦ではないだろ
う。

「人生は自分が主人公の物語です。起伏のない物語は、おもんないですよ」

最後に聞いてみたいことがあった。

「11歳のままの右腕に何かいうとしたら?」

芦田は、左腕よりも手のひらひとつ分短い右腕をしばらく見つめていた。

「よう頑張ってるなと思います。僕はお前のおかげで頑張れてる。だから、もうひと息頑張ってな」

 芦田は間違いなく、おもろい人生を歩んでいる。

iyashi

著者紹介

山田 清機(やまだせいき)

ノンフィクション作家

1963年、富山県生まれ。1987年、早稲田大学政治経済学部卒業。鉄鋼メーカー、出版社 勤務を経て独立。著書に『卵でピカソを買った男』(実業之日本社)、『青春支援企業』(プレジデント社)、『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』(ともに朝日新聞出版)など。

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