第55回PHP賞受賞作

初めは寝坊だった。起きたら11時を過ぎていた。
その日は土曜日で、午前中で終わりの日。
今から登校しても意味ないなと思ってズル休みした。小学5年生の6月だった。

無断欠席だから、担任から電話がかかってくると思ってドキドキしていたけれど、結局電話はかかってこなかった。週明けに登校したときも、何も言われなかった。

7月になって、またズル休みした。大嫌いな水泳の授業があったからだ。今度はちゃんと学校に、休む、と自分で連絡を入れた。電話に出た先生は、「はい、分かりました」とだけ言った。その日もまた、担任からの連絡はなかった。
 

休むと必ず電話してくる「コマツ」

それからは、度々ズル休みするようになった。いくらズル休みしてもバレないことに安堵しながら、言い知れぬ孤独を感じもした。
それは、中学生になっても同じだった。

僕は母と2人暮らしで、母は僕よりも早くに家を出て仕事に行き、僕よりも遅くに帰ってくるから、僕がズル休みをしても気づかれることはなかった。

誰も僕のことを心配しない、気にもしない。
そう思ったら、孤独な思いは深くなった。思春期だったこともあり、僕はどんどん自分の殻の中に閉じこもっていった。

どこでもいいという気持ちで入学した高校で、その人と出会った。教師になって7年目のその人は、男性にしてはかなり小柄で童顔だったこともあり、体格の良い男子生徒からは、「コマツ」と、半分馬鹿にされていた。

僕も、チョロイと思った。早速ズル休みの電話をした。これまでと同じように、電話に出た先生から、
「はい、分かりました」
とだけ言われてあっさり終わった。

と思ったら、すぐに担任のコマツから電話がかかってきたのだ。
「どうした? 風邪か? 熱はあるのか? 病院へは行ったか?」

真剣な声でコマツに聞かれて、僕はうろたえた。しどろもどろだったと思う。
驚いた。こんな風に言ってきた人は今までいなかったから。その後もコマツは、僕がズル休みするたびに、必ず電話をかけてきた。
いつも真剣な声で。

けれど、何度コマツから電話がきても、
「少しだけでもいいから登校してこい」
と言われても、僕のズル休み癖は直らなかった。
 

温和なコマツが激怒した

高校2年になり、持ち上がりでそのまま担任になったコマツはその日、普段見ないような怖い顔をして、僕を職員室に呼んでこう言った。
「このままでは出席日数が足りなくて、留年になるぞ」

その言葉に僕は、自分でも驚くほど乾いた声で言い返した。
「留年になるくらいなら、中退する」
このまま漫然と高校生でいるより、むしろその方がいいとさえ思ったのだ。

僕のひと言に温和なコマツが激怒した。
「なに甘いこと言ってるんだ!」
唾をとばしながら、コマツは僕に説教した。
高校中退。それがどれだけ今後の人生に影響を及ぼすかを、コマツは熱く語った。

さらにコマツは言った。
「お前の家は母子家庭だ。差別されることだってあるんだぞ」
今まで誰も触れてこなかったことなのに、コマツはあえて口にした。

「お前はそれを跳ね返して生きていかなくてはいけないんだ。高校中退でさらにハンデを背負ってどうする!」

新鮮な驚きだった。今まで僕をこんなふうに叱ってくれる人はいなかった。なおかつ、こんなに本当のことを言った人も。

母はいつも眉間にシワを寄せて、疲れた様子だった。それは、母子家庭という生きにくさを直に感じていたからかもしれなかった。

コマツの説教は、こもっていた殻を破って僕の心に響いた。それからは、コマツの授業のある日は登校するようになった。段々と他の授業も受けるようになった。そんな僕にコマツは頷きながら、童顔をクシャクシャにして笑ってくれた。

コマツのおかげで、僕は高校を卒業することができた。コマツは、誰よりも僕の卒業を喜んでくれた。
コマツに出会わなかったら、僕は世間の波にのまれて溺れていたに違いない。
あの頃、一度も素直に言えなかった言葉が心に広がる。

「ありがとう、大松先生」

池田広輝(大阪市・会社員・29歳)