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平清盛〜閉塞社会を突き崩し、武士の世を導いた「ビジョンある破壊者」

2012年01月08日 公開

童門冬二(作家)

『歴史街道』2012年2月号より

平清盛

平家が源氏によって滅ぼされたため、歴史上、悪人のレッテルを貼られた平清盛。しかし、そのスケールは鎌倉幕府を開いた源頼朝を遥かに凌ぐ。なぜ清盛は旧弊な身分社会に風穴を開け、宗教的権威をも退けて、新たな国家像を目指すことができたのか。
 

信長を凌駕する男

日本史上で時代を変革したスケールの大きな人物と言えば、誰を思い浮かべるでしょうか。恐らくまず挙がるのが、織田信長や坂本龍馬の名前でしょう。豊臣秀吉や西郷隆盛などもそうかもしれません。では、古代・中世の人物はどうでしょうか。あるいは、鎌倉幕府を開いた源頼朝が挙がるのかもしれません。

しかし、彼らに匹敵、いやむしろ凌駕するほどのスケールでありながら、これまでほとんど顧みられなかった人物がいます。

平家の棟梁 平清盛です。

平家は源氏に倒されたため、清盛は歴史上、悪役にされてしまいました。しかし、実は勝者の源頼朝よりも遥かに大きなことを成しています。それを一言で表現すれば、「停滞する社会を破壊し、実力で世の中を動かす時代を切り拓いた」ということでしょう。

清盛が登場する平安時代末期(12世紀)は、平安貴族と比叡山延暦寺などの宗教的権威が世の中を支配していました。あらゆる面において、身分と権威が絶対的価値とされたのです。しかし、その弊害が随所に出始めていました。困窮から各地で叛乱が頻発し、盗賊海賊などが出没します。それに対して武力を持たない平安貴族たちは、何ら有効な手を打つことができませんでした。

また、国家財政も悪化していましたが、貴族らはそれに対処する術(すべ)も持ち合わせていませんでした。もはや社会が機能不全に等しい閉塞状況を呈していたのです。ある意味、今の日本と似ていると言えるかもしれません。

そのような状況を俯瞰して先行きを見据えて、今、何が必要なのかを考えたのが清盛でした。そして、富や武力といった「実力」をもって、閉ざされた身分社会に風穴を開けるというビジョンを示し、さらには最下級の役人とされた武士でも政権を担うことができるという「新時代のモデル」をつくってのけるのです。つまり清盛は、「ビジョンを持った破壊者」だったと言えるのです。

源頼朝も鎌倉幕府を開いたという意味では、歴史上の偉人ですが、実はそれは清盛が築いた実力社会と武家政権という土台の上に築いたものであり、もし清盛がいなければ、どの程度歴史に名を留めていたか分かりません。

では、清盛がどのようにして大きなビジョンを描き、閉塞した社会を打ち破ったのか、具体的に見て行きましょう。
 

海賊討伐と日宋貿易

平安時代末期は仏教でいう仏の教えが行なわれない「末法」の世界とされ、世の中は乱れる一方と考えられていました。そんな人々が先行きに希望の持てない時代にあって、清盛は確かな希望を見据えていました。その視線の先にあったのは海です。

清盛は若き日に、備前守(びぜんのかみ)であった父・忠盛に従い、西国の海賊討伐に力を尽くしました。当時の海賊たちは、普段は海上運輸に従事する者たちであったと言われています。

その中で、朝廷の意のままにならない武装したものが「海賊」として討伐の対象となりました。

忠盛・清盛父子は彼らを平定するとともに、主従関係を結ぶことによって、西国で勢力を拡げていきました。叛乱を鎮めたその実力は、次第に中央の貴族たちも認めるところとなっていきます。

やがて西国で、清盛は生涯の志を託すに足る事業を見出します。それが日宋貿易でした。

当時中国との交易は、大宰府で朝廷の貴族のためにのみ行なわれていました。中国の珍しい宝物を収集するためのようなものです。

これに注目した忠盛・清盛父子は、大宰府以外の地でこの貿易に乗り出し、次第に大きな富を築いていきました。ここで平安貴族たちであれば、富を元手に権門に取り入るか、奢侈に流れた生活を謳歌したことでしょう。しかし、平氏は武士です。彼らは奢侈よりも、兵を養うために富を使い、武家の棟梁としての地位を固める道を選びました。

そのことは、皇室・摂関家・源平両氏が入り乱れて争った保元(ほうげん)・平治の乱での清盛の存在感を見れば明らかでしょう。源氏よりも遥かに大きい武力を持った清盛は、2つの大乱において勝敗の行方を左右するキャスティングボートを握りました。平家の武力がそこまで大きなものとなったのは、日宋貿易による富があったからなのです。

富を背景に武力を持った清盛は、当然ながら大きな発言力を獲得します。貴族たちは、清盛の存在を認めざるを得なくなり、次第に政権中枢に押し上げていきます。そして遂に、清盛は武士として初めて、朝廷において天皇に次ぐ地位にまで昇り詰めるのです。

しかし清盛の貿易は、己の栄達が目的だったわけではありません。出家後に「静海(じょうかい)」と称したことや、海に臨む福原への遷都を図ったことからも窺えるように、日宋貿易をより本格化させ、それを国家事業の中心に据えて、世の中を豊かにすることを思い描いていたのです。

清盛の抱いた夢は、国の姿を大きく変えるものでした。当時の日本は遣唐使が廃止されて以来、300年近く実質的な鎖国の状態にありました。長く続いた国是を変えることを、何事も先例主義の貴族たちは受け入れ難かったはずです。たとえるなら、平安貴族たちにとって日宋貿易は、幕末の黒船来航と同じぐらいの衝撃だったのかもしれません。

清盛は日宋貿易を本格化させる中で、宋国の使者を後白河上皇に引見させましたが、公卿たちはこれを「天魔の所為(しょい)なり」と厳しく批判しました。しかし、清盛はそのような抵抗は意にも介さなかったはずです。なぜなら清盛には、日宋貿易を推進すれば日本を豊かにできるという、揺るぎない確信があったからでした。今、この国に何が必要なのか、清盛には見えていたのでしょう。

後年、足利義満や織田信長らも貿易を重視しますが、清盛はそれよりも遥か以前に海の彼方(かなた)に眼を向けていました。恐らく為政者としてそのような発想を持ったのは、日本史上、清盛が初めてではないでしょうか。

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