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<連載>「パラアスリートの肖像」第3回 「理由のないルールって嫌い」 <一ノ瀬メイ(パラスイマー)>前編

2017年11月12日 公開

山田清機(ノンフィクション作家)、写真=尾関裕士

パラ競技のジレンマ

 一ノ瀬が「泳ぎ」というより、「水慣れ」を始めたのは、京都市左京区にある京都市障害者スポーツセンターである。

 肌が焦げつくような炎天下、高野川のほとりにあるセンターに幼いころの一ノ瀬を知る猪飼聡を訪ねた。猪飼は現在、同センターの次長を務めているが、一ノ瀬をパラの世界に引っ張った人物でもある。

「メイちゃんはまだ1、2歳の物心ついてないころ、ここへ来たと思います。お母さんにセンターのプールは(障害者は)無料なんで使ってくださいねというお話をしたと思います。しばらくセンターの水泳教室に参加してから、小2のとき京都SCに入って、それから大会にも出るようになったんです」

 一ノ瀬は小2で近畿障害者水泳選手権大会に参加して、25m背泳ぎと50m自由形でいきなり1位になっている。当時、パラリンピックの競泳日本代表監督を務めていた猪飼は一ノ瀬が小3になったとき、将来パラリンピックに出てみないかと声をかけた。

「私はアテネと北京で代表監督をやったんですが、アテネのとき、まだ13歳だった山田拓朗君(リオの銅メダリスト)を連れていったんです。拓朗君はメイちゃんと同じS9(左肘から先がない)なので、メイちゃんに、こんなにすごい選手がいるんだよって伝えたのです」

 山田拓朗は幼いころから一般の子と同じスイミングクラブでみっちりと練習を積んできた選手だが、一ノ瀬はそうではなかった。小4のときには、あるスイミングクラブの競泳コースに入会を申し込みに行って、右腕の障害を理由に門前払いを食っている。

「メイちゃんはきちっと競泳を習った子ではなかったけど、アッケラカンとした性格で、初めて海外(アジア競技大会)に連れていったときも、ちっとももの怖じしなかった。コーチはともかく、そういう選手は少ないんです。きちんとした練習を積んでいないからこそ、むしろ伸びしろがあるんちゃうかと思いました」

 猪飼にパラの存在を教えられたことが、のちの一ノ瀬の人生を大きく変えていくことになるわけだが、ここにパラ特有の問題が潜んでいるともいえる。

 たとえば、芦田創をパラの世界に誘ったのが山本篤だったように、パラの世界の選手発掘は関係者との接触に依存する度合いが大きいのだ。猪飼が言う。

「オリンピック選手の発掘がピラミッド型だとすれば、パラはタワー型なんです。オリンピックの世界は、言葉は悪いですが、放って置いても選手がわいてきます。そして、競争を勝ち抜いてピラミッドの頂点に立った選手がオリンピックに出場する。でも、パラの場合は個別にコーチがついて一人ひとり育て上げなければなりません。パラの選手は勝手にわいてはこないのです」

 どういうことか。

「同じように片腕がない子をたくさん集めて、競争させることはできないでしょう」

 つまり、パラの世界では選手の発掘を競争原理にゆだねることができないのだ。個々の障害の種類、程度に応じた、いわばカスタマイズされた練習と指導者が必要なのだ。猪飼も一ノ瀬が中1のときに、谷川哲朗というコーチとマッチングさせている。

 裏返していえば、障害のありようは極めて「個別的」だということだ。個別の障害をもつ選手たちを一斉に競わせれば公平性が失われるから、パラの試合にはクラス分けが必要になる。それが試合を複雑にし、観戦を難しくしてしまう。パラ競技のジレンマである。

「メイちゃんの場合は障害の程度が軽く、環境にも恵まれて、タイミングもよかった。でも、いまの日本は、そうしたものに恵まれずに、下のほうから上がってこられない人が大勢いる状況です。なかなか裾野が広がらない。特に重度の障害をもった人は難しいと思います」

 たまたまパラの指導者や関係者と出会わない限り、パラアスリートが育ってくる環境がないのだとすれば、東京パラリンピックはそうした環境を変える最後のチャンスなのかもしれない。

 

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著者紹介

山田 清機(やまだせいき)

ノンフィクション作家

1963年、富山県生まれ。1987年、早稲田大学政治経済学部卒業。鉄鋼メーカー、出版社 勤務を経て独立。著書に『卵でピカソを買った男』(実業之日本社)、『青春支援企業』(プレジデント社)、『東京タクシードライバー』『東京湾岸畸人伝』(ともに朝日新聞出版)など。

一ノ瀬メイ(いちのせ めい)

パラスイマー

1997年生まれ。京都市出身。近畿大学体育会水上競技部。イギリス人の父と日本人の母を持つ。2010年、中学2年生でアジアパラ競技大会に最年少13歳で競泳日本代表として選出され、50m自由形で銀メダル。現在、パラの日本記録を4つ保持している。2016年、リオデジャネイロパラリンピック出場。また、高校3年生の時に行なわれた全英連第8回全国高等学校英語スピーチコンテストで優勝している。  

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