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千利休、逸話が伝える「茶の湯の道」

『歴史街道』編集部

2019年09月12日 公開 2022年12月19日 更新

千利休、逸話が伝える「茶の湯の道」

『歴史街道』2013年12月号より

千利休の生涯についての確実な史料は乏しい。しかし没後すぐから、利休についての逸話が様々な形で書き残されてきた。脚色された部分もあるだろうが、利休の人となりや茶の湯に対する考えを伝えてくれる。(各文末のカッコ内は出典)
 

美を知り、人を知る逸話

塵一つない庭にて

利休は茶の湯を堺の武野紹鴎に学んだ。紹鴎は利休の才を試そうと思い、庭の掃除を命じた。利休が庭に行ってみると、茶室の前は拭うがごとく、塵一つない。利休は戸惑ったが、意を決して新緑が滴る林に入り、木の1本を揺らした。すると落ち葉が風に舞い、片々と地に落ち、さらに一段の風趣を添えた。紹鴎はこれを見て、利休の奇才ぶりに感じ入り、茶の湯の秘訣をことごとく、熱心に授けたのであった。(近古史談)
 

花入の片耳

ある時、とある茶会に招かれて武野紹鴎や利休らが同道した。その道すがら、ある店先で紹鴎は花入に目を留めたが、同道の人もあるので何も言わず、「明日取り寄せて、それで茶会を開こう」と思っていた。明朝、求めに行かせてみると、すでに花入はない。紹鴎が残念に思っていると、その日、利休から「花入を求めましたので、お目にかけたく」と茶会の招きがあった。「あの花入であろう」と苦笑して茶会に訪れた紹鴎は、茶席でその花入を見るや、手を拍ってしばし佇み、こう語った。「利休が、耳付のこの花入の片耳を打ち欠いて出すとは…。実は私も昨日、この花入を見た時から、あまりに完璧すぎるので片耳を打ち欠いて茶席に用いようと思っていた。中立で利休が席を外した時に打ち欠こうと思って、金槌も懐に用意してきていたのだ」。紹鴎が感嘆することしきりであった。(南方録)
 

古法を略す

織田信長が利休を召し出し、台子の茶の手前を命じた。手前を見た信長は「津田宗及の手前と比べると略してある所があるようだが」と尋ねた。利休は答えた。「御前は茶の湯をお好みですから、後々、世の人々もそれに倣うようになるでしょう。その時、古法の通りにくどくどとやっていては、今の世の人はあまり根気もないので、難しがって嫌がることでしょう。そう考えて平易に、お茶を点てやすいようにしました」。信長はそれを聞いて大いに感心した。(貞要集)
 

さても恐ろしき老人かな

加藤清正は、かねて利休を「余計な口出しをする坊主め。片腹痛い」と思っていた。利休はある時、良き仲介人を得て清正に茶会を申し入れたが、何も答えがない。利休が重ねて申し入れると、清正から「私1人でうかがいます」と返事があった。約束の日、清正を1畳半の茶室に招じ入れたが、清正は大小の刀を身に帯びたまま入室した。利休は恐ろしがることもなく篤くもてなしていたが、釜を炉に落としてしまった。するとブワッと灰神楽が立ち、茶室中、何も見えなくなった。利休は「年老いて、こんな釜さえ取り落としてしまいました。非礼をしてしまいましたこと、かえすがえすも口惜しき次第です」と恐れ入って清正に大羽箒を渡し、自分も羽箒を持って一緒に部屋中を掃除する。やがて最初のようにきれいになった。清正は夢のような心地がして、「さては利休は私の気持ちを見抜いて、それを挫こうと、わざと失敗したのだな。さても恐ろしき老人かな。少しも脅しを怖がらず、かえってうまく収めてしまった。秀吉公のお褒めに与るのももっともだ」と心打ち解け、心やすく相談する懇意の仲となった。(喫茶指掌編)

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