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<連載>「パラアスリートの肖像」第3回 「理由のないルールって嫌い」 <一ノ瀬メイ(パラスイマー)>前編

2017年11月12日 公開

山田清機(ノンフィクション作家)、写真=尾関裕士

 

(前回までの内容はこちらから)

 

髪をきっちりとセットし、純白のTシャツを着込んだ男が喫茶店の向かい側の椅子にどしりと腰を沈めた。隣の椅子に置いたのはプラダのポーチである。

 この連載の初回に登場してもらった芦田創に再会した。7月14日から23日にかけて開催された世界パラ陸上のロンドン大会で、芦田は念願の個人種目(三段跳び)で銅メダルを獲得している。

「個人で初のメダルをとって、確実にステージがアップしたのを感じますね」

 ロンドン行きの直前に会ってから2カ月ほどしか経っていないのに、芦田には、メダルがこれほど人間を変えるのかと思うほどの風格が備わっていた。

 ロンドンパラ陸上では30万枚以上のチケットが売れ、会場のロンドンスタジアムには最高で4万人もの観客が詰めかけたという。スクール・チケットを大量に販売して子供たちを動員し、ティーチャー・カム(観客席にいる引率の先生を大画面に写し出す)などの子供を飽きさせない工夫をしたこと、ロンドン、リオパラ金メダリストのジョニー・ピーコック(T44・100m)というスーパー・スターが存在したことなど、成功の要因はさまざまあるようだが、芦田はロンドンという街の空気そのものから何かを感じ取ってきたようだ。

「街中でLGBT(性的少数者)のお祭をやっているのを見て、すごいと思いました。イギリスは人種も宗教もさまざまだから、もちろん目に見えない差別はあるのでしょうが、お互いが違いを認め合いながらそれぞれが堂々と生きている感じがして、みんなかっこええやんと思いましたね」

 とりあえず芦田は、「世界」に手を掛けた。

「ここから東京までの3年で、どう仕上げていくかです」

 

障害は「私」ではなく「社会」にある

 近畿大学東大阪キャンパス、午前6時。

 降りしきるような蝉時雨のなか、水上競技部の部員たちが続々と屋内プールに集まってくる。プールサイドの椅子に腰をかけていると、部員一人ひとりが1メートルほどの距離まで近づいてきて、90度に腰を折る。

「お早うございます!」

 こちらは何か悪いことでもしたかとドギマギしてしまうが、1955年創部という長い歴史を持ち、入江陵介や寺川綾など数多くのメダリストを輩出してきた水上競技部伝統の挨拶だという。壁には「勝たなおもろない」と染め抜かれた部の旗が掲げてある。

 現在3回生の一ノ瀬メイは体育会的な世界が初めてだったこともあり、当初、来客者全員へのマンツーマンの挨拶に馴染めなかった。

「私、理由のないルールって嫌いなんです。挨拶もそうやし、掃除だってなんで下級生だけがすんの、みんな使ってるやんって……」

 新人のころに感じた上下関係やしきたりへの疑問を一通り並べ立てたあと、一ノ瀬はこう付け加えた。

「マジで精神的に苦痛で、やめそうやった」

 疑問の数々を山本晴基コーチにストレートにぶつけてみると、こんな答えが返ってきたという。

「日本社会がそうなんだから、大学の水泳部だけ違うやり方をしても社会に出たときに困るだけだ」

 一ノ瀬が言う。

「なるほどなーと思いました。体育会の人が企業から好かれるのは、だからなんやって。そういうことを知るのも大事かもしれないって心のどこかで思っていたので、いまは納得しています」

 一ノ瀬メイは、1997年にイギリス人の父親と日本人の母親のあいだに生まれたミックスである。生まれながらに右肘から先がない。

 幼児のころから水泳を始め、中学二年で2010年アジアパラ競技大会(中国・広州)に出場し、50m自由形(S9)で銀メダルを獲得。

 2014年アジアパラ競技大会(韓国・仁川)では、銀メダル2個、銅メダル2個を獲得し、現在、パラの日本記録を4つ保持している。

 その一方で、高校3年のときには全国高等学校英語スピーチコンテストに参加し、「障害って何?」というスピーチで全国優勝を飾った。近畿大学の入学式でも新入生代表で挨拶をし、挨拶の最後に自分の好きな英語のフレーズを付け加えたが、日本語訳をしなかったこともあって、会場から「おーっ」とどよめきが起こったという。

 また、あるテレビ番組では「障がい」と、「害」の字だけを平仮名表記にすることへの不快感を表明して、やはり世間をどよめかせている。スピーチコンテストの内容とも重なるが、一ノ瀬の主張は以下のようなものだ。

「障害は私にあるのではなくて、社会の側にある。私がじろじろ見られたり、右腕がないことを理由にいろいろなことを断られたりするのが、私にとっての障害だ。害を平仮名にするだけでは世の中変わらない」

 近畿大学を進学先に選んだことにも、障害者への差別が微妙に影を落としていた。

「できれば実家のある京都の大学に行きたかったんやけど、スポーツ推薦の基準が『インターハイで何番』なんです。私、インターハイの記録ではないけど日本記録は4つもってますって言っても、パラの記録じゃダメやと。近大は障害云々より全国で何番だったかを考慮してくれたんで、水泳で進学するんやったら近大だなと思ったんです」

 インターハイには、平泳ぎやバタフライのように両腕を左右対称に動かす種目の場合、両手でタッチしなければ失格というルールがある。

 想像すればわかることだが、片腕が短い選手が両手で同時にタッチをすることは不可能だ。もちろんタイムの速さが大前提だが、そもそも一ノ瀬は平泳ぎやバタフライには参加できなかったのだ。

 ちなみにパラの場合は、ルール・エクセプション(例外事項)といって、個々の選手の身体の状態に応じて泳法規則を緩和することが認められているため、一ノ瀬が参加できない種目はない。一ノ瀬に適応されるルール・エクセプションは1と5であり、それぞれ以下のような内容である。

1.片手でのスタート(背泳ぎ)
5.もう一方の手と同時タッチの意思を見せながら左手での片手タッチ(平泳ぎ/バタフライ)

 また、所属する連盟も一ノ瀬の場合は「日本身体障がい者水泳連盟」であり、一般の選手が所属する「日本水泳連盟」ではない。標準記録を切れば日本水泳連盟が主催するインカレにも参加できるが、インターハイ同様、片手タッチの問題があるので種目が限られてしまう。

「海外ではパラと一般の人が一緒に泳げるルールができているのに、日本ではできひん」

 一ノ瀬の舌鋒にたじたじとなりながら、私は芦田が言っていた「パラアスリートの立ち位置は難しい」という言葉を思い出していた。パラアスリートは好むと好まざるとにかかわらず、社会的な問題に巻き込まれていく。

 一ノ瀬はアスリートとして注目を集めているだけでなく、パラの世界からの発信者としての顔ももつ。それは外から思うほど、気楽な立場ではないのだ。

 

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著者紹介

山田 清機(やまだせいき)

ノンフィクション作家

1963年、富山県生まれ。1987年、早稲田大学政治経済学部卒業。鉄鋼メーカー、出版社 勤務を経て独立。著書に『卵でピカソを買った男』(実業之日本社)、『青春支援企業』(プレジデント社)、『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』(ともに朝日新聞出版)など。

一ノ瀬メイ(いちのせ めい)

パラスイマー

1997年生まれ。京都市出身。近畿大学体育会水上競技部。イギリス人の父と日本人の母を持つ。2010年、中学2年生でアジアパラ競技大会に最年少13歳で競泳日本代表として選出され、50m自由形で銀メダル。現在、パラの日本記録を4つ保持している。2016年、リオデジャネイロパラリンピック出場。また、高校3年生の時に行なわれた全英連第8回全国高等学校英語スピーチコンテストで優勝している。  

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